バグと卒塔婆と蜘蛛の糸

「あいたたた……!」


 涼璃すずりはうつぶせになり、強打した背中をさする。

 化け物とは言え、少し無茶をしすぎただろうか。


 確かに、涼璃は人間を超える力を持っている。


 陸上選手が全力でジャンプしても、道路に亀裂を入れることはない。

 だが涼璃が本気になれば、亀裂を入れるどころか、道路を砕くことさえ可能だ。


 とは言っても、身体が機械で出来ているわけではない。

 肉が肉で、骨が骨なのは、人間と全く同じだ。


 ではなぜ、非常識な力を発揮することが出来るのか?


 秘密を握るのは、カミサマこと〈黄金律おうごんりつ〉だ。


黄金律おうごんりつ〉は物理法則にもとづき、あらゆる物事の結果を弾き出している。


 その計算はどんな数学者より正確で、どんな裁判官より公正だ。


 実際、重力に逆らい、岩が空を飛ぶことはない。

 金持ちでも貧乏人でも、生きるためには酸素を吸う必要がある。


 ところが、正確無比な〈黄金律おうごんりつ〉にも、たった二つだけ計算を間違うことがある。


 有名なのが、〈詐術師さじゅつし〉に騙された場合。


 そしてもう一つが、涼璃たち〈死外アウトデッド〉が関わる場合だ。


黄金律おうごんりつ〉は〈死外アウトデッド〉が関係する現象に対し、正常な答えを導き出すことが出来ない。

 それどころか、〈死外アウトデッド〉の起こした行動には、バグった答えを出してしまう。


 そのせいで〈死外アウトデッド〉の行動は、常識では考えられない結果を引き起こす。


 四〇㌔もない涼璃が道路を踏み砕いてしまうのも、誤った答えの一例だ。


「ここは……スポーツセンターの体育館かな?」


 涼璃は身体を起こし、周囲を見回してみる。


 窓からは弱い光が差し込んでいるが、隅々まで照らすことは出来ていない。

 特に室内の中央には、濃い闇が溜まっている。


 もちろん、目をこらしても、全体を見渡すことは出来ない。

 ただバスケットゴールや床のラインを見る限り、予想が外れていることはなさそうだ。


 ベベ……ブルルル……!


 ハエは五㍍ほど先に立ち、しきりに頭を振っている。

 もしかして、床に墜落した時に、強打したのだろうか。


「ごめん、またやり過ぎちゃった」


 涼璃は立ち上がり、頭を下げる。

 するとハエは全身を震わせ、涼璃を睨み付けた。


 尾はいらだたしげに上下し、木製の床を叩いている。

 涼璃的には誠心誠意謝罪したつもりだったが、気持ちは伝わらなかったようだ。


「もう逃げる気はないみたいだね……!」


 涼璃はハエの動きに注意を払いつつ、ポケットに手を入れる。

 すみやかに卒塔婆そとばを握り締め、胸の前まで引っ張り出す。


卒塔婆そとば」と言えば、墓場に立つ板だ。


 当然、素材は木だ。


 長さもかなりのもので、とてもポケットには入らない。

 入れられるとすれば、青いネコ型ロボットくらいだろう。


 ところが、涼璃の出した「卒塔婆そとば」は、プラスチックのような素材で作られている。


 しかも大きさはリモコン程度で、ポケットに詰め込むことは難しくない。

 と言うか、一緒にハンカチを入れても、まだ余裕がある。


 何より普通の卒塔婆そとばと違うのが、デザインだ。


 一般的な卒塔婆そとばに、装飾らしい装飾はない。

 板に記されているのは、戒名かいみょうを示す梵字ぼんじくらいだ。


 しかし涼璃の卒塔婆そとばには、一切梵字ぼんじが描かれていない。

 しかも、焼けただれた髑髏どくろが群がっている。


 一体の大きさはビー玉程度だが、ともかく数が尋常ではない。


 とても数える気にはならないが、確実に一〇〇体は超えているだろう。


 彼等は頭上の糸に殺到し、我先に登ろうとしている。

 だがたった一本の糸に、大群を支える力があるはずもない。

 もうすぐ地獄に戻ることになるのは、誰の目にも明らかだ。


 ベベ……ブルルル……!


