23日目 勤労感謝の日
彼曰く、お仕事、お疲れサマンサ!
***
”勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝する日”
それが今日という日なんだそうだ。
勤労に感謝する日、なんてものを制定するあたり、
この国の上層部は働くことが心底好きらしい。
確かに自分たちが作り上げてきた政府と教育によって、
自分たちの公認を育て上げ「お国のため」と謳いあげ、
子供も大人もすべて社会の歯車にするための仕事をしている。
命令口調だから上から目線で言えるのだろう。
実際の現場を見ることもなく、
自分たちは血統と派閥と多少の金で上に行く。
上に行くことしか能がないのだから、命令口調になる。
上から目線になるのは仕方がない。
だって首から上が動かないんだから。
地中から伸びていく土筆のように。
あるいは海中、砂の中からゆっくり顔を出すチンアナゴのように。
様子だけ見ればはなはだ馬鹿らしい。
せいぜい他の人間たちに潰されないように気を付けるか、
ペットのように愛でられないよう気を付けるか、
どちらかの対策をした方がいい。
でないと見ている子供たちが馬鹿を見てしまう。
今の子供たちに勤労は向いていない。
働くということがどういうことか、まるで分かっていないのだから。
奉公先に出向かせて家宝の壷を割るが如く、
善も悪も知らぬ間に大人になる。
なまじ力と知識だけついて、下手に生き抜く癖がつくものだから、
目立ちたがりで欲しがりな犬のように手を付けられない。
何をしでかすか分からない。
私を含め、今の若い世代には勤労という責務は重すぎる。
国を背負って立つという覚悟はない。
自分が死ねば自分が死ぬ。
それくらいの当たり前は身についている。
自分本位な今の時代、承認欲求と自己顕示欲の塊のような存在は、
自分が生きていられるかどうかに非常に敏感。
自分さえよければよし、自分が傷ついたらダメ。
そんな両極端な二元論しか唱えられない軽薄な命。
それらがまるで、自分こそが絶対だと言わんばかりに喚き散らす。
上しか見れない連中の足を引っ張り、
改善しようとする勇気を偽善と侮る。
自分が足を踏み入れているのに、その足を抜かないまま汚していく。
この世界は常に真っ黒だ。
なぜ私たちは生きていられるのか。
自分が強いからか?
自分が賢いからか?
自分が偉いからか?
自分が凄いからか?
違う。
私たちよりも強く、偉く、賢く、凄い人たちがいるからだ。
強いのは私たちより鍛えたから。
賢いのは私たちより学んだから。
偉いのは私たちより偉ぶることをやめたから。
凄いのは私たちよりも自分が凄いなんて思っていないから。
黒い世界を白く照らそうとする人たちがいる。
この世界は汚く、脆く、うるさくていやらしい。
そんなろくでもない世界にも希望はある、と。
この世界は楽しく、何より面白いのだ、と。
働くことで教えてくれている。
子供のころ、玄関を押して出ていく父の背中が大きく見えたのは、
何よりも凄く思えたからだ。
上しか見えなくても、国を背負って立つ覚悟がなくても、
自分を見直すことくらいはできる。
自分はいろんな力で、知識で支えられている。
多くの人たちの勤労で生産されたものに助けられている。
私たちは多くの勤労でできている。
支えてくれる多くの人に、今日は感謝を捧げよう。
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