どーでもいい知識 アナフィラキシーショックになる確率は結構高い

「でも一回だけ、国内で死者が出たことがあった」


「確か、アナフィラキシーショックを起こしたんでしたね……」


 気の毒そうに言い、北島きたじまは目を伏せる。

3Zサンズ〉の隊員にしては、随分と良心的な反応だ。


「その『アナフィラキシーショック』ってのは何なんだ? よく聞く単語だが」


「アレルギー反応の一種です」


「嫌な単語が出て来たな……」


 ディゲルは露骨に顔を歪め、鼻水をすする。

 毎年苦しめられている単語を聞いて、花粉症の季節を思い出したのだろうか。


「一度、麻疹はしかに掛かった人は、二度と麻疹はしかにならないでしょ?」


「そりゃ、免疫が出来るからな」


「ハチとかアリの毒も同じでね、一回刺されると免疫が出来るんだ」


 無意識に声を低くし、涼璃すずりは眉を寄せる。

 明らかに深刻な顔を見ると、ディゲルはきれいに首をかしげる。


「それはいいことじゃないのか? ハチの毒に耐性が出来るってことだろ?」


「免疫が出来ると、もう一度刺された時にアレルギー反応を起こすことがあるんだよ」


「免疫が過剰に働いて、逆に様々な症状を引き起こしてしまうんです。専門的にはこの現象を、『アナフィラキシーショック』と呼んでいます」


「それは全員そうなるのか?」


 ディゲルが質問すると、北島は左右に首を振る。


「いえ、ならない人もいます。ただ、なる確率はかなり高いです」


「一〇人に一人は、アナフィラキシーショックを起こすって言われてる」


「つまり、日本には一三〇〇万人予備軍がいるわけか。とんでもない数だな」


 ディゲルは目を見開き、驚きの声を上げる。


「具体的には、どんな症状が出るんだ?」


「血圧が急に下がったりとか、吐いたりとか、人によってまちまちだね。下痢になったり、呼吸困難になることもあるよ。最悪の場合は意識をなくして、命を落としちゃう」


「何とも恐ろしい話だな……」


 ディゲルは声を震わせ、何度も室内を見回す。

 近くにハチが飛んでいないか、不安になったのだろう。


 もちろん、ディゲルがアナフィラキシーショックを起こす体質とは限らない。


 しかし一〇人に一人が発症する以上、大丈夫と言い切れないのも事実だ。


「しかもアナフィラキシーショックは、起こるのが早いアレルギーなんだ。ハチの毒が体内に入ると、早くて数分、遅くても三〇分くらいで症状が出る」


「山奥とかだったら、病院に行く前にお陀仏だぶつだな」


「実際、アナフィラキシーショックで亡くなる方は少なくありません。と言うか、ハチに刺されて亡くなる場合、アナフィラキシーショックが原因であることがほとんどです」


「ただ刺されただけなら、死ぬことはないのか?」


「ううん、一度にたくさん刺されると、アナフィラキシーショックを起こさなくても死ぬことがある。ハチの巣を見付けても、下手に手を出さないほうが賢明だよ」


 運悪くスズメバチに刺されると、激しい痛みに襲われる。

 しかも痛みは刻々と強くなり、傷口も腫れ上がっていく。


 ただ傷口の痛みは、冷やすことでやわらげられる。

 またハチの毒は水に溶けやすいため、簡単に洗い流すことが出来る。


 あくまで応急処置だが、刺された場合は傷口を水で洗うのが効果的だ。

 更に毒を絞り出しておくと、より症状を緩和することが出来る。


 ただし、アナフィラキシーショックを起こした場合、素人が対処するのは不可能だ。


 一刻も早く病院に駆け込み、医師の治療を受けるしかない。


「なるほど。アナフィラキシーショックのことは分かった。しかし何で、アリを駆除するためにハエを持ち込むんだ?」


 ディゲルは真顔で問い掛け、涼璃を見つめる。


 ピュアなお顔を見ていると、涼璃は軽くめまいを覚えてしまう。

 彼女には連想力も記憶力もないのだろうか。


「ギギガガバエはノミバエと同じでね、他の生き物に卵を産むんだよ」


「そうか、その『他の生き物』が、ゴルゴスアリってわけか」


「ただ、おかしいんだよね。確かに、ギギガガバエはゴルゴスアリに寄生する。でも、宿主の頭を落としたりはしない。アリの背中から出て来るはずなんだ」


 涼璃は無意識に顔をしかめ、大きく首を振る。


「それ以前に、人間に寄生するなんて話、聞いたことがないよ。第一、サイズが大きすぎる。ギギガガバエはすっごくちっちゃいハエで、ゴマ粒くらいしかないはずだよ」


「しかし、遺伝子の構造は同じなんだろう?」


「はい。ですが、〈たましい〉に改造の痕跡が見られました」


「……〈たましい〉」


 涼璃は独り言を漏らし、人より小さい胸に手を当てる。


 全ての生き物は、「生きていると言う証明」を宿している。

 

 そして〈詐術さじゅつ〉の世界では、この証明のことを〈たましい〉と呼ぶ。


たましい〉は二四時間三六五日、「私は生きているぞ」と〈黄金律おうごんりつ〉に訴え掛けている。

 生き物が生きていられるのは、この訴えに〈黄金律おうごんりつ〉が耳を傾けているおかげだ。


 更に〈たましい〉の声である〈発言力はつげんりょく〉は、〈詐術さじゅつ〉のエネルギー源にもなっている。


発言力はつげんりょく〉は〈黄金律おうごんりつ〉に「働き掛け」、「生きている」と「認めさせる」力を持つ。


詐術さじゅつ〉を使う時には、まず「働き掛ける」力を使い、〈黄金律おうごんりつ〉と接触する。

 その後、「認めさせる」力を利用し、嘘を本当と「誤認」させているそうだ。


「やはり、〈詐術師さじゅつし〉の仕業か」


 ディゲルは声を低くし、北島を見据える。

 北島は大きく肩を震わせ、両手を身体の側面に付けた。

 鋭い視線を向けられて、いすくめられてしまったのだろう。


「魂」と言う単語には、神秘的なイメージがある。

 実際、マンガやゲームでは、誰にも操れないものになっていることが多い。


 しかし〈詐術さじゅつ〉には、〈たましい〉を加工する技術が存在する。


 中でもよく使われるのが、〈たましい〉の「改竄かいざん」だ。


たましい〉は「生きている証明」であると同時に、「生き物の設計図」でもある。


黄金律おうごんりつ〉は〈たましい〉を基準にし、生き物の姿を決めている。

 人間が今の姿をしているのも、〈たましい〉に五体の情報が書き込まれているためだ。


たましい〉を改竄かいざんすることは、よく「設計図の書き換え」に例えられる。


 嘘に弱い〈黄金律おうごんりつ〉は、書き換えられた設計図を見抜くことが出来ない。

 それどころか、書き換えられた内容通りに、生き物の身体を作り替えてしまう。


 恐らくあのハエの場合は、大きくなるように〈たましい〉を改竄かいざんされていたのだろう。

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