エピローグ『蚊取り線香の材料はキクだった』

聖帝十字陵

「おら、きりきり働け! そこ、誰が休んでいいって言った!」


 凶暴で醜悪で威嚇的な叫び声が轟き、人々を震えさせる。

 鞭の音が後を追うと、ヒッ! と声にならない悲鳴が上がった。


 完全に世紀末救世主伝説だが、ここは聖帝せいてい十字陵じゅうじりょうではない。


 場所は夜の動物園で、こき使われているのは〈3Zサンズ〉の隊員たちだ。


 しきりに鞭を振っているのも、モヒカンではない。

 モヒカン以上にモヒカンらしい表情を浮かべているが、一七歳(♀)のディゲルだ。


「ホーム小隊、エリアBの洗浄完了しました! 引き続きエリアCに向かいます!」


「ゴールド小隊、現在猿山を監視中です!」


 閉園時間はとっくに過ぎているが、園内はそこそこ賑わっている。


 と言っても、一般人の姿はどこにもない。

 右を見ても左を見ても、視界に入るのは〈3Zサンズ〉の隊員だけだ。


 フェンスの外にある駐車場にも、乗用車やバスは停まっていない。

 代わりに大量の霊柩車れいきゅうしゃが並び、駐車場を真っ黒に染めている。


「そこ、遅いぞ! また鞭が欲しいのかァ!?」


 ディゲルは邪悪に笑い、ベロリと鞭をなめる。


 普段からヒャッハー! なディゲルだが、今宵は一段とバイオレンスだ。

 ハエに襲われた時、香典こうでんの話をされたことを、相当根に持っているらしい。


 もちろん、きれいに見捨てられた原因は、ディゲルの普段の行いにある。

 ディゲルの思考回路がまともなら、多少は部下との接し方を変えるだろう。


 しかし残念ながら、ディゲルの辞書に「反省」の二文字はない。


 悪いことは全部、他人のせいだ。

 今回もまた、部下たちの人間性に問題があると盲信しているだろう。


「……ホント、役に立たねぇハエだよな」


「……ホントだよな、何でさっさと卵産み付けねぇんだよ」


 隊員たちはぶつぶつと毒突どくづきながら、瓦礫を片付けている。

 一方、白衣の科学班は、ピンセットを使い、ハエの肉片を集めていた。


 彼等が調べ終えたエリアでは、別のチームが洗浄作業を行っている。


 広範囲に飛び散った肉片を洗い落とすのは、なかなか大変そうだ。

 一応、高圧洗浄機を使っているのだが、隊員たちの額には汗が滲んでいる。


 幸い今のところ、他の動物からハエは生まれていない。

 どうやら、卵を産み付けられたのは、ゾウだけだったらしい。


 さっきまで防護服だったディゲルも、トレンチコートとワンピースに着替えている。

 肌を出しても、卵を産み付けられる可能性は低いと考えたのだろう。


 ただ、今まで大丈夫だったからと言って、この先もハエが産まれないとは言い切れない。

 完全に安全が確認されるまで、動物園は閉鎖されることになるだろう。


「お前ら、帰ったら写経しゃきょうだからな!」


「そ、そんな、もう限界です! 休ませて下さい!」


 無慈悲な宣告を受けた隊員は、ディゲルの足にすがり付く。


「黙れ! お前らみたいな人でなしは、ほとけの道を学んだほうがいいんだ!」


 ディゲルは乱暴に足を振り、文字通り隊員を一蹴する。


 涼璃すずりは同じ構図を、どこかで見た記憶がある。


 そう、熱海にある貫一かんいちみやの像だ。


「また本部が般若心経はんにゃしんぎょうだらけになるのか……」


 涼璃は溜息を吐き、プラスチックの椅子に腰掛ける。

 テーブルに肘を乗せると、トリコロールカラーのパラソルが震えた。


 フードコートは貸し切り状態で、他の席には空気しか座っていない。


 一応、自販機は動いているが、売店は全部閉まっている。

 電気の消えた店頭では、ソフトクリームのオブジェが立ち尽くしていた。


 カレンダー的には春のはずだが、夜の空気はまだまだ冷たい。

 

 厚めのサイハイソックスで防寒していても、なかなか鼻水が引っ込まない。

 エアコン完備の〈サティ〉を脱いだのは、失敗だっただろうか。



「本当は手伝いたいけど、これじゃあなあ……」


 脇腹に手を当てると、自動的に顔が歪む。


 最初より大分マシになったが、ハエにやられた傷はまだ痛い。

 この調子だと、当分、雑木林ぞうきばやしに行くことは出来ないだろう。


 幸い化け物である〈死外アウトデッド〉は、傷の治りも早い。

 最悪、骨に異常があったとしても、数週間で元通りになるはずだ。


「まったく、どいつもこいつも文句ばっかり抜かしやがる! ぬぅわにが労働基準法だ! 私は部下を甘やかさないぞ!」


 ブラック企業の社長ばりに放言しながら、ディゲルは自販機に歩み寄る。

 そしてココアを買うと、涼璃の前に腰掛けた。


 もちろん、ココアは一本だけで、涼璃の分はない。


「もう少し労働待遇を考えないと、また離職率りしょくりつが上がっちゃうよ」


「ご意見痛み入るが、心配は無用だ。金輪際こんりんざい、辞職届を受け取るつもりはないからな」


 ぬけぬけと言い放つと、ディゲルは急に腕を組む。

 何やら難しい顔をしているが、今更、発言の違法性に気付いたのだろうか。


「しかし、分からんな。あのハエ、何で突然苦しみだしたんだ?」


「くーねえの身体から、得体の知れない毒素でも出てんじゃないの?」


 三割皮肉、七割本気で発言し、涼璃はディゲルの腕を嗅ぐ。


「失敬な。私は毎日、風呂に入ってるぞ。シャンプーも石鹸も、おフランス製の高級品だ」


 本人のおっしゃる通り、ディゲルの肌は甘い香りを漂わせている。

 若干、硝煙しょうえんの臭いもするが、この程度でハエがダウンするとは思えない。

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