17日目 自転車

彼曰く、風を切り裂いて進んでいく感じが好き。


今日は大変な一日だった。

朝から打ち合わせ用資料の作成に追われ、

昼前になって新規発注が必要になった設定のまとめを頼まれた。

午後に入って打ち合わせが2件連続、

あったのかどうかも記憶の果てになった休憩をはさみ、

会議と打ち合わせを連続で済ませ、

議事録と報告書の作成を夕暮れとともに迎えた。

すべてが終わった頃にはすっかり夜。

とっぷりと日は暮れたものの、まだ昼間の暖かさを残した空気が、

地面のすぐ上を包んでいました。


これから帰るのだるいなー。

家までワープしていけないかなー。

どこでもドアがあればすぐに帰れるのになー。

あおだぬき~、出てきてくれ~。

そんなくだらないことを考えながら駐輪場に向かう。

自分の場所と思っているいつもの場所に停めた、

手に馴染んですっかり貫禄の出てきた自転車くん。

色褪せているからそう見えているのか、

扱いが雑すぎてところどころフレームが錆びたり剥げたりしているからなのか、

本当のところは分からない。

実際はただの古臭くなった、使い込みの激しいクロスバイク。

チェーンは漕ぐたびにキイキイ音を立てるし、

サドルの真ん中には去年の台風で何かが刺さった拍子にできた、

大きめの穴が残ったまま。

雨が降るとそこから水が浸透し、即席水枕の出来上がり。

ただしびしょぬれになること請け合い。

雨上がりの日はおしりに注意しなければならない。

そろそろ買い替えも考えたいですね。

誰かの応援がないとそんな勇気も出ない今日この頃。

思い切りのいいことは思い立った時にやるのがいいと言いますが、

これからは夜が深まるだけ。

もう少し若い時間に思い立っていたかったものです。


自転車とは、私にとっては相棒のようなもの。

小学生の頃から24段変速のギア付きの車に乗っていました。

近所に住む子たちの間ではもっとも多かった記憶があります。

地元の友達内、自転車ランキング1位。

自分に似合わないとはわかっていながら、

子供ながらに自分だけのものを手に入れたことが嬉しかったのでしょう。

友達の家に遊びに行くときはここぞとばかりに乗っていた記憶があります。

中学、高校も、距離的には自転車で通えることができました。

通学用のいわゆるママチャリに交換です。

ママという言葉があるからかは知りませんが、

何となく母の苦労を知ったような気がしました。

あれって跨ぐの大変ですよね。

今となっては乗りこなす自信はありませんが、

それでも自転車は自転車です。

初めて乗った時は2輪で実に乗りづらかったものですが、

何かと縁があるものですね。

もはやあって当たり前のような感覚になっていました。

大学進学時には特に考えていなかったのですが、

自転車店をふと見かけて立ち寄り、

気付けば買ってしまっていました。

爽やかな青やエメラルドグリーンもよかったのですが、

なんとなくで赤のフレームを選んでいました。

情熱も何もない動機で買ってしまいましたが、

理由は一体何だったか。

特段覚えていないということはたぶん大したことはないのでしょう。

しいて言えば「赤が私を呼んでいた」とか。

闘牛に生まれた覚えはないんですが。

そも闘牛なら自転車なぞ使わず、自力で十分早く走れるでしょうね。


自転車はやっぱり乗ってこそ。

エネルギーは人力ですが、まぎれもなく乗り物の1つ。

人の力を越えた速さを、

手軽に体感できるいい道具です。

闘牛やチーターに生まれなかったのは残念ですが、

今日の仕事のように彼らにはできないことをしながら、

彼らと同じ風を感じることができるのは何とも嬉しいことです。

夏の前の短い寒気。

雨が運んだ涼しい風が、

火照った体を撫でていく。

ひと漕ぎすれば冷たい風に当たるものの、

ふた漕ぎすれば慣れてくる。

み漕ぎで全身に風を感じ、

よ漕ぎで風とリンクする。

まるで自分が風になったようで、

その感覚は何とも言えない。

昔のママチャリでは感じられない爽快感。

子供の頃の興奮がよみがえってくるようで。

やはり相棒と言えるくらいに、

好きなものだと思えるのです。


母の苦労とは違う苦労を知りながら、

古くなってなお風を感じさせてくれる。

この子とのお別れも遠くない。

せめて風を感じられる間に、

ワープしたいくらい遠くの街へ出かけられたらいいね。

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