13日目 テレビ

彼曰く、たまには覗いてみたくなる。


久しぶりにテレビをつけた。

何日ぶりだろう。

前に電源をつけたのは1カ月以上前だった気がする。

世間の異常さをニュースが表明したとき。

いつまでも外出を自粛しない都内の人々。

地元でしか買い物ができない人々の危機感。

世間の声など気にもかけない、無遠慮な人々。

頭の悪い無法者を排除しようと過激な動きをする地元の人々。

そう言った報道を見る間に心が疲れてしまったのです。

何の意味があるんだろう。

こういうことを報道することに、って。

報道の必要性はあるかもしれない。

世間の動き、関心を左右し、どういった対処をするのが必要かを広く知らせる。

報道のあるべき姿だとは思うし、否定はしない。

でもその怒りを助長するかのようなコメンテーター。

あれは必要あるのだろうか。

視聴者の同情を買おうとしているのか。

それともマジョリティーの気持ちを代弁しているつもりなのか。

本当のところは分からない。

私には悪戯に怒りをあおっているようにも見える。

「協力していかないと」

「もっと考えて行動してほしい」

「何を考えているんだろうね、この人たちは」

深刻そうな顔を演じて毒を吐く。

汚いものを吐かないでほしい。

テレビをつけるにはいろいろな理由がある。

暇つぶし。

情報収集。

趣味。

勉強。

正しい情勢を知るため。

何となく。

最近の理由はそんなことが多い。

バラエティーの主戦場はネット動画配信に移りつつある。

視聴者視点でいえば即時性、相互性で劣っている。

報道とは何かを問われる時代に、何とか工夫をしている印象。

唯一勝てるとしたら何だろう。

一度に大きなインパクトを多くの人に同時に渡すことができることか。

ネット上では同時性を達成することはなかなか難しい気がする。

世間をあっと言わせるような、大きな話題を押し出すことがいい点だった。

ネットには捏造も多く、話題を求めるために嘘を言う配信者も多い。

そこが両者の違いだった。

私にとっての印象はそんなものだった。

しかし最近のテレビは廃れてきた気がする。

人をこき下ろすことに重きを置いたようなコメント。

辛口という評価の皮をかぶった貶し。

火に油を注ぐような演出。

神経を逆撫でする無神経な言葉。

自分の価値観が変わったかもしれない。

興味の幅が狭くなったからかもしれない。

自分の神経の方がおかしいのかもしれない。

触れる時間が少なくなったからかもしれない。

それでも、

覗いたところにあるのが、

怒りの坩堝、無理解な言動ばかりでは、

気の休まるところがない、

意味のある吸収をさせてくれない、

テレビを覗いたことを後悔してしまう。

テレビの意味はいずこへとやら。

意味もなくつけた場合なら、

ただ悪意をぶつけられただけ。

気分を害することこの上ない。

音の少ない一人部屋。

交流の減った長い時間。

気を紛らわせるにのにテレビは一つの手段だと思う。

ネットに飽きれば他の手を使う。

人間だし仕方ない。

他でも同じことは言える。

たまたま買った本が好みじゃなかったとか。

楽しみにしていたゲームがバッドエンドだったとか。

思い切ってやり始めたことが難しくて続かないとか。

でもニュースはやめてほしい。

たまには覗きたくもなる場所。

帰ってみたくなる場所が。

火事ばかりの炎上地帯では悲しい。

せめて心休まるニュースを増やして、

この危機をみんなで乗り切られるようにしてほしい。

私のわがままかもしれないけれど。

たまの楽しみが悲しくなるのは心苦しい。

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