第9話 軍事教練(4)

 機動甲冑『エールセルジー』は再び街道をゆっくりと進み始めた。いつもは真っ暗な操縦室に、この日はほのかに明かりが灯っている。

「……っ」

 操縦者であるシャルルは一人の若き貴婦人を両腕に抱えていた。ルナティア王太子ベアトリクス王女である。一人乗りを前提とした操縦席にベアトリクス王女をお姫様抱っこする形で乗り込んでいる。最初はかなり恥ずかしがっていたが、今は少し落ち着いた様子であった。

「あ、あの……カロルス……?」

「やはり窮屈でございますか?」

「い、いえ……それは理解したうえで搭乗しておりますのでかまわないのですが……外の景色が見えるようにはできないのかと」

「俺が見ている光景を王太子殿下にも見せてやってくれるか、“ケイローン”」

アドミニスタAdminister要求、ゲストGuest登録――認証。マナサーキットMana-CircuitスキャニングScanning――ビジョンVisionコネクトConnect

 ケイローンという耳慣れない単語を聞いて訝った王女は次の瞬間、目を見開いた。視覚に何かが割り込んで、壁に隔たれて見えるはずのない光景が見えた。

「これは……なぜ外の景色が透けて見えるのですか?」

「よくわかりませんが、こいつが見ている景色が視覚に入ってくるのです」

「そんなことが……これが機動甲冑の性能なのですね……ひいっ!」

 不意に眼下を見てしまい、高さを意識した王女は恐怖を感じた。彼の首筋に回した右腕でしっかりとすがりつく。

バイタルサインVital SignsイエローYellow、ゲストの心拍数増大を確認』

「大丈夫ですよ、殿下。この機体が見ている光景を目にしているだけで、実際に床が透けているわけではございません。高い場所から遠くを見るような感覚でいらっしゃればよろしいかと」

 実際、彼のたくましい両腕が彼女のたおやかな腰の上と腿の裏を支えており、身体が床にすらつかないのだ。彼女がじたばた暴れてもびくともしない。それを理解した身体が抵抗をやめて大人しくなるのは案外早かった。

『――バイタルサインVital SignsグリーンGreen

「それにしても……馬車とは比べ物にならない速さで動くのですね、この巨体は」

「本気を出せば、王都から演習場まで一時間余りで着くことができます。街道の上では比較的早く移動できるみたいです」

「そんなことが……!?」

 なんとわずかひと月ほどでこの『資格者』ソードホルダーはこの機体の使い方の一端を知り始めていたのだ。

 すると間もなく王太子の命によって先に発った馬車と護衛たちが見えてくる。すぐに追いつくと、彼はこう言った。

「こちら『資格者』カロルス・アントニウス。王太子殿下をお乗せして先に演習場に向かう。先を急ぐゆえ、失礼する!」

 そして易々と追い抜いていったではないか。王太子に帯同するような精鋭たちの度肝を抜くことを平然とやってのけたのである。

「さて、少し本気を出すと致しましょう。このような窮屈な場にお姫様をいつまでも閉じ込めておくわけにはまいりませんので――元の速度で巡航開始だ!」

『了解。ニュートロン・エンジン、ハーフドライブ』

「え!? きゃああああああっ!」

 彼がそう指示を出すと、機動甲冑はますます速度を上げる。にもかかわらず揺れを感じない。ベアトリクスは見たことのない速さで通り過ぎる景色を呆然と眺めながらその華奢な身体を彼の両腕に預けていた。


 ***


 一方、アグネアたちはおよそ一二〇人にも及ぶ新兵たちを二つに割った上で、数日間をかけて野営の設置や模擬戦闘を行い、これらの戦闘で傷ついた兵の応急処置なども含めた、本格的な訓練に取り組んでいた。王女の侍女であるヘレナもまた、自らが得意とする治癒術の指導に立ち会っており、後進の育成に力を貸していた。演習場の広い敷地を十二分に活用した訓練はこうして最終盤を迎えているところであった。

