第16話 嵐の勇者《アドヴァサリー》(3)

「サイフィリオン、あの機動甲冑――エールザイレンの能力を教えて」

『了解。エールザイレン、スペック、ロード。マナサーキット、ダイレクト』


 言葉で説明されるのだと思って聞き耳を立てていたオクタウィアが目を丸くする。脳裏に相対する機動甲冑の詳細な能力が手に取るように浮かび上がったからだ。

 以前にも似たようなことはあった。サイフィリオンに初めて搭乗した時のことだ。初めて動かすというのにわずか数度の操作や思考で自らの身体のように動く。「どうすればいい」と思考をする必要すらない、あの奇妙な感覚が蘇った。

 そんな驚きと疑念は即座に振り払われ、ただ目前の敵の力量を見計みはかるだけに頭脳の処理が働く。


「……流石に相手が誰が動かしているのかはわからない、ですよね」

『肯定。現在の搭乗者不明』

「大丈夫、それよりもあの武器……」


 頭に刻まれた情報と目前の機動甲冑は手にしている武器が明らかに違っていた。

 おそらくは現代で作られた長剣なのだろう。理由はわからないがそれだけが不自然に思われてならない。だとすれば付け入るだけの要素になると踏んだ。


「魔術は通じない……なら!」

『魔力増幅炉、バイパス切り替え』


 自らと一体になって操る機動甲冑の全身を巡る魔力に全てを振り分け、荒野を一足飛びに駆け出す。

 機体そのものをぶつける覚悟での突撃は回避されるが抜かりはない。


『SAS作動、オートバランサー・カット、RT修正』


 避けるとわかっているのであれば、

 あまりの急制動と再加速による、超至近距離からの二撃目の突撃。

 蒼穹の機動甲冑と称されるサイフィリオンの天衣無縫てんいむほうな一撃を、漆黒の機動甲冑はまともに受けざるを得ない。

 だが、同じく嵐の機動甲冑もまた遅れを取る物ではない。

 手にした長剣でこちらの一撃を反らし、直撃を避ける。貫いたのは肩。装甲の一部が弾け飛ぶ。もう片方の空いた掌でサイフィリオンの刃を掴み取り、へし折ろうと力むのが見えたものの――。


「出来ると、思っているんですか?」


 アルス・マグナが保有する機動甲冑の数々。

 その中でも最硬の強度を誇る武装を備えたルナティアの誇りたるボーパレイダーの剣を参考に作られたウーツ鋼の刃は仮令たとえ同じ機動甲冑であろうと簡単に砕くことなど出来はしない。

 しかし、膠着状況であることに変わりはなく、オクタウィアはエールザイレンが掴んだままの剣を切り払い、よろけた所を間髪入れず蹴り飛ばす。

 吹き飛んだエールザイレンにさらなる追撃のため、即座に再加速し疾風を纏わせて地を駆け抜けるサイフィリオン。

 標的を視覚の中心に収めたオクタウィアだったが……瞬間、無防備な両の瞳に突き刺さる光。


「くっ!!」


 同時に襲ってきたのは凄まじい爆発音。白熱した閃光に思わず機体の脚を止めてしまう。

 おそらくは魔術による爆炎だと即座に理解し、距離を取る。

 オクタウィアの視力が回復して見れば、またも距離は互いの剣の間合いがギリギリ届くかどうかの距離。

 ――あと一撃が入らない。

 それは向こうも同じなのだろう。皮膚の表面を焼け付くような緊張感が走る。互いに決め手を欠き、手持ちの魔力だけが心許こころもとなくなっていく。このままでは一方的に状況が悪くなるばかりだ。


