23日目 歯磨き

彼曰く、習慣は人の調子を整える儀式だ。


朝。起きて一番最初にすること。

歯磨き。

我が家では毎日の習慣として、鏡の前で粛々と催される。

我が家の洗面所には住人が多い。

入口に鎮座する洗濯機。

その上に居並ぶハンガーと洗剤。

隣には全員のファッションチェックを行う大鏡。

衛生管理担当の石鹸とタオル。

美容のスペシャリストのワックス、スプレー、カミソリ、カーラーたち。

お風呂場の女将はドライヤー。

次の人の入浴を促す役割と、出勤時間が近づいたことを知らせてくれる。

他にもさまざまな役割を持った者が控えている。

1日の最初と最後、朝と夜の点呼を一手に引き受ける歯磨き粉。

そして各自担当を持つ歯ブラシたち。

彼らが一番の働き者だ。

色も個性も違うけれど、目標はみんな同じ。

持ち主の口内環境と精神状態を整え、良い1日を過ごしてもらうことだ。


アラームの音が朝の訪れを知らせ、無意識のうちにそれを止める。

寝ぼけ眼をこすりながら、そのまま起きて部屋を出る。

時々壁にぶつかるのもおかまいなしに、儀式場へと向かっていく。

まるで道筋をインプットされた掃除ロボットのように、

見なくても進める道を行く。

瞼の重さを感じたまま、大鏡の前に仁王立ち。

導かれるように手を伸ばすと、歯ブラシと歯磨き粉を持っている。

中々起きない頭でも、自動的に絞り出される歯磨き粉。

当然そこにあると言わんばかりに、定位置にセットされた左腕の先には歯ブラシ。

練りだされた物体が、規定通りの長さで発射を止める。

役割を終えた右手はそのまま下に降ろされるが、そこにはやはり蓋がある。

直立に落ちる歯磨き粉。

左手に持たれた歯ブラシを見上げ、儀式が始まる音を鳴らす。

カチリという音とともに、歯ブラシが口に運ばれた。

こうして本日2度目の儀式が始まった。


先ほど行われた儀式はすさまじいものだった。

どっしりと落とされた腰の横にがっちりと手を当て、

勢いよく、しかし確実に儀式は遂行された。

やがて訪れる終わりの時。

口から流された歯磨き粉たちは、確かな爽快感を主人の口に残して消えていった。

1日の始まりはやはりこうでなくては。

そう思わせてくれるのが、この家の大女将である。

一方でこちらの御仁。

大女将の息子に当たる。

ときどきこの儀式を忘れているのではないかと心配になってしまうが、今のところ皆勤賞。

しかし最近はたるんでいる。

部活で忙しいのか、勉強が大変なのか分からないが、起床後すぐに来なくなった。

主人に文句を言うことはできない。

だがこの儀式の大事さは承知してもらわねば。

そのために装い新たにしてきたのだ。

彼を担当していた古株の歯ブラシは、抜け毛を理由に辞去を申し出た。

この場所に居を構える限り、必要なことはやらねばならない。

だが確かに、彼の成長に比して力及ばないところが出てきていたのも確か。

時代の流れと主人の成長を感じながら、新進気鋭のルーキーを採用した。

それに合わせ、歯磨き粉自身もリニューアルを決意。

大女将に認可をもらうことで、新たな儀式場を用意することに成功した。

今日はその1日目。

期待を歯磨き粉に、主人の訪れを待つ。

そして彼はやってきた。

眠そうな顔はこの後存分にきれいにしてもらうとして、まずは歯磨き。

強気な気持ちを歯磨き粉に込め、歯ブラシとともに彼の口に参入した。

その後はいつも通りながら、それでも粛々と儀式を執り行った。

左上奥から右上奥、左下から右下へ。

手前の後には歯の裏側。

丁寧に丁寧に表面の掃除を済ませていく。

エナメル質をきれいに磨いたら、次は合わせの部分。

溝の特に多いここは気が抜けない。

その次には歯茎と歯の間、隠れた敵も見逃さない。

最後は正面玄関にあたる歯を縦向きに磨く。

白さの大事なここは、儀式の最後だからこそ入念に行う。

すべてが滞りなく行われたら、清めの水で全体を流す。

3度に分けてしっかりと。

これで儀式は終了、いつもよりも達成感があったことに、住人一同ほっと息をついた。


…なんだか変な夢を見ていた気がする。

歯磨き粉がアレで、女将が云々。

意味不明な夢だった。

いつも通りの朝を迎え、いつも通りの歯磨きをする。

さっきまでは夢心地だったけど、これのおかげで目が冴えた。

僕にとっては大事な習慣だ。

1日の始まりに口の中をきれいにすると、爽やかな快感が全身に広がる。

白い歯を見れば気分も上がり、いい調子のまま1日を過ごせる。

たとえ嫌なことがあったとしても、夜にすればなかったことにできる。

塞いだ気分に爽やかな空気を取り込めば、気持ちのいい夢を見れる。

さっきの夢はよくわからないけれど、今日もいい日になる気がする。

鏡を見てニッと笑うと、白く輝く歯が見えた。

「よしっ」

いつものように呟いて、玄関に向かう。

背中に誰かの「行ってらっしゃい」を受けながら、

今日も笑って家を出る。

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