第258話「コンタクト」

 遠方に全長百メートルの巨大な触手お姉さんが見える。

 大陸をずいずいと大量の触手を引きずるようにしながら、ゆっくりと東に進み続ける。


 アビス大陸は荒野が多いので今は平気だが、これは移動の途上に街でもあったら大変なことになる。

 動くだけでも凶悪な存在。


「これが、海を越えてユーラ大陸に渡ってきたらと思うとゾッとするな」


 俺のつぶやきに、背中で俺を支えて飛んでいるオラクルが答える。


「そうなるという予定なのじゃろ?」

「いま、カアラが精密な測定をしてくれてるみたいだが、ライル先生が大雑把に試算した限りでそうならおそらくその通りになるんだろうな」


 空に浮いていても見上げるほどの大きさの巨大な触手お姉さんは、ゆったりと着実にセイレーン大海の方角に向かっている。

 シレジエ艦隊は現在、ローレンス川からセイレーン大海