笑う生首

「念のために、警戒したほうがよさそうだな」


 自分自身、そして周囲に言い聞かせ、ディゲルは何度も顎を沈める。


「万が一のことを考えるなら、そうしたほうがいいと思う」


 無条件に賛同し、涼璃すずりは生首をにらみつける。


 もし人間に寄生するハエが潜んでいるなら、絶対に捕獲しなければならない。


 何しろ一匹のノミバエは、二〇〇個もの卵を持っているのだ。


 万が一、取り逃せば、多数の被害者が出る。

 更には新しく誕生したハエによって、ネズミ算式に被害が拡大していくだろう。


 通常、昆虫が繁殖するためには、オスとメスが不可欠だ。

 ハエが一匹生まれたところで、増える心配はないように思える。


 だが現状、他の個体がいないと言う保証はどこにもない。

 単為生殖たんいせいしょくと言う言葉がある以上、メスだけで繁殖出来る可能性も大いにある。


「おい、そこのヒゲ!」


 ディゲルは横柄おうへいに声を掛け、ヒゲの隊員を呼び止める。


「被害者の首を入れるケースを用意しろ。デカいハエが暴れても、絶対壊れないヤツをな」


「ハッ!」


 隊員は見事に直立し、ディゲルに敬礼する。


 なかなか電波な命令だが、〈詐術さじゅつ〉の世界では常識の範囲内だ。

 今更、ディゲルの正気を疑う必要はない。


 もっとも、彼女が正気だと思っている人など、〈3Zサンズ〉の中には存在しないが。

 少なくとも、まともな人は、部下の身体に電極を繋いだりはしない。


「急げよ! いつ孵化するか分からんのだからな!」


「了解しました、ディゲル長官!」


 隊員は威勢よくドアを開け放ち、駐車場の霊柩車れいきゅうしゃに向かう。


「ありがとうございました」の代わりにチャイムが鳴り、新鮮な空気が店内に注ぎ込む。

 ほのかに漂う花の香りは、春が近いことを物語っていた。


 真っ暗だった空は、少しずつ明るくなっている。

 店に入った時は完全に黒かったが、今は紫色に近い。


 ただ交通量は相変わらずで、道路にはネコ一匹見当たらなかった。

 涼璃の記憶が確かなら、店に到着して以降、車は一台も通っていないはずだ。


 にもかかわらず、床が小さく震え、足の裏をくすぐる。


 ごく遅く、バレーボールが転がったような感覚……。


 普段の涼璃なら、感じ取ることもなかっただろう。


 だがあらかじめ警戒モードになっていた意識は、敏感に異変を察知する。

 同時に涼璃の顔を床に向け、視線をブルーシートに飛ばした。


 遺体の傍らに置かれた生首が、左を向いている。


 さっきまで、「あお向け」だったはずなのに。


 大ざっぱなディゲルが、間違って蹴っ飛ばしてしまったのだろうか?


 いや、彼女と生首の間には、二、三㍍ほど距離がある。

 いくらスタイルのいいディゲルでも、足が届くはずがない。


 何よりディゲルの顔は、幽霊でも見たようにこわばっている。


 硬直し、震えることも出来なくなった瞳は、ただただ生首を映していた。


「動いた……」


 ディゲルは唇を震わせ、呟く……と言うより、声を落とす。

 更によろよろと手を上げ、床の生首を指した。


「首が、動いた……」


「動いた……!?」


 最悪の動詞を吐くと、涼璃の口は急激に渇いていく。


 見間違いではないのか!?


 そう叫ぼうとした矢先、生首が転がり、ブルーシートの外に出る。


 毎度のことながら、現実は残酷だ。

 希望的観測にすがろうとしても、わずかな猶予さえ与えてくれない。


「離れて!」


 涼璃は力一杯叫び、大きく後ろに跳ぶ。


 自分もディゲルも、生首には指一本触れていない。


 だとするなら、可能性は二つ。


 一つ目は、透明な糸や人間が、外部から首を動かした。


 そしてもう一つは、生首の中に「何か」が潜んでいるかだ。


「いつもこうだ! 悪い予想ばかり現実になりやがる!」


 ディゲルは強く床を蹴り、ソファから立ち上がる。

 続いて懐の拳銃を引き抜き、生首に照準を合わせた。


 まさか冷や汗を浮かべるディゲルが、見えているとでも言うのか。


 生首は激しく痙攣けいれんし、絶え間なく輪郭を震わせる。


 当然、銃口を向けられたからと言って、死者が表情を変えることはない。


 しかし派手に顔面を震わせる姿は、嘲笑でもしているかのようだ。

 床と後頭部が擦れる音も、ケタケタと笑う声に酷似している。


「撃っていいの、くーねえ!?」


「遺族には悪いが、死体の状況を気にしてる場合じゃない! 生きてる人間が最優先だ!」


 ディゲルは即答し、躊躇なく引き金を引く。


 標的は生首だ。


 胴体よりまとは小さいが、動かないことに代わりはない。


 しかも、ディゲルは拳銃の達人だ。


3Zサンズ〉の射撃訓練場には、真ん中にの空いたまとが大量に転がっている。


 状況を見る限り、弾が外れることは九九.九㌫あり得ない。


 そう、そのはずだったが、現実になったのは〇.一㌫のほうだった。


 銃声が響いた瞬間、生首はエビのように跳ね上がる。

 素早い放物線が離陸すると、入れ替わりに地面から火花が散る。

 標的を捉えられなかった銃弾が、床に炸裂したのだ。


「クソッ! 『遊星ゆうせいからの物体ぶったいX』じゃないんだぞ!」


 毒突くディゲルを尻目に、生首はテーブルの上に落ちる。

 更に何回かバウンドすると、硝煙しょうえんの向こうからディゲルを見つめた。


 狙いを外したディゲルを、からかっているのだろうか。


 生首はもぞもぞと揺れ動き、側転のように回る。

 そして逆さになると、首根っこを、胴体と切り離された部分を天井に向けた。

 テーブルに脳天をくっつけた姿は、ブレイクダンスでも始めるかのようだ。


 ごぼ……ごぼ……。


 切断面の肉が不自然に隆起りゅうきし、生首からこぼれ落ちていく。

 同時にピンク色の汁が飛び散り、天井に濁った水滴を吹き付けた。


 這い出てくる。


 激しく身をよじりながら。


 邪魔な肉を掻き分けて。


 粘液の糸を引いたハエが。


 あしを畳み、身体を丸める姿は、胎児のようにあどけない。

 だがそれ以上に、粘液で光る体表は、腐った果実のようにおぞましい。

 鼻を刺し、涙を滲ませる臭いは、生ゴミの山そのものだ。

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