27日目 惰性
彼曰く、惰性で続けてしまうこと、日常の無駄な時間。
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朝起きてゲームにログイン。
読みもしないのに開くTwitter。
投稿もしないのにずっと見ているTikTok。
内容の分かり切っている、何度も見たYouTubeの動画。
いろんな言い訳を探しながら買うポテチ。
なんとなくの気持ちで続ける仕事。
私の日常の大半は惰性でできている。
その他は義務と仕方ないでできている。
人生の優先順位は”その日の気分”。
変化や新しい刺激とは縁遠い、退屈でいつも通りの時間。
どんなに遅く起きても、早く起きても、
今この瞬間が楽しければそれでいい。
その日暮らしな日々が過ぎていく。
慣れが出てきた人間は怠惰になると先生が言っていたけれど、
私はその通りの生き方をしてしまっているらしい。
まったくつまらない人間になってしまった。
全く笑えない動画を眺めながら、無為な時間を過ごしている。
少し前に頭脳王を見たけれど、何を言っているのか皆目わからなかった。
頭の回転は中の上くらいだと思っていたのに、
もはや思考を拒否するようにぼーっと見ていた。
我ながら呆れてしまったけれど、
あの番組の悪いところは私の気になる問題の解説をしてくれないこと。
新たな発見があってもその筋道があやふやなので自信もつかない。
知能の低下を再認識するだけで面白さもない。
秋になると急に寒くなるのが最近の日本。
寒い冬の次には暖かい春がやってくるように、
季節を肌で感じることができる点が好きだったのに、
温暖化やら冷暖房設備の充実やらでそんな変化にも疎くなってしまった。
平熱平穏、平等平均な社会は過ごしやすいけれど、
個々人の変化を許してはくれない。
何か突飛なことをやろうとすれば変な目で見られ、
出る杭を打つように勢いを削がれてしまう。
生きにくい環境に適応したことで逆に生きやすくなるという矛盾。
野性を忘れた理性の獣はここまでつまらなくなるんだなぁ。
『猿の惑星』の猿たちの方がよっぽど自由で理性的に思えてしまう。
惰性を続けることも自由だし、止めることも自由。
人には人の享受できる自由がある。
義務とも、義理とも違う、心底からやりたいと思うこと。
自由を求める心は常に人の心にあるはずなのに、
惰性という枷にはまって動けないでいる。
自分で自分の自由さを縛って、社会の中で生きている人間。
生きづらさを享受し、退屈な時間を選んだ自分。
月も見えない独房の中で暮らしているようだ。
でも実際には変化している。
照り付けるような太陽は鳴りを潜め、涼しい風が肌を突く。
秋は終わり、冬を迎えようとしている。
仕事への考え方も、普段の過ごし方も、この1年と少しでだいぶ慣れてきた。
人は常に変化を求め、変化を乗り越えることで成長する。
今の私には次のステップへの成長が必要だ。
半年もたたないうちに新しい出会いの季節がやってくる。
光陰矢の如し、気付けば私も社会人3年目。
社会人には慣れても、3年目の扱いは初めて。
義務や義理から少しだけ解放されて自由になるころ、
浮き上がってくる空白の時間。
これから多くなってくる白いキャンバスをどう彩るか。
自分の人生を考える時間が増える。
お手本のような花をそのまま描くか、
見たこともない花を色とりどりに大きく描くか。
惰性で塗り潰すか、自由を謳歌するかは、私次第なんだ。
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