ゲッタークモ

「空を飛ぶクモなんて、お前だけだと思ってたよ」


 ディゲルは両手を上げ、かなわないとばかりに首を振る。

 よほど驚いたのか、真ん丸くいた口はなかなか塞がらなかった。


 誉められたのはクモだが、〈サティ〉も何だか鼻が高い。

 油断したら、内側から仮面を突き破ってしまいそうだ。


「飛ぶだけじゃないよ。キムラグモやトタテグモは地下に巣を作るし、ミズグモは水中に棲んでる。地球はすっごく広いけど、クモがいない場所のほうが珍しいんじゃないかな」


「陸海空何でもござれか。まるでゲッターロボだな。バカみたいにデカいハエが、手も足も出せずに負けるわけだよ」


「しかも糸は頑丈で、鋼鉄より強い。本当にスゴい虫だよ」


「ああ、見た目がもう少しキュートなら、言うことないんだけどな」


 ディゲルは手すりに目を向け、子グモと見つめ合う。

 子グモはフレンドリーに前脚まえあしを上げたが、ディゲルの顔からシワを消すことは出来なかった。


「ちょっとあしが多いだけじゃない」


〈サティ〉は子グモを消し、再び階段を降りていく。

 五分ほど進むと、行く手に鉄製のドアが立ちはだかった。


 こちらもやはり鍵が壊れているようで、中途半端に開いている。

 中は真っ暗で、隙間から様子をうかがうことは出来ない。


「よっこいしょ、っと」


〈サティ〉はドアを開き、地下室に入る。

 まず真っ赤なライトが照らしたのは、ひび割れた水槽だった。


 幅や高さはスーパーのカゴほどで、特別大きくはない。

 多少窮屈だが、小さなヘビくらいなら飼えるだろう。


 あいにく、中身は空っぽで、エサ箱や水入れも残っていない。

 ただエアーポンプや濾過器ろかきがないところを見ると、魚を飼っていたわけではなさそうだ。


「お前のライトだけじゃ見えにくいな」


 ディゲルは顔をしかめ、頭を前に突き出す。

 極端に目を細めた様子は、近視の人そのものだ。


「私は暗視機能を使えばいいけど、それじゃくーねえが見えないか」


〈サティ〉はドローンを操り、自分の両手を前に突き出す。

 その途端、手首の腕輪に光がともり、闇を壁際に追い立てていく。


 本来は子グモを実体化するための装置だが、懐中電灯の代わりにはなるだろう。


 部屋の奥や天井には闇が残っているが、探索の邪魔になるほどではない。


「随分、上とは様子が違うね」


 透明な壁が、室内をいくつかの部屋に分けている。


 一見、ガラスのようだが、恐らく特殊な素材だろう。


 仮に見た目通りの素材なら、肝試しに来た陽キャたちに割られているはずだ。

 事実、壁の表面には、引っ掻き傷や足跡が残されている。


「あの部屋は何だ? ペットショップでも開いていたのか?」


 ディゲルは眉をひそめ、最初に照らした部屋を指す。


 四段のスチールラックに、ぎっしりと水槽が並んでいる。

 床の水槽は、あそこから落ちたもののようだ。


 表面にはそれぞれ、アルファベットと番号が振られている。


 どうやら、ここで飼われていた生き物は、何かの研究対象になっていたらしい。


「もしかして、ここでハエを飼ってたのかな?」


「おい、これを見てみろ」


 ディゲルは〈サティ〉を手招きし、壁際にしゃがむ。


「動物の死骸……?」


 薄く積もった埃に、ミイラ化したネズミが横たわっている。

 廃墟なら珍しくもないが、問題は死体の状態だ。


 本来繋がっているべき首と胴体が、ものの見事に分かれている。


 しかも生首の根元には、薬品でただれたようなあとが残っていた。


「これは……?」


「ああ、ハエの仕業だろうな。まったく、〈3Zウチ〉の科学班は本当に優秀だよ。間違って欲しいと思う時でも、絶対に間違えやしない」


 ディゲルは額に手を当て、辟易へきえきとしたようにボヤく。


「あのハエ、人間以外にも卵を産み付けやがるんだ」


「って言うか、元々はそっちに寄生してたのかも」


「どういう意味だ?」


 いぶかしがるディゲルを残し、〈サティ〉は大量の水槽に歩み寄る。

 視線を床に向けると、目のライトが無数のゴマ粒を照らした。


 ゴマ粒?


 いや、違う。


 大分干からびているが、アリの頭部だ。


 若干赤みの強い飴色と言い、マンモスのように大きな牙と言い、間違いない。


 ゴルゴスアリだ。


「最初の内は、普通にアリを襲ってたんだと思う。でも自然界と違って、研究所で飼われてるゴルゴスアリには限りがあるでしょ?」


「卵を産み付ける相手がいなくなって、ネズミに目を付けたってわけか」


「小さな動物から生まれた成虫は、普通のギギガガバエより大きかった。そのせいでもっと大きな生き物に、イタチとか野犬とかに卵を産み付けるようになっちゃったんだ」


「そいつらから産まれたハエは、親より更に大きかった。で、今度はもっと大きな生き物に、人間サマに目を付けたってわけか」


 ディゲルは声を濁らせ、後頭部を掻く。

 たぶん、納得出来ない部分があるのだろう。


「最初に報告を受けた時から考えてるんだが、さっぱり分からん。高坂こうさかは別に、テロを起こそうとしてたわけじゃない。じゃあ何で、人間にまで卵を産み付けられるようにした? 宿主のサイズに比例して、生まれて来るハエがデカくなるようにしたんだ?」


「それは……私にも分からないよ」


〈サティ〉は口ごもり、視線を下に向ける。

 少しだけ浮いた足は、もどかしそうに揺れ動いていた。


 基本的に自然の生物は、何としてでも生きようとする。

 追い詰められた虫や動物が、思いも寄らない変化を見せることは珍しくない。


 ただ今回の変化は、明らかに自然の範囲を逸脱している。

 彼等の〈たましい〉を改造した誰かが、意図的にそうしたと見るのが妥当だ。

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