「あっ……師範がお帰りになったようです」

 オクタウィアの色違いの目が王都から戻ってきた機動甲冑の姿を真っ先に捉えた。四本の脚を器用に操って未舗装の軍道を走ってきた人馬獣の巨体が、演習場の入り口付近でいったん止まった。

「え……あのお方は……ええええっ!?」

「どうしたのですか、オクタウィア? そんなに素っ頓狂な声を出すなんて」

「王女殿下! あの機動甲冑に、王太子殿下が!」

「なんですって!?」

 ソフィアは私物の遠眼鏡を取り出して、機動甲冑の方を注視した。すると縄梯子を伝って降りてきた姉の姿に言葉を失った。シャルルが縄梯子をしっかりと下で握っており、万が一姉が足を踏み外しても受け止められるように備えているのがわかった。

「何をよそ見をしているのですか? 殿下、それにオクタウィアも」

「叔母様! 大変です、ベアトリクス王太子殿下がお出ましになりました!」

「なんだと!?」

 二人をたしなめたアグネアが馬に乗って、機動甲冑の方へと駆けていった。確かに王太子ベアトリクス第一王女の姿がそこにあった。近くで下馬したアグネアは跪礼で若き貴婦人を迎えた。

「王太子殿下! こんな僻地までわざわざお越しになるとは……いつおいでになったのですか?」

「ごきげんよう、ラエティティア。カロルスに無理を言って、今しがたここまで連れてきてもらいました。訓練に励んでいるようですわね」

「はっ! 殿下のお計らいの賜物でございます!」

 ベアトリクスがアグネアに挨拶をしている間に、シャルルはエールセルジーの背中にロープで括りつけた積み荷を降ろしていた。とても長い何かを背負った彼が縄梯子を下りてきて、両手で捧げ持ってひざまずいた。

「王太子殿下、お荷物を降ろさせていただきました。損傷がないか、念のためご確認をお願いいたします」

「ラエティティア、手を貸してもらえるかしら?」

「は、はぁ……かしこまりました」

 よく事情が呑み込めないでいたアグネアであったが、頑丈な布で包まれたその封を解いてわかった。

「これは軍旗ではございませんか! しかも、『単頭の百合』……まさか!」

 金刺繍が施され、一輪の百合の花をかたどった意匠の旗を見て、アグネアは言葉を失った。

「いよいよソフィア王女殿下に……軍旗を下賜されるのですね」

「ええ、女王陛下からのご命令を内々に受けました。いまだ軍務卿メガイラすら知り得ない極秘の命令です」

 女王ディアナ十四世の従妹でルナティア王位継承順位第三位である第一軍務卿メガイラ・ディアナ・アルトリアはこの国の王族には稀有な軍事に精通した人物である。直系血族でないため女王は軍権こそ与えていないものの、第一軍務卿という名目上の地位を与えられている。

 名目上といっても他の王族のように輿に乗らず、壮麗な軍服をまとって自ら愛馬に騎乗する軍人で、たびたび王国軍の予算削減を迫る大蔵卿の要求を堂々と突っぱねる軍務府の擁護者でもあった彼女が軍に及ぼす影響力には隠然たるものがあった。

 このように王国の軍制と密接にかかわっている従妹にあえて隠したまま、王太子に『単頭の百合』と呼ばれる軍旗――女王、王太子以外の王族に下賜されてきた伝統を持つ旗幟の製作を女王が指示したと聞いて、アグネアはごくりとつばを飲み込んだ。

(女王陛下はきっと何かお考えなのだ。近々それがわかるに違いない)

 それはきっと大きな出来事の前触れなのだと彼女は感じていた。


「諸君、よくここまで一人の落伍者を出すことなく訓練に励んできてくれた。教官として誇らしく思うぞ。そしてよろこぶがいい! 王太子ベアトリクス王女殿下が自ら視察に足を運んでくださった」

