第5話 永続する繁栄の秘密

「駄目だわ。どうしても衰退してしまう。やはり、1億年目で藍藻らんそうを生んでしまうのは良くないのかしら」


 ここは生命を生み出す『海』の上。創造主たちの部屋がある場所は闇に満たされているのに対し、この場所は光に満たされている。


「だけど、酸素の大洪水を起こさないと、人間の基礎は創れない」


 風も音も何もない、鏡のように静まり返った水面に立ち、イデアは何やら小難しいことを考えている。


「酸素はあらゆる物体を破壊する猛毒。酸素を大量に必要とする種族と、そうでない種族を見比べれば、酸素が衰退の原因であることは確か。だけど、それを解消したからといって、繁栄の素にはならないわ……」

「よう」


 声と共に強い下降気流が発生し、海に大きな波を立てた。


「あら……アイオン? 着地は静かにしてちょうだい。髪が乱れるでしょう?」


 イデアは髪に手櫛を入れながら振り向く。


「悪い、悪い」

「ここへ来るなんて珍しいわね。何か企んでいるのかしら?」

「いや? ただ、俺も考えてたんだ。それで、いろいろ聞いてみたいと思ってさ」

「へえ。どんなことを?」


 イデアがそう言うと、アイオンはしゃがみこみ、彼女の顔を見た。


「俺はさ、別宇宙の奴だって別に敵じゃないんだから、少しくらい覗いてそこからヒントを得てもいいと思うんだけど……どうしてイデアは別宇宙の奴に近づきたがらないんだ?」

「それは私たちが競っているからよ。特にあの存在とね」

「あの存在?」

「そう。私と対を成すように発生した、根源的存在。仮に『エイドス』と呼ぶ存在よ。それで――」


 この宇宙の外にはイデアのような根源的存在が他にも存在していて、それぞれが決まった形式で宇宙を創り、その中で人類の暮らす『世界』を運営している。その根源的存在の中でも、特にイデアがライバル視しているのがエイドスである。と、彼女は説明した。


「まあ、『競う』というのは変かもしれないけど、私と彼はそういう関係なのよ。競っているのにこちらだけ勝手に他の存在の手を借りたら、反則というものでしょう?」

「そうか……それもそうだな」


 アイオンが海に視線をおろす。海は元の静寂を取り戻し、まるでその中にもう一柱、同じ姿の存在があるかのように、鮮明に彼の姿を映していた。


「ところで、イデアってどのくらい前からここに居るんだ? 輪廻に調べてもらったけど、該当する存在が無いって」


 アイオンが海に映る自身をつつく。


「時という概念のないこの空間において、その質問は意味を失うと思わない? だけど、あえて人間の基準で言うなら、この宇宙だけで1360億年、それ以前に、最低でも70回は宇宙を回したから――」