 ハエはビクッとはねを震わせ、一歩後ろに下がる。


 文字通り、地獄絵図の髑髏どくろたちに、恐怖を感じたのだろうか?


 いや、卒塔婆そとばの秘める力を、本能的に感じ取ったのかも知れない。


「安心していいよ。クモはクモでも、ハエトリグモじゃないから」


 涼璃は卒塔婆そとばを短剣のように握り、ひし形の先端を首に向ける。

 その上で素早く卒塔婆そとばを振り、喉元に横線を引いた。


 鋭く裂けた空気が、ヒュッ! とかすれた悲鳴を上げる。

 少し遅れて真紅の光が出現し、卒塔婆そとばの書いた横線を塗り潰す。


墓怨ボーン墓怨ボーン恨墓怨ウラボーン


 にわかに卒塔婆そとばのスピーカーが発声し、体育館中に読経どきょうが響く。

 すぐに盆踊ぼんおどりが流れ出し、辛気臭い残響ざんきょうを掻き消した。


 傷口から出た血は、少しずつ固まる。


 同じように光は少しずつ凝固し、真紅の結晶に変わっていく。

 数秒でドーナツ状のかさぶたが完成し、涼璃の首を包み込んだ。


 涼璃は小さく拳を振り、胸元のかさぶたを砕く。

 真紅の欠片かけらが飛び散ると、埋もれていた首輪が表に出た。


 人間の骨を組み替えたようなデザインは、卒塔婆そとば以上に悪趣味だ。


 喉元に設けられたスロットは、ファミコンのカセットをす部分によく似ている。

 ただし「逆さにしたファミコン」で、す方向は「下から上」だ。


 涼璃はヘソの前から卒塔婆そとばを振り上げ、スロットに差し込む。

 瞬間、首輪のロックが内側に閉じ、両脇から卒塔婆そとばを抱きかかえた。


「ロック」と言っても、見た目は骨の手そのものだ。

 遠くから見たら、骸骨に首を絞められているようにしか見えないだろう。


 胸元に固定された卒塔婆そとばは、さしずめネクタイ。


 アルファベットの描かれた目盛りには、タイピンっぽい横棒も付いている。


 チーン!


 一回、卒塔婆そとばが点滅し、スピーカーから澄んだ高音が鳴り渡る。


 日本人なら誰もが、仏壇やお葬式を思い浮かべることだろう。

 名前はあまり知られていないが、「リン」と呼ばれるお椀の音だ。


怨罵阿明愚エンバーミング 巣拝堕亜スパイダー


 卒塔婆そとばから読経どきょうが鳴り響き、延髄の走馬燈そうまとうが真紅に輝く。

 その途端、走馬燈そうまとうから首輪の溝、首輪の溝から卒塔婆そとばに光が流れ込み、ミシン目状の模様を浮き上がらせた。


 光は涼璃にも流れ込み、全身にミシン目を描く。


 少し色が鮮やかすぎるが、人によっては死斑しはんに見えるかも知れない。

「歩く死体」と言った見た目は、〈死外アウトデッド〉にピッタリだ。


 ポクポクポク……。


 唐突に盆踊ぼんおどりが停まり、代わりに木魚の音が鳴り出す。

 どうやら、秘密兵器を呼び出すための準備が整ったようだ。


 ハエの尾には、卵を産み付けるためのトゲが備わっている。

 しかも鞭のように振るえば、テーブルのあしも一撃でへし折ることが可能だ。

 出来るだけ無傷で捕まえたいが、生身で挑むのは無謀極まりない。

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