 新兵たちのもとに王太子を伴って戻ってきた教官アグネアは教練を一時中断して新兵を集めて訓示を行った。そして、王太子に新兵たちへの激励を願った。

「しばらく滞在し、皆の取り組みを査閲させていただきますが……皆、見違えるほど精悍な顔つきになりましたね。頼もしく思います」

 いずれ彼女たちがソフィアのもとで戦いを経験するのである。女王と王太子だけが知っている構想、それが描く未来を思い浮かべつつ、短い激励を終えたベアトリクスはソフィアを近くに呼んだ。

「お姉様、いらしたのですね」

「ソフィアがまったく城に帰ってこないので、心配になって顔を見に来たのですよ」

 軍事教練が始まってから演習場内での野営など、訓練が本格化するのに合わせて、ソフィアは王城に帰らずに野営で寝泊まりするようになっていた。とはいえヘレナを通じて王太子の侍女であるヘレナの姉から定期的に近況報告を受けているので、そこまでの心配はしていなかったのが事実である。

「訓練の方はどうですか?」

「とても刺激的で楽しいですわ。何より、歳の近い新兵たちとの連帯感が深まりました」

「少し顔つきが変わりましたね。凛々しくなっていてよ」

「まぁ……お褒めにあずかり、嬉しゅうございます」

 もともと大人びていた顔つきに、凛々しさが備わってきた。そのように姉から褒められて、ソフィアははにかんだ。

「わたくしもソフィアに教えなくてはならないものがあります。それもあって無理を言ってカロルスにここまで連れてきてもらったのです」

「お姉様が、わたくしに……ですか?」

「ええ、軍権を預かる者の心得です。それは今後、あなたが兵を動かすときに必要となるでしょう」

「かしこまりました。お姉様のご都合に合わせます。いつならばよろしいですか?」

「では、今日わたくしがここにいる間にいたしましょうか。それを身につけた上で、この新兵たちを指揮してみなさい」

 二人の王女のやり取りを見守っていたアグネアがソフィアの肩をそっと叩く。今や王女にとって信頼に足る教官であった。

「王女殿下。王太子殿下が直接手ほどきをしてくださる貴重な機会です。そちらを優先してください」

 ベアトリクスの意図を理解したアグネアは、ベアトリクスにソフィアを託した。

「感謝します、ラエティティア……カロルス、旗をこちらへ持ってきてください」

「はっ!」

 ベアトリクスは旗を預かっていたシャルルに指示して、それを持ってこさせた。包みを解くときらびやかな装飾がなされた旗竿が露わになった。

「われわれ女神ディアナに連なる王族が使うことのできる秘法を授けましょう。秘術『女神の御旗のもとに』――」

 旗を受け取ったベアトリクスは、それを高く掲げて仁王立ちした。葡萄色ワインレッドに染め上げた生地の上に、月桂樹と月をかたどった国章、そして王族を表す単頭の百合が金色の刺繍であしらわれた軍旗であった。

「女神は我らとともにあり!」

 ベアトリクスがそう叫ぶと、陽の光を浴びてきらめいていた旗はまばゆい光を迸らせて辺りを照らした。その輝きには侵されざる神聖な何かが宿っているようだった。

「この光は味方に勇気を与え、士気を鼓舞するものです。逆に敵方を怖気おじけづかせ、士気を減殺させます」

 軍勢を統率する魔術があることをソフィアは知識として知っていた。ベアトリクスが手にしている軍旗は単なる象徴ではなく、魔術を発動させるための触媒である。ゆえに軍旗は限られた者だけが持つことを許されている。もちろんこれまでソフィアが持っていないものだ。

「これに合わせて味方がときの声を上げることで、敵方を怯ませて一時的に行動を阻害することもできます。全体魔術の一種です。ただし、効果が長く持続するものではありません。使いどころを見極める必要があります」

