第290話「アビス大陸の現状」

 ゲルマニアの使節団が帰るのに付いて、俺もゲルマニアの帝都ノルトマルクへと赴く。

 これぐらいの距離は、転移魔法を使うまでもなく飛行できる魔獣を使えばすぐだ。


 先帝コンラッドは、床からは起き上がれない様子だったが、意識はハッキリしているらしく。

 俺がエリザと結婚することを報告すると「これで安心できる」と、かすれた声でつぶやいて嬉しそうに笑っていた。


 エリザの最後の肉親だからできる限り長生きして欲しいのだが、コンラッドが亡くなったらエリザは天涯孤独の身の上となってしまうのだなと気がついた。

 そう考えると、マインツ達が俺との結婚を急いだ理由も察せられてしまう。


 あと、先帝コンラッドの治療にあたっていたノルトマルク大司教のニコラウスがいなくなっちゃったからな。

 すでに帝都ではニコラウス大司教は神魔大戦で亡くなった英雄扱いされてるけど、俺はあのしつこさだけは異常な男が死んだなどとは思っていない。


 どうせそのうちひょっこり顔を出すに違いない。

 先帝コンラッドの治療は後任の高位聖職者が引き継いでいるらしいが、神官としての能力だけはやたらと高いニコラウスが担当してくれてたほうが良かったんだよな。


 いるとウザいのだが、いないと惜しまれるという不思議な人物である。

 まあそんなこんなでシレジエの王都に帰ってくると、カアラに声をかけられた。


「あの国父様、後宮でお忙しいところ誠に申し訳ないのですが、ご相談してもよろしいでしょうか」

「いや、そんなの何も忙しくないし! もっとなんでも相談してくれよ」


 なんだよ後宮が忙しいって。

 むしろ、このまま王都にいると妻や子供がどんどん増えそうで怖いから、どっかに出かける理由が欲しかったぐらいだ。


「あのですね。アビス大陸の処置の方もそろそろ決断しなければならないと思いまして、私自身もアビス大陸に何度も赴いてある程度の経過観察をしているのですが、国父様の直々のご判断が必要なところもあります」

「あー、そういやリアの国もできてたよな。なんだっけあの国」


「神聖ステリアーナ女王国ですね。実は、それが一番の問題なのです。魔都ローレンタイトに聖母軍が居座って厄介なことになってるんですよ」


 それはまたとんでもないことになってるな。


「よし。聖母軍は、やりっぱなしのリアに責任を取らせよう。おーい、リア!」


 俺は後宮に入って、リアの居所をシャロンに尋ねる。


「ステリアーナさんなら、授乳室ですよ」

「お、そうか……」


 アーサマの過剰サービスな加護のおかげで、やたらと栄養満点の神乳アムリタが出るリアは、乳母として赤ん坊に乳をやってることが多い。

 その効果の程は、俺自身がたっぷり思い知らされているところだ。


 リアが乳をやると、赤ん坊はみんな元気に育つからな。

 うーんしかし授乳中か。


 そういう状態だとちょっと文句も言い難いが、まあ夫婦なので今さら恥ずかしがることもあるまい。

 俺はそう思って授乳室に入ったのだが。


「リア……」


 びっくりした。

 赤ん坊に授乳している聖母のごときリアがそこにいたのだが。


 その背中に白銀の翼が生えていた。


「リア、何だその格好……あれ、もしかしてアーサマ降臨してるの?」

「タケルよ。我に何か用か?」


「本当にアーサマですか!」

「これ……騒ぐでない。赤子がびっくりするではないか」


 アーサマが降臨したリアに抱かれているのは、近々産まれたカアラの子カアルであった。

 金髪で灰色の肌の半魔族の子が、女神に乳をもらっている珍しい光景。


「これは、失礼しました」


 一瞬、リアの悪ふざけかと思ったが、まとっている雰囲気がぜんぜん違うからな。


「そうかしこまらずとも良い。実は、我もびっくりしたのだ。こうして降臨してみれば、まさか赤子に乳をやっている最中だったとは」

「はあ……」


 女神様でも、うっかりそんなことになっちゃうことがあるんだな。


「我は創聖女神であるが、全知全能とは程遠いのだよ」

「そういうものですか」


「またアビス大陸に行くのだろう」

「はい」


「ついでに片付けて欲しいこともあったので、ソナタらに『白銀の羽根』を授けようと思って来たのだが、おーよしよし、まだお腹が減っているのか。タケル、済まないがその少し、ちょっとそっちで待っておれ!」