 いまいち、ピンと来ていない様子のアイオン。


「ええと、電卓、電卓……」


 アイオンは計算機をその場で創り、数字を入力する。その姿を見て、イデアは小さく笑った。


「1360億の70乗は……Infinity? 無限って、答えになってないだろ……」

「当然よ。私が発生した時には、まだ『存在』という概念すらなかったのよ? 数字や時という概念なんて、私からしたら人間と同じ程度のものだわ」

「ほんと、イデアって俺たちから見ても不思議な――」


 そう言いかけたところで、アイオンの顔色が変わる。


「何だ?」


 不意に、原因の分からない風が発生した。


「何か来るわ! アイオン、あなたは帰りなさい」


 イデアは慌てた様子で、空間を凍結させはじめた。これは彼女が緊急時、情報を守るために使う力だ。


「分かった、あとは任せた!」


 何か大きなものを察知したアイオンは、慌てて上昇気流を起こし、元の場所へ戻った。


「輪廻、今ここへ侵入しようとしている存在を特定してちょうだい」


 イデアは無限の暗闇の中に存在する『輪廻』へ声を飛ばす。


≪不可能だ。時という概念のない時点から存在している。おそらくはお前と同等の――≫


「久しいな、イデアよ」


 イデアが凍結を終えるより速く、輪廻が回答を終えるより早く、その存在は、イデアの宇宙の中に居た。


「その気配は――」


 イデアは足元を見る。波紋もなく、姿も映っていない。


「エイドス。なぜここへ?」


 イデアの髪が浮き上がり、その一本一本が生きているかのように動き出す。根源的存在の持つ『大いなる力』が、対を成す存在の力に反応しているのだ。


「実を言うと、我はこの戯れに興味を失いつつあるのだ。他の者より一足早く、次の戯れを始めたいと思ってな」

「それで、今回は私に勝ちを譲ってくれると?」


 エイドスはゆっくりと頷いた。


「我の研究結果を、お前に見せよう――」


 生命の海に、ある風景が映る。エイドスの創造する世界をシミュレーションしたものだ。


≪人類は上位10%と下位90%の集団に分かれたときが最も安定した繁栄を見せる。これを便宜上、上位種、下位種と呼ぶ。そして下位種は、上位種の創り出した思想に従い、一定のパターンを持って活動する。一方、上位種はパターンを持たず、自由に活動する≫


「駄目よ。それではいずれ、上位種を見てパターンを拒絶する個体が現れるわ」


 イデアの言葉通り、海に映る人類の繁栄は、みるみるうちに崩れてゆく。


「ああ。そうならないように、彼らの認識に『盲点』という本質的要素エッセンスを与えたのだ」

「……パターンの中に『自由』を創ったのね」

「そうだ。そして定期的にそれを補正する。我はこれを論理緩急方式と呼んでいる」


 海に発生する新たなシミュレーションに、イデアが眉をひそめる。


≪この方式では、下位種は睡眠や食事といった、生理的欲求を満たす行為をはじめ、全てを自分の意思で行っていると信じている。そして、一般に『異性』と識別される身体的特徴を有した個体と結ばれ、子を創ることが当たり前で幸福なことであると認識している。しかし、それが上位種の利益のために植え付けられた『パターン』であるということを認識することはない≫


「我の世界において、人間の性別は32通り存在する。だが、あえて2通りのみを認識させることで、人類の知能を制限することができる。また、自身の存在を正しく認識できないことは、能力の制限にもつながる」


 そのような補正を積み重ねることで、意図的に無知無能を創り出し、認識の盲点を――自由を維持しているのだ。と、エイドスは付け加えた。


「私の世界で言う『宗教』のようなものかしら。人類の行動に制限を与えながらも、それを認識させない。むしろ、強制されているはずの行為を自ら好んで行うようになる」

「そして、その構造はビジネスになる」


 エイドスの顔がほころぶ。


「でも、あなたの世界にそれを導入するのは、ずいぶんと趣味の悪いことじゃない?」

「だからこそ、お前に譲るのだ。我の世界において、下位種は上位種の富を循環させるために生産された、生殖用の品種に過ぎない。だが、お前の世界でこれを使えば、人類をより人間的に繁栄させることができるはずだ。それに、認識に盲点があることは人類にとっては悪いことばかりではないらしい」


 その言葉に、イデアが眉を上げた。


「イデアよ。人間がなぜ『願う』か、分かるか」

「それは繁栄のため、常に無いものを求めるように創られているからよ」


 エイドスは再び頷いた。


「では、その願いは何によって維持されると思う?」

「どういうこと?」

「人間の願いは必ずしも叶うわけではない。我々は彼らの言う全知全能だ。だが、彼らはそうでない。願い続け、努力し続けてもそれが叶わなかったとき、人間はどうなると思う?」


 いまいち、質問の意味が理解できていない様子のイデア。


「そんなこと、考えたこともなかったわ」

「『絶望』するのだよ。無いものを求め、それがどうしても手に入らないとき、人間は代わりに死を求めるのだ」

「絶望……? つまり、人類はある時点で決して叶わない事柄に気付いてしまい、それに絶望することで滅亡してしまう、ということね?」

「その通りだ。そこで、彼らの『手に入らない』という認識に、盲点を与える」


 その言葉に、イデアは目を見開いた。


「まさか――」

「そう、それが答えだ」


 どこからか透き通った振動音が響き渡る。その独特の倍音は、海に波紋を生じさせた。


「世界に最後のエッセンスを。お前に完美なる世界を。では、次の戯れで、また会おう――」


 そう言い残して、エイドスは宇宙の外へと溶けて消えた。


「最後の、エッセンス――」


 辺りには限りない静寂だけが残った。

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