『警告――魔力残量残り一〇パーセント。作戦行動時間二〇分』

「もし、師範だったら……」


 どうするのだろうか。

 相性の悪い魔術戦闘は明らかに不利。近接戦闘でしか相手の打倒は出来ないだろうが、その近接戦闘を向こうは徹底的に嫌っているのがわかる。

 より正確には近接戦闘の間合いに入られることを明確に避けている。

 しかし、先程の限界に近い速度での接近であれば――。


「サイフィリオン、師範の……エールセルジーみたいな近接戦闘は出来る?」

『――肯定。サイフィリオンの戦闘データの参照は可能』

「時間がかかるのかしら……」

『必要推定時間五五秒。その間の自動防御は不可能』

「……わかった。出来る限り私だけで操縦して保たせるから」

『了解。ネットワークリンク、確認。データリンク・スタート』


 途端にオクタウィアは体全体にかなりの重圧を感じた。実際に重しを背負った、という訳ではない。

 それは自らの機動甲冑から受ける高純度の魔力の奔流だった。初めて握った魔力の流れに、これをサイフィリオンがずっと肩代わりしてくれていたと知る。

 愛機の信頼を預かって胸が膨らむ。それがうぬぼれであってはならないと、眉間にしわを寄せて漆黒の機動甲冑を凝視して叫ぶ。


「いくわよ!」


 少女騎士にとって、人生で最も長い一分間が始まる。

 閃光と土埃つちぼこり、火炎と爆撃。間断なく続く、あらゆる感覚を焼く手練てれん手管てくだの数々をいなし、かわし、防ぐ。

 放たれる魔術による一撃はどれ一つ取っても真正面から喰らえば致命。防御術式は紙くずのように次々破られる。

 機動甲冑は神話で語られていたような無敵の存在ではない。それは先の氷嵐竜トルメンタドラゴンとの戦いを目にしたオクタウィアには充分に理解していた、そのつもりだった。

 いずれ、あの時の竜などを相手に戦場に立つ自覚は脳裏にあっても、同じ機動甲冑同士での戦いなど当然彼女の想像の外であり――。

 しかし、だからこそ改めて実感する。それは自らが未熟だからとか、神話で語られるのは誇張であるというわけではない。

 最強の戦闘兵器であるからこそ生まれた、付け入る余地の存在だ。

 オクタウィア自身の内にも存在し無自覚であった弱点、それは相手の胸中にもあることがここまで刃を交わして見えてきていた。なればこそ自らの持つ手札の最大の強みを、そこにぶつける他はない。

 一秒一秒が長く、永遠とこしえにも思われる一分間。残り時間を数える余裕もない。


「まだ、なの――」


 殺しきれない爆発の衝撃と熱気がじわりじわりと自らに降り注ぐ感覚。奥歯を噛み締めて耐えながら、解が導き出される瞬間を待つのは実質的な初陣に立つオクタウィアにとっては地獄の苦しみであった。

 僅かな緩み、隙を見せれば直ちに途切れる綱渡りの時間。幾重にかる死線を紙一重で乗り越え続けた果てに、遂にその時が訪れる。


『――データリンク・コンプリート、モーションパターン・セット、マナサーキット・ダイレクト』

「――来たッ!!」


 一瞬にして脳裏に刻まれるのは、機動甲冑サイフィリオンの導き出したこの戦場における最適解。それに迷わず全賭けを選ぶ。


「なら、ここに魔術を追加すれば――」

『オートパイロットモード復帰、魔力増幅炉レベルフォー、ニュートロン・エンジン、フルドライブ』

「セット、ゲットレディ!」


 重圧から解かれたオクタウィアの絶叫と同時、無数の氷槍がサイフィリオンの周囲に現出する。


『フォーミュラ・アサルト、RTアレンジ』


 先程、通用しなかった魔術であることは承知の上だった。

 飛来する氷の刃を相対した機動甲冑エールザイレンは回避の素振りすら見せない。同じように水蒸気爆発と土煙が起こるだけだ、と。

 せいぜいが事も無げに巻き上がった霧を切り払うばかりで直立した漆黒の機動甲冑の視界の枠にそれは一瞬だけ映った。

 疾走する蒼。

 振り向く間すらそこにはない。

 エールザイレンの搭乗者が知覚したのは背後から襲ってきた埒外らちがいの衝撃。何が起こったのかすら不明な攻撃に襲われ、吹き飛び、大地に伏していた。

 立ち上がろうと態勢を立て直す間に眼前に迫る蒼。振るわれる刃を躱したのは偶然以外の何物でもない。

 すでにさらなる追撃の形を取るのを理解したエールザイレンの搭乗者は決断を迫られる。


『――王都の者』


 それは突如オクタウィアに聞こえた声。思わず追撃の手が止まる。

 目前の機動甲冑から放たれた物なのだと理解するのに僅かに時間がかかった。


『今日のところはここまでだ。見逃してやる』


 何をバカなと思わず声に出そうとするが、それが決して過言ではないと一瞬で理解する。

 足元で胎動する魔術の陣。

 ここがイメルダ領との境界線近くであったことを失念していた。地の利を利用した何らかの魔術を、眼前の機動甲冑が発動させようとしている。そう気づき後退あとずさる。


『了承と見なした――次は殺す。必ず殺す』


 目前で吹き上がる爆炎が視界を塞いだ。

 炎が晴れたのち荒涼とした大地の果てにさえその機影はなく、まもなくして緊張の糸がぶつりと途切れたオクタウィアは大きなため息をついた。


 ***


 ラリサ郡からも近いキエリオン郡最南端の町ソファデス近郊。

 可燃物の無い荒野のど真ん中で吹き上がる得体の知れぬ爆炎。

 それを見て不吉を悟ったアグネアは愛馬に乗って駆けつけた。

 原野の中で天空を仰いだまま瑠璃色ラピスラズリの巨人兵が静止していた。


「オクタウィア! そこにいるのか!? 大丈夫かッ!」


 叫ぶ胸中によぎった嫌な予感。


『……おば、さまぁ……?』


 それとは裏腹にあまりにも腑抜ふぬけた姪っ子の声が紫銀しぎんの甲冑越しに返ってきて、鬼気迫る顔で鋼の巨人を見上げていたアグネアは唖然とするほどだった。

 間もなく鍵剣を抜いたのか瑠璃色の騎士から魔力の胎動が消失する。だがそれからいくら待てどオクタウィアが出てくる気配がない。


(どうしたんだ……動けないのか)


