4日目 春一番

彼曰く、今日は世界で一番身長が高い日だ。


 ***


冬の終わりは季節の終わり。

1年の終わり。


疲れた人間はいろいろ抱え込み、

元気な人間も無駄なものを背負っている。

次の季節を心地よく迎えればいいのにそれも満足にできない。

期待よりも不安が。

楽しみよりも後悔が。

芽吹く蕾が膨らむのを煌めく瞳で眺めながら、

すぐにでもその場から走り去れるように足を準備している。


でもいざそのときが来てみたら動き出すことができない。

縮こまった足は腕の中に抱えられ、頭も低く垂れさがる。

長く暮らした部屋で一人、電気もつけずに蕩然と時間を過ごす。

丸まったまま何もできずに、じっとその場にとどまっている。


何もかもを背負った人間の足取りはひどく重い。

新しい目標、諦めた目標、次に向けて目指す場所。

自分の力では支えきれない重荷も、

ありえたかもしれない諦めた未来も、

すべてを背負いこんで背中を丸める。

そいつは歩くことを止めてその場にとどまったまま。

光を見たくないように体を丸めて、うずくまって。


ミイラの作り方の一つに死者に足を抱えさせて作る方法がある。

人が言うところの体育座り。

外からのすべてを拒むように背中を丸めて、

自分の世界への侵入を許さない。

あらゆるものをはじき返す防御姿勢はとても硬い。


その丸まった背中は何よりも弱々しく見える。

何にも生を見いだせず、どうしたらいいか分からないでいる。

ただそこに居座ったまま、冬の立ち枯れた古木のように動けない。


一面何もない空っぽな地平。

にわかに、暖かい風が強く吹いてきた。

小枝に重々しくかかった雪を吹き飛ばすように、

溜まった泥をひっくり返すように。


春一番。

立春から春分の日の間にやってくる、南よりの一陣の風の神。

抑え込んだものなんて関係ないというように、


「ドン!」


と背中を叩いて押してくる。


「なんだぁ、どうした。この程度、貴殿が進むのをやめる理由にはならんだろう」


かつての理想も、心残りも、これからやりたいたくさんのことも。

一度すべてを忘れさせられる。


「進め、思うままに」


生きているうちの想いはころころ変わる。

天気よりも豪快に、繊細に。

丸まった背中はどこへやら、空を目指して伸びるようにまっすぐになる。

植物には花が咲き誇り、動物たちは歓喜の音を纏って踊る。

止まっていた時間が動き出す。

世界の風を一身に感じながら。

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