第187話 リヨスの手柄
昨夜のこと。急にサラの部屋を尋ねてきたエルハは、そこで初めて事の詳細を語った。黒い魔物がいること。空から欠片が落ち、眠りの病が蔓延していること。そして、扉が失われれば日本に行くことは出来なくなること。
薄明るいランプの下で、サラの表情が曇る。
「えっ、じゃあ……」
「うん。晶穂とリンは離れ離れになるかもしれないし、克臣さんも向こうに戻ってしまうかもしれないってこと」
「そんな……」
サラのベッドに横並びで腰掛け、サラはエルハの肩にもたれかかった。そして、ふと呟く。
「晶穂は、どっちを選ぶんだろ」
「単純に考えるなら、彼女は元々向こうに人だから、元居た世界に戻って生きていくのが望ましいだろうね。……だけど、そう単純なものではない」
「そうだよ。晶穂、リン団長のこと大好きだもん。二人共照れるから何も言わないかもしれないけど、見ててわかるもん」
サラの潤んだ瞳がエルハを見つめる。エルハは「知ってる」と頷いて恋人の髪を撫でた。
「あの二人には、幸せになってほしい。……克臣さんも幼い頃からここに出入りしていたらしいから、迷っているだろうね。だけどあの人には、日本で暮らすべき奥さんと息子がいる。彼女たちが今まで生きてきたのは、向こうの世界だ」
「うん」
サラにきゅっと握り締められたエルハのシャツに、しわができる。その細くて小さな手を自分の手で包み込み、エルハは「大丈夫だよ」と呟いた。
「みんな、自分のことだけを考えて苦しんでるんじゃない。大切な誰かにも笑顔でいてほしくて、その最良の方法を探してるんだ。……僕が、リドアスで生きていくことを選んだように。みんな、きっとより良い方を選べるから」
「……うん」
そうして寄り添ったまま朝を迎えて、エルハは出掛けてしまった。
サラにとって、晶穂は外の世界から来たとはいえ大切な友人だ。そして克臣も、昔から知っている大切な仲間と認識している。彼女らを失うことを、サラは考えることが出来なかった。
「……きっと、うまくいく」
窓の外では、シンがその大きな翼を羽ばたかせて飛び上がった。
サラは、東へ向かう旅路の無事を祈って立ち尽くしていた。
「シン、呼び出してすまなかったな」
びゅうびゅうと吹き付ける風に負けないよう、リンは声を張った。首を横に振って応じたシンは、バサリと夜空色の翼を羽ばたかせる。
「むしろ、うれしいよ! さいきんよばれなかったからね」
「ぼくらもシンと飛べて楽しいよ!」
「ユキ、楽しいのはわかるけど、もう着くぞ。気を引き締めろよ?」
「わかってるよ、唯文兄」
眼下には、乾いた大地が広がっている。砂と岩しか見あたらないような場所だ。やがてオアシスを経て、洞窟が見えてきた。
「あれが……リヨス?」
春直が目を丸くして指差した先に、巨大な白い虎の姿がある。大きな爪と手足で岩をどけ、洞窟の入り口を広げようとしてくれているのだ。
「リヨース!」
「グルル」
シンが呼びかけると、頭を上げたリヨスが喉を鳴らした。
リヨスの傍に着地し、シンの背中から順に降りて行く。滑り台を滑るように降りる年少組に対し、年長組はひらりと跳び下りた。そんな中、晶穂は思わぬ高さに動けなくなっていた。
「晶穂、降りられないのか?」
「あ、はは。乗る時も手を引いてもらった手前、言えたものじゃないんだけど……助けて?」
「仕方ない。ほら」
リンは晶穂に向かって両手を広げた。
「え」
「受け止めるから。跳び下りるんだ」
「わ、わかった」
ごくん、と喉を鳴らし、晶穂は目を瞑って跳び下りた。
一瞬の浮遊感の後、ぽすんと温かなものに包まれる。そっと目を開けると、安堵の笑みを浮かべたリンの顔が目の前にあった。晶穂はリンに抱き留められたのだ。
「ほら、大丈夫だっただろ?」
リンはわずかに頬に浮かぶ赤色を意識しないよう、少し視線を外して晶穂を下ろした。晶穂もぎこちなく首肯する。
「う、うん」
「練習すれば、すぐに一人で降りられるようになる」
「頑張る」
「……っと、じゃあ行くぞ」
「あ、うんっ」
既にリヨスのもとへと集まり彼を労っている仲間たちのところへ、二人は遅ればせながらも駆けて行く。
「おや、もういいのかい?」
「……ジェイスさん、何がですか?」
からかい口調のジェイスに、リンは照れ隠しに少し語気を強めて尋ね返す。
「いや、気にするな」
少し強めの口調で意地を張ったところで、この兄貴分には通用しない。リンは諦めてそう結論付けると、年少組とじゃれているリヨスの首回りを撫でてやった。気持ちよさそうに喉を鳴らす。ふさふさの毛が、心地良い。
「リヨス、助かった。ありがとう」
「グルル」
「兄ちゃん、見てよ。洞窟の入り口ができてる!」
「あの大きさなら、みんな通れるんじゃないですか?」
ユキと春直が指差すのは、落石で塞がれていたはずの壁面であった。確かに、人ひとりが通れそうな隙間が空いている。
「よし、また岩が崩れてきてもいけない。リヨスとシンはここで待っていてくれ。万が一入り口が塞がれた時は、俺たちを助けてほしい」
「グルッ」
「わかったよ、リン」
白虎と龍の了承を得て、リンは仲間たちを振り返った。
「行こう。創造主のもとへ」
全員が頷き、一列となって小さな入り口から洞窟の中へと入って行く。先頭がリン、次に晶穂、ユキ、ユーギ、春直、唯文、ジェイス、エルハ、最後が克臣だ。
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