 待ちかねたアグネアは垂れ下がった縄梯子をよじ登り、半開きの扉をこじ開けた。


「ウッ!? なんだこれは!」


 血の臭いは言うに及ばず、汗や涙、ありとあらゆる排泄物といった体液が混ざったどぎつい臭いがした。最前線にでも行かない限り味わうことのない不快な臭いにたまらず扉を全開にする。

 決して広くはない操縦席の床に溜まった赤黒い液体。そこに爪先つまさきを突っ込んで縮こまり、丸まったまま震えている姪の姿を一目見た時、居たたまれない気持ちが込み上げてきた。

 オクタウィアの華奢な身体を操縦席から引きずり出してアグネアは言葉を失った。両腕の甲に裂けたような出血の跡があったからだ。


(これほどの出血を抑える魔術の心得はなかったはずだ。どうなっている!?)


 出血自体は完全に止まっている様子だが体力消耗が著しい。その身を抱きかかえるように労わって抱擁する間に、正規軍部隊もアグネアに追いついた。


「誰か衛生兵はいないか? ここに負傷者がいるぞ!」

「おります! お手伝いするので下に降ろしましょう」


 正規軍の精鋭数名に手伝ってもらい、オクタウィアを地面に降ろしていく。それを高所で見守る間、この原野で何が起こったのか、アグネアは把握しつつあった。

 周囲をぐるりと見渡す。オクタウィアほどではないが、それなりに視力は悪くないアグネアは一帯に不自然に飛び散った氷片や金属片に気づいた。

 衛生兵にオクタウィアの身柄が渡ったのを見届けつつ、地上にいた分隊長の一人をアグネアは呼び止めた。


「風の禁呪を使った形跡がある。両手の傷は無理やり禁呪の封印を解いた際にできたものかもしれない」

「フリーズ・ランサーですか!? なぜこんな辺境でそんな高等魔術を使ったのか」

「私にもわからん。だが上から見たところ、この一帯に金属片が多数転がっている。状況から見てかなりひどい戦闘があったとわかる」

「わかりました。手の空いている者に調べさせます」


 衛生兵が応急手当を施している間、その他の兵士たちは周囲に散らばった金属片や氷片を可能な限り集めてきた。すると兵士の一人がこんな報告を持ち帰った。


「ひときわ大きな金属片が見つかりました。ですがあまりに大きすぎて、我々だけで持ち運べそうにはありません」

「わかった、案内してくれ」


 報告をもたらした兵士が分隊長とアグネアを連れて行った場所には明らかに人工物とみられる大きさ三フィート余り約一メートルほどの角ばった鋼の塊が一つ。漆黒に塗られていたそれはアグネアには見覚えがない。


「間違いない。コイツは機動甲冑の装甲だろう……しかし、妙だな」

「どうかなさいましたか? 将校殿」


 腕組みして首を傾げるアグネアに分隊長が問う。


「こんな色彩はサイフィリオンには無かった気がする。きっと別の何かだ」

「あんなバケモンが他にもいるんですか!? そんな話聞いてないですよ!」


 アグネアは再びオクタウィアのもとに戻る。兵士たちの手によって外傷の手当てが終わっていた姪が意識を取り戻す場に、幸い居合わせることができた。


「気が付いたか」

「……叔母様?」


 安堵で頬が緩んだかと思ったのも束の間、端整な顔がくしゃくしゃになった。

 近年見ることのなかった大泣きを聞きながら、苛烈すぎる初陣を生き残った姪っ子の身体をアグネアは抱きしめていた。


「よく頑張ったな、オクタウィア」


 赤子をあやす母親の気持ちがほんの少しだけわかった気がした。


 ***


 しばらく待って、落ち着きを幾分取り戻したオクタウィアからこの場で何があったのか聞きつけたアグネアは部隊を二つに分けることを提案した。報告のため先行してカルディツァに戻る部隊と、サイフィリオンに随行して引き上げる護衛部隊である。十名を報告部隊として先行、残りを護衛部隊として残す方針が決まった。

 すでに回収していた金属片は輸送用の荷馬車を調達した報告部隊が先に持ち帰り、残りは交代で辺りを哨戒して異状がないことを確認し続けた。

 オクタウィアは大事を取って近隣の町で一晩休ませてから、翌朝サイフィリオンと一緒にカルディツァに発った。サイフィリオンを前後から護衛するように護衛部隊が随行したが、その殿しんがりで愛馬に乗るアグネアの表情は険しかった。

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