 女神アーサマが、泣いてる赤ん坊をあやしている。

 珍しすぎる光景だ。


「あっ、すみません。そうですね、向こうで待ってますので」


 よく考えたら外見はリアとはいえ、アーサマが入っているのでは授乳しようとしてるのにジロジロ見るのは失礼だった。

 部屋の外まで出る。


 しばらくして、アーサマの声が聞こえる。


「ふむ、もう良いぞ。赤ん坊というのは可愛いものなのだな」

「そうですね。俺は自分の子ですから可愛いですけど、なんだか面倒をかけてしまって、色々とすみません」


「いや、気にしなくてよい。よしよし、本当に可愛い子だ。うーむ、他人の子でも、乳をやるとこれほど愛らしくなってしまうとは知らなかった。我としても、このような経験は初めてであった」


 リアに降臨したアーサマは、乳をやったカアルをベビーベッドに戻すと女神のローブをしっかりと着直してやってきた。

 初めての経験というのは本当だったのだろう。


 なんか、アーサマは少し戸惑っているように見える。

 いつもの超然とした雰囲気が、少し緩んでしまっている。


「あの、ところで、アビス大陸で片付けて欲しいこととは」

「おっと……そうであったな。まあ、女神は細かくは語らぬものだ。リアを連れてこの『白銀の羽根』を持っていけばわかる」


 アーサマはそういうと、「じゃ忙しいので」とさっさと去ってしまった。

 なんか普通の反応だな。いつもだとケツカッチンだからとか言うのに。


 もしかしたら、少し気恥ずかしかったのかもしれない。

 いや、女神様が羞恥を感じるとか考え過ぎかな。


「えと、リアか?」

「はい……是非もなく貴方のリアですよ。実は先程アーサマが降臨されまして、新しい『白銀の羽根』を託されました」


「いや、それはさっきから見てたから知ってるよ。それがないと、向こうじゃ神聖魔法使えないし助かるよな」

「……そうですね」


 女神の降臨後は少し放心状態になるものだが、しばらくするとリアも調子を取り戻した。

 直々にアーサマが降臨してくるとなると、何か向こうで新しい動きがあったに違いない。


 そう考えると、俺も気になってきた。


「よし、じゃあアビス大陸に行こうか」

「はい。さあ、貴方様の魔王国に行きますよオラケル様」


 カアラが、オラクルの子であるオラケルの手を引いてやってくる。

 突然連れてこられて、オラケルはクリクリとした瞳を瞬かせてきょとんとしている。


「カアラ、一歳の子を連れて行くのか?」

「せっかく国父様と共に魔都に行くのですから、大魔王となられるオラケル様にも将来の自分の国をお見せしたほうがいいでしょう」


「うーんまあ、危険はないだろうからいいけど。そういう話なら、カアルも連れて行ってやれよ」

「カアラのえこひいきにも困ったもんじゃな」


 俺が言うまでもなく、オラクルがカアラの赤ん坊であるカアルを抱っこして連れてくる。

 なんかあべこべだ。


 カアラが聡明なオラケルの将来に期待をかけているのはわかるが、自分の子も大事にしてやって欲しい。

 カアルだって最上級魔術師の血を引いてるんだから、きっと将来は大魔術師になるぞ。


 さて、あとはリアぐらいかと思ってると。

 そこに、俺をゲルマニアからドラゴンで輸送した魔獣使いのハイドラも一緒に来たがった。


「王将様、私も連れてってください!」

「魔獣ごと連れて行けというのか」


「王将様、お願いしますよ。私もドラゴンも、必ずやお役に立ちますから」

「わかった、いちいち抱きつかなくてもいいよ。子供もいることだし、護衛役も必要だから付いてきてよし」


 妻になってから、ハイドラはやけに甘えてくるので困ってしまう。


「やった。未来の大魔王様と同行できれば、出世は確実ですよね!」

「それを俺に言われても困るけどね」


 ハイドラは向こうでカアラが作る予定の大魔王国の幹部になりたがってるから、来たがるのは当然なんだけど。

 向こうでの出世を望むなら、俺じゃなくてカアラに言って欲しい。


 この際ついでだから、リアの神聖国の処置だけでなく新しい魔国の処置もすることになるのかな。

 ともかく俺達はカアラの転移魔法で、アビス大陸の魔都ローレンタイトに飛んだ。


     ※※※


「……で、来たわけだが」

「はい」


「カアラ、なんだあれは!」


 大魔神の破壊により廃墟と化したローレンタイトの瓦礫の山はそのままに、真ん中に十メートルはあろう巨大な真っ白い不気味な像が立っている。

 一体なんの邪神の像なんだ。


「聖母軍が言うには、聖母様の聖像だそうです」