 その軍旗をベアトリクスがソフィアへと差し出した。

「これはお母様のご指示であなたのために作らせたものです。この教練を終えた暁にあなたに授与したい――それがお母様の意向です」

「これをお持ちになったのですか、お姉様は」

「念のために言っておきますが、今は一時的にです。使い方を授けるためには現物がなければなりませんもの。さあ、受け取りなさい」

「かしこまりました、お姉様」

 第一王女である王太子が、第二王女に軍旗を手渡すという光景は、とても象徴的であった。それは一時的であっても王太子が軍権を第二王女に委譲する意味を持つ。

 その旗を受け取ったソフィアには、この旗があまりにも重く思われた。万が一旗を落とすようなことがあってはならない。それは軍旗が象徴する女王の権威を地に落とすことになってしまう――そう思われてならなかったからだ。

「そんなおっかなびっくりで掲げるものではありません! 両手で旗竿をしっかり握りしめて、頭上に高く掲げるのです。敵味方双方から旗が見えるように!」

 おずおずと旗を掲げるソフィアをベアトリクスが叱る。しっかりと大地を踏みしめるように、ソフィアは足を開いて、重い旗を掲げた。そして気づいたことがある。

「これでは大将がどこにいるか、丸わかりではありませんか?」

「そうです。旗を掲げている間は何もできませんから、矢で射抜かれてしまえばおしまいです。旗を掲げるとは、それだけの覚悟を決めることなのです」

「使いどころの見極めが大切な魔術ですね」

「知性のない蛮勇な者、知性があっても臆病な者、いずれにも使いこなせない高度な術式であるといえます。しかし、戦いの潮目を見極める知性と、敵に姿を見せることを恐れない勇気を併せ持つ者には、またとない武器となるでしょう」

 さあ、とベアトリクスが促す。手にしている軍旗を新兵たちのもとで掲げてみよ、というのであった。


 時はすでに夕刻となっていた。ベアトリクスの意を汲んだアグネアは、時間の経過を忘れて訓練に励んでいる新兵たちに号令をかけて、王太子の前に再び彼女たちを整列させた。

「およそひと月にわたって、この演習場を使うことを許してきたわが期待に応えて、皆がこれまで心身を鍛え、技術を磨いてきたことを嬉しく思います」

「ありがとうございます! 殿下!」

 アグネアが敬礼する。それを見て頷いたベアトリクスは、こう告げた。

「今日、わが妹である第二王女ソフィアにわたくしは将たる者の心得を授けました。いずれ皆はソフィアが率いる下で戦うことになるでしょう。今日ここに集った皆一人ひとりがその先駆けとなるのです。心しておくように――よいですね!」

「――はっ!」

 整然と新兵たちは敬礼した。その前にベアトリクスから預かった真新しい軍旗を抱えたソフィアが立った。

「わたくし第二王女ソフィアは王太子殿下よりこの軍旗をお預かりしました。これは正式にはまだわたくしの旗ではありません。ですが――いつか、あなたたちとともに戦う日が来ると、わたくしは信じています」

 およそ一か月間の軍事教練をほとんど欠かすことなく参加したソフィアは、彼女たち新兵にとって王女である以前に寝食を共にした仲間であった。その仲間たちの顔を一人ひとり見渡したソフィアは、こう呼びかけた。

「いつか来るその日のために、今――この旗を掲げて、あなたたちとともに勝ち鬨を上げたいと思います」

「いいですとも!」

「やりましょう!」

 実際の戦いを経験したことがない新兵たちであるが、毎日の訓練を通じて団結しつつあった彼女たちは、ソフィアの呼びかけに応えるように叫んだ。ソフィアは腕に抱えていた旗竿をぐっと頭上に持ち上げ、高く掲げて叫んだ。

「女神は我らとともにあり!」

「オオオォォォ――――ッ!」

 黄昏の光射す演習場で、若き王女と新兵たちは精一杯、鬨の声を上げた。

 王女ソフィアの掲げる深紅の軍旗は月光のようにきらめき、およそ一二〇人の新兵たちを照らしていった。


 『女神の御旗のもとに』――月の女神の血脈を継ぐ者だけに伝えられる秘術が、ソフィアの手によって発動された様を目の当たりにした王太子ベアトリクスは、この十七歳の王女に軍権を持つに値する資質があることを確信したのであった。

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