20日目 鬱
彼曰く、今日はダメな日だ・・・。
見たこともない景色が目の前に広がる。
どこかの部屋、昼か夜かもわからないくらい暗くて、
窓はすべて閉め切られている。
なのに目の前の風景だけは、
この目にくっきりと光と色を映している。
脳にまで達してくる情報、ごくありふれた光景なのに、
どうしようもなさが頭の後ろの方で広がっていく。
次第に汗が掌に浮かび、次に背中、そして顔がじっとりしてくる気配。
その場から逃れたいのに逃れられない。
足を動かそうとしても力が入らない。
体全体に気味が悪いほどの安定感があるのに、
今すぐに存在を消し去りたい気分。
自分が動けないから目の前でうごめくそれが消えることを願うけれど、
その未来が見えなくていっそ自分が消えてしまいたくなる。
ズゾズゾと動く長いそれが少し歩いた先で何かをまさぐっている。
自分の部屋に放ってあるごみ袋にも見えたけれど、
私の部屋にあるものはこんなに黒くない。
中身が見えないことへの恐れ。
ブラックボックス、パンドラの匣、
いろんな言い方があるけれど、
それは見るだけで人を恐怖させるおぞましさをはらんでいる。
目をそらさないと中身が見えてしまう。
だけど動かせないのは首から下だけではなく、
顔も同じらしく、舌がしびれて声も出せそうにない。
恐怖にさらされて悲鳴も出せない私のことなど興味ないように、
それはゆっくりとうごめいている。
ふと気づくと何かの横に人らしき影が立っている。
シルエットだけで影が誰なのかはわからない。
なんなら人かどうかも不明瞭。
浮いているようにも見えるし、誰かが後ろにいて立たされているようにも見える。
大きさも厚みも感じられないその影は、
突然重力を忘れたように移動して、うごめくそれの上で止まる。
当然それも影に気づき、
あるのかないのかわからない頭をもたげて影を見る、ように見えた。
ゆっくりと地面に近づく影。
このままではぶつかるというところで、
視界にノイズがズザッと流れて消えた。
再び視界に入ったのは、さっきまで見ていた視界と、
影とそれを上から見た別の視界。
二人分の情報量が一気に流れてきたことよりも、
新しく脳に入ってきた別の視界の衝撃で血の気が引くのを感じた。
影は人。どこか自分に似ているようで、
しかし自分とは違うような存在。
その影の下で待ち構えているそれは蟲の姿をしていた。
全身は小さい、なのに底知れない食欲をはらんでいるのを、
ぽっかりと空いた口の縁にびっしり並んだ歯が主張している。
だんだん下がっていく影がその口に入っていき、
それはまるで作業のように口を開閉する。
痛みがないのか叫びはない、
けれどその光景がもはや痛々しく、
あがらない声が喉の中で爆発する。
私はそれを見ているだけ。
何もすることができず、自身の別存在がかじられ、
むさぼられ、食事されている様をただ見つめている。
どれくらい時間がたったのか。
数分か、数時間か。
それの口が影の喉にたどり着いた瞬間、
この世のものとは思えない悲鳴が響き渡った。
耳を劈く金切り声、人間が出せる音の限界を超えているとしか思えない。
その瞬間自分の体に電撃のような感覚が走った。
目を開けるといつもの私の部屋。
どうやら夢だったようです。
あんな気持ち悪くて生々しい夢、
上京してから久しく見ていません。
きっと疲れているんでしょう。
今日は早く寝ようと思います。
とにかく今日はあまりよくない日になりそうです。
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