13日目 無神論

彼曰く、私に神はいらない。


 ***


「私に神はいらないんだよなー」


上司が凄いことを言っていました。

そんなこと言いますかって聞いてしまうくらいびっくり。

正直私も「神とは」と聞かれて、即答できるわけではないんですけど。

もしかしたら私にとってもいらないのかもしれない。


日本人にとって神様はとても身近なもの。

太陽、山、土地、雷、家、樹、川、湖、家財道具、etc...。

天にあまねく物に存在し、けれどその姿を見ることはない。

日本での神に対する考え方は色々ですが、

ほとんどの人は「神は心のどこかにいる」と思っています。

いや、そう思っていることさえ認識していないほどに、

日本での神様はとても身近なものです。


「頼む、神様!あの時と同じ力をもう一度!」

「どうか神様、叶うならあの人ともう一度会わせてほしい」


自分にとって大切なものを取り戻したいときや、

ここぞという大事なとき、無意識に願っているのは誰に対してか。

海外、特にキリスト教徒であれば、それはイエスであることが多いでしょう。

不遇な扱いを受け、磔にされて一生に幕を下ろしたと思いきや、

再び息をして起き上がった奇跡の人。

「あなたのような奇跡の力を、私にも与えてほしい」

「心の底から願っていることを叶える力を」

そう思いながら天に口づけを捧げ、両手を掲げて祈るのです。


一方でキリスト教徒ではない日本人も願います。

でもそれはイエスのような、絶対的な唯一神に対してではありません。

きっと思い浮かべる神は違うでしょう。

日本には絶対的な神というものがないからです。

そもそも日本での神道には明確な教義のようなものはなく、

神話、八百万の神、自然や自然現象などを原典とした、

アニミズム的・祖霊崇拝的な宗教観を持った昔からの考え方です。

”アニミズム”とは、生物無機物を問わず、

あらゆるものには霊魂が宿るとする考え方のこと。

あると思えばあり、ないと思えばないと思える、それくらいの認識です。

この霊魂も必ずしも神である必要はありません、種類も様々。

日本の風習では祖先を神とあがめるような側面もあり、

祖先の霊魂が収まっている=神がいると捉えることもできるのです。

もしくは自分の努力や頑張り、

その思いが詰まったものを霊魂と捉えれば、

頑張ってきた自分の経験が助けてくれる=神がいるとも考えられます。

自分を神扱いするのもどうかと思いますが、

神道の宗教観に乗せて日本人の行動を見ると、そう考えることもできるでしょう。


存在が確立していないのに信じるもの=神。

傍から見ればとても曖昧だが、強く思うと本当にいるのではないか。

そう思ってしまうのが日本人の思考と思いますが、

この上司は「自分は違う」と言っています。

しかも面白いのが、神の存在を否定しているわけではないのです。


「みんなに神様はいてもいいと思うけどね」


自分にはいらないけど、他の人には神がいてもいい。

いわく、何でもかんでも神様の力と思いたくないんだとか。

自分に厳しく、親から自立するのが早かった方だからでしょうか。

ストイックな姿勢を見せつつ、他の人のことは否定しない。

ちょっとカッコイイなと思ってしまいました。

きっとこう考えることができれば色々なことが自分でできる、

他に負けない強い人になれるんでしょう。

無神論、ではなく「自分だけ無神論」。

新しい派閥がここにいます、強い・・・。


私はまだ神様に頼っていたい。

でも、もしかしたら、私にも神様の力が不要になるときが来るかもしれない。

そのときは宗旨替えして、堂々と言ってやります。

「神様はいません、自分の力を信じるんです」と。

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