13日目 夜

彼曰く、明けない夜はない、朝は必ずやってくる。


静かな時間が好き。だから私は生きている。


一人での練習に気を取られて、時間ばかりが過ぎていた。

気付けば夕方。誰もいなくなった校庭を横目に見ながら、何度も通った校門を抜ける。今日も遅くまで残ってしまった。お母さんがきっと心配してる。

最近は説教が多くなった気がする。もうすぐ受験で塾に行っている子も多いのに、私一人だけ周回遅れのランナーみたいに言われてしまう。勉強ばかりの高校生活なんてつまらないと何度も言っているのに、あの人はなかなか分かってくれない。県大会で2位に入る脚力を持っている娘をもう少し褒めてほしいくらいなのに。まあ走るのよりも泳ぐ方が得意なんだけど。知らないはずはないけれど。

子の想いは親に理解されにくいと、古典の授業で先生が言っていた気がする。親子の関係は昔から同じってこと、お母さんは知らないみたい。聞く姿勢を取らないと説教の時間が長くなるから、聞くふりをしようと今日も決意。夕日の優しい朱の光が帰り道を照らしてくれている。

帰り道は静かだから好きだ。

いつも一人で帰るから、邪魔されずに好きなことを考えられる。将来のこと、心配な後輩のこと、仲良しの友達の悩み、片想いの先輩。自分の時間に浸っている感じがする。いつも見慣れた風景で目新しいものはなかなか見つからない。

でもだからこそ、思考の海に潜っていける。無意識に足が進むのと同じか、それよりも速くイメージが回転する。潜れば潜るほど、思考は深く、静かに時間が過ぎていく。一人の居残り練習と同じ。

でもまだまだ答えは見つからない。帰り道の静かな時間だけでは物足りない。早く家に帰らなきゃ。暗い時間がやってくる。


夜は不安で眠れないという子がいた。仲良しの友達で、彼女は誰よりも明るい人気者。部活の時間にそんな話をされた。

「部活の成績は悪くない。コーチの個人練習や先輩からのアドバイスで、ターンの仕方やフォームも改善されてきてる。基礎体力もついてきたし、1年のときに比べたら食べる量も増えた。体は十分仕上がってきてる。」

彼女は誰にともなく呟いた。

「なのに怖くて眠れない。いつか今みたいに泳げなくなるんじゃないか。本当には私はクロールじゃなくて平泳ぎが得意なんじゃないか。この前まで自信のなかった後輩にタイムを抜かれるんじゃないか。そうなったらコーチも先輩も見てくれなくなるんじゃないか。怖くて怖くて仕方がない。夜になると周りが見えなくなってきて怖い。私はどうしたらいいのかな」

二人でプールサイドに座っている間、彼女はずっと一人で喋っていた。気付けば部活の時間は終わって、彼女は帰ってしまっていた。


私は夜が嫌いじゃない。だからうまく返せなかった。

どう話せばいいかを、帰り道でずっと考えた。暗い暗い夜の底で一人悩んでいる。静かな時間に考えて、やっと見つけたその答え。彼女は夜が怖くても、私が怖くない理由。

彼女は暗いのが怖いんだ。ずっと暗い時間を過ごして、誰にも見つけてもらえない。独りの時間に慣れていなくて、仮初めの光の中で悩んでいる。常に光が当たって、誰かの視界にないと不安になっている。明かりに近づきすぎると危ないと知っているはずなのに。

彼女は静かなのが怖いんだ。常に気を張ってアンテナをはっていないと、誰の声も届かなくなってしまうから。自分の声だけが大きくなって、世界に一人だけになった気になるから。そんなわけないと知っていて当然なのに。

だって、明けない夜はないんだから。

夜は自分の力を蓄える時間。いつも明るくてうるさいところにいたら、心も体も疲れちゃう。休む時間も作らなきゃ、せっかくのトレーニングが台無し。頑張ることも大事だけど、同じくらい休むのも必要。リラックスタイムはお肌にも大切。部活だけが生きることじゃない。勉強も恋もしなくちゃね。だから夜は落ち着くの。一人でも、静かでも、怖がることない。朝になれば自然と不安も無くなるんだから。

そうして迎えた朝に向かって、「おはよう」と叫ぶのだ。ひとり静かに溜めた力を、たくさんの人に見せつけて、拍手喝采を浴びる日を夢見て。暗く静かな夜しか生きていなかった私が、日の目を見る時が来ることを心にとめて。誰にも見られていなくても、気付かないところで知ってくれてる。ちっぽけな不安や恐怖なんか吹っ飛ばせるくらい、たくさんたくさん力を蓄えるんだ。


少しだけ帰るのが遅くなってしまったけど、お母さんの説教は短かった。「あんまり根詰めすぎないようにね、タイムいいんだから」やっぱり知っててくれた。静かじゃない時間が少し減ってしまったけど、それで悲しくなりはしない。今日も明るい一日だったな。

外はもう暗かったけど、やっぱり怖くは感じなかった。明日も明るい一日が来る。帰り道に考えて、やっと見つけたあの答え。もっと深く考えて、説得力を持たせられるはず。私の好きな、静かな時間はこれからだ。

明日はあの子に伝えなきゃ、明けない夜はないんだよと。

明るい朝は、必ず来ると。

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