焼身し、焼死し、殉死する後家(サティー)さん

「お願いだから、死なないでね」


 涼璃すずりは両手を開き、インドのダンスのように腰をくねらせる。

 同時に左手を頭上にかかげ、右手を胸の前に構えた。


 今度は左手を胸の前に下げ、代わりに右手を頭上まで移動させる。

 その後、両腕を肩まで動かし、お盆を持つ時のように両手を反らす。


 左右の手を水平に倒した構えは、天秤のように見えるかも知れない。

 その状態から両手を内側に倒し、胸の前で交差させる。


「……〈返信へんしん〉」


 涼璃は右腕を大きく回し、腰の右側に付ける。

 更に左腕も回し、右上に伸ばした。


離墓怨リボーン 茶々サティ


 再びチーン! が鳴り、卒塔婆そとばの横棒が「E」から「R」に一段上がる。

 呼応して、延髄の走馬燈そうまとうが回転を始めると、大量の影絵が蠢きだした。


 真っ黒な大群には、八本のあしが生えている。

 一つ一つはボタンのように小さいが、クモだと分からない人はいないはずだ。


焼身ショウミー 焼死ショウシー 殉死ジュンシー


 読経どきょうをきっかけにし、騒々しかった木魚が鳴り止む。

 しかし、まだまだ卒塔婆そとばは黙らない。

 今度はシタールが鳴り響き、一瞬の静寂を打ち破る。


 ダイナミックなメロディは、一昔前の特撮番組を彷彿とさせる。

 耳にしていると、ついつい地獄の使者を名乗ってしまいそうだ。


 勇ましい音楽を聞いて、興奮してしまったのだろうか。


 渡辺宙明わたなべ ちゅうめい的なリズムに乗って、卒塔婆そとばのミシン目がまたたく。

 次の瞬間、ハエは高々と尾を振り上げ、涼璃に叩き付けた。

 見るからに不吉な輝きを見て、恐怖の限界に達したのかも知れない。


 まず尾が、すぐにトゲがしなり、獰猛な風音がうなりを上げる。

 即座に鋭利な弧が急降下し、涼璃の脳天に突っ込む。


 残念ながら、涼璃の頭上に壁や盾は存在しない。

 もちろん、頑丈なヘルメットもない。


 つまり、頭は剥き出しの状態だ。


 普通に考えるなら、運命は決まっている。


 無抵抗に頭を貫かれ、壁を床を真っ赤に染めるしかない。

 風のうなり声に続くのは、断末魔の絶叫だったはずだ。


 だが現実に響いたのは、肩甲骨けんこうこつにトゲが跳ね返される音。


 噴き上がったのは血ではなく、古びた骸骨だった。


 一体、二体、三体、四体、五体……。


 涼璃の足下から無数の骸骨が飛び出し、白い放物線が空気を塗る。

 同じだけ土埃の塔がそびえ立ち、天井に突っ込む。


 黄ばんだ髑髏どくろには、不規則に穴がいている。

 肋骨はヒビだらけで、腕や足が欠損しているものも少なくない。

 風化寸前の姿を見て、頑丈だと思う人はいないだろう。


 だが、トゲは骸骨を貫けない。


 ハエは尾と一緒に頭まで振り、がむしゃらにトゲを叩き付けている。


 しかし、一向に涼璃の断末魔は轟かない。


 飛び散るのは火花だけで、鳴り響くのはトゲが跳ね返される音ばかりだ。


 けたけたけた……。


 骸骨たちは顎の骨を打ち鳴らし、無駄な努力を嘲笑あざわらう。

 更には全方向から涼璃に飛び掛かり、全身を覆い尽くした。


 骸骨たちは複雑に絡み合い、巨大なサナギを作っていく。


 真っ白な壁が光を遮断すると、目の前にノイズが走る。

 するとすぐに視界が開け、閑散とした体育館に戻った。


 外が見えるようになったと言っても、骨のサナギが消滅したわけではない。

 コンタクト型モニターが実体化し、外部の景色を映しただけだ。


 その証拠に、視界の片隅には、デフォルメされたクモが表示されている。


 オーキド博士に解説されそうな姿には、キュートと言う単語しか思い付かない。

 まあ、毛むくじゃらのタランチュラにはかなわないが。


 ベベ……ブルル……!