「邪神の像じゃなくてか?」


 そう聞いて、さすがにリアも嫌な顔をした。

 なんか『試練の白塔』にあった、リリエラ女王像を思い出すおかちめんこである。


 よく言えば、プリミティブなデザイン。

 超巨大な古代の埴輪といった風合い。


 彫刻の技術なんかないのに無理やり勢いで作ったという感じで、それだけに鬼気迫る不気味さがある。


 リアの命令通り魔都ローレンタイトにやってきた何万もの聖母軍は、街に駐留し始めると街を再建して復興させるでもなく。

 農耕や商工業をやるでもなく、あの訳の分からない神像を熱心に作り始めたそうだ。


「あんなものが立ってるので、魔都から追い出された魔族の難民も怖くて近寄れないのです」

「そりゃそうだろ。なんて厄介な連中なんだ……」


 とりあえず神像が完成すると、今度は像の周りを陽気に踊り始めたそうだ。

 そりゃ、怖い。


 俺でも絶対近寄らない。

 魔族の混沌崇拝と比べても、どっちが邪教なのかわかったものではない。


 いや、聖母信仰のほうがどう見ても邪教か。


「しかし連中、バイタリティーだけはすごいよな」


 魔都を制圧したんだから、まず雨風を凌げる自分達のバラックぐらいは瓦礫を利用して作ろうとするものだろう。

 生活が安定すれば、今度は街を復興させて農業や商工業を復活させようとするのが普通だ。


 しかし、もともと乞食や街の与太者の集合体である聖母軍には。

 その『普通の感覚』がまったくないのだ。


 着の身着のままで地べたに眠り、その日食べられるものがあればそれでよしとして、信仰心だけはやたらあるので聖母への感謝の踊りを踊るだけで満足するというノンキな連中。

 何の技術も持たないこいつらに街の復興をやらせるのは無理だ。


「私も始末に困ってまして、これどうしましょう?」


 そりゃカアラも困るはずだ。

 聖母軍が無駄に消費する食糧だけでもたまったものではないし、食糧の供給が絶たれたら暴徒になりかねない怖さもある。


「リア!」

「わたくしに言われましても、皆に命じて移動させることぐらいはできますが……」


 まあ、そうか。

 聖母軍ができてしまったのはリアの責任とはいえ、リアもただの聖母なので政治や経済の才覚があるわけではない。


 結局は、俺が後始末を付けねばならないのだろう。


「カアラの意見も参考に聞きたい」

「はい、聖母軍にできそうな仕事と言えば、例えば広大な領土を支えるために荷物や郵便を届ける輸送隊、治安維持を担当させる兵士などでしょうか。そうしても、あまりに数が多すぎて持て余すのは必定です」


 なるほどな。残った数万の行進して踊って祈ることしかできない人の群れをどうするかか。

 うーん。


 聖母軍の処遇について、俺にもアイデアがないわけではないが……。


「ところでカアラ、あの神像に使われている石はかなりいい素材のものだな」


 大理石のようだが、それよりもさらに白く。

 光の具合によっては白銀の輝きもある珍しい石である。


 石像は不気味でも、石材としてはかなり高く売れそうだ。

 俺の商人の血が騒ぐ。


「そうですね。このあたりにあんな貴重な石材はないはずなのですが」

「わたくしが聞いてきましょうか」


 リアが行くと、聖母軍達はみんな「聖母様じゃ、ありがたやぁ」と手をあわせて、バッタンバッタンと五体投地し始めた。

 まるでドミノ倒しだ。


 マジで怖いなこいつら、そりゃ魔族は魔都に近づかないわ。

 子供達が怖がるから、本当に止めて欲しい。ローレンタイトが、本当の意味で魔都になってしまっている。


「タケル、わかりましたよ。この近くに白い石材が取れるところがあるそうです」

「そんなところ前にはなかったと思うんだが」


「これは是非もなく女神の思し召しですね」


 いや、そんなことをドヤ顔で言われても。

 神聖魔法の届かないアビス大陸に、アーサマが石像を作らせるためにわざわざ石材を出現させたなんて思えないぞ。


「タケル、とりあえずその場所に行ってみるのじゃ」


 子供達の世話をカアラに任せて、俺はいつもどおりオラクルに抱えてもらって、空からその石材が取れる場所に向かった。

 そして、俺は空からその石材の山をみて絶句した。


「まさか、ニコラウスだったのか……」


 聖母軍の言う白い石材の山とは、突如として出現した巨大な白いホモ大司教の顔であったのだ。

 アビス大陸は、本当に地獄のような場所であった。

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