 唐突にハエがうなだれ、執拗に振っていた尾を下ろす。

 どうやら、無意味な攻撃を続けたせいで、息が上がってしまったらしい。


 ほぼ同時に細かい揺れが始まり、天井のライトを痙攣けいれんさせる。

 すかさずサナギの根元から霧が広がり、床を覆い隠した。


 急に生ぬるくなった空気は、窓を結露させている。

 少し外は明るいが、見るからにオバケが出そうな雰囲気だ。


 実際、サナギの正面からは、怪しい影が浮上しようとしている。

 とは言え、正体は怨霊でも妖怪でもない。


 位牌いはいだ。


卒塔婆そとば」がプラスチックっぽかったように、「位牌いはい」もガラス質の金属で出来ている。

 霧が掛かっていることもあり、一目で正体を見抜くのは難しいだろう。

 やはり戒名かいみょうは書かれていないが、代わりにクモの化石が描かれている。


 ぎぎ……ぎぎぎ……。


 突如、サナギの土台から手が伸び、位牌いはいを掴み取る。

 すぐに骸骨たちはバケツリレーを開始し、位牌いはいを上に上に送り始めた。


 一体また一体と骸骨が手を伸ばし、位牌いはいと言うバトンを渡していく。

 同時に骸骨たちは位牌いはいをこね回し、インド風のサークレットに作り替えた。


 わずか数秒でサナギの頂上から骸骨が這い出し、サークレットを受け取る。

 次の瞬間、骸骨は限界まで身を乗り出し、涼璃の顔面にサークレットを叩き付けた。


 地上最強の焼香しょうこうが、サナギ自身を木っ端微塵に打ち砕く。

 盛大に白煙が噴き出すと、体育館中に骨の欠片かけらが乱れ飛んだ。

 何十回、何百回と床が叩かれる音は、万雷ばんらいの拍手のようだ。


「相変わらずバルサンみたい」


 数歩前進し、目の前の白煙を薙ぎ払う。

 一気に目の前が晴れると、立ち尽くすハエが視界に入った。


 リンゴほどもある複眼には、ワインレッドの骸骨が映っている。


 もちろん、涼璃自身の姿だが、肉や皮を失ってしまったわけではない。

 正体は、人間の骨格を模した鎧だ。


 上半身の装甲は丈が短く、胸しか覆えていない。

 腹を丸出しにした姿は、清々しいほど無防備だ。


 逆にブーツは長く、ほぼほぼ足を包み込んでいる。

 質感こそ金属質だが、見た目はサイハイソックスそのものだ。


 当然、限られた装甲では、満足に身を守ることが出来ない。


 そこでワインレッドの骸骨は、装甲の他に二つの防具を身に着けている。


 一つ目が、装甲の下に着込んだボディスーツだ。


 素材は黒いチューブで、ミイラよろしく何重にも巻かれている。

 ただ厚みはそれほどではなく、おなかの部分にはうっすらヘソが浮いている。


 二つ目がインドの民族衣装で、日本でも知名度の高いサリーだ。


 サリーには色々な着方があるが、骸骨の場合は頭を包み込んでいる。

 シースルーの生地やフリルのせいで、ヴェールに間違われることも少なくない。

 もっとも、色は漆黒で、花嫁と言うよりは葬式の未亡人だ。


 赤と黒に色分けされた骸骨は、何度見ても毒々しい。

 同じカラーリングのクモを見たら、絶対に無害だとは思わない。

 事実、骸骨のモチーフになったセアカゴケグモは、毒を持つことで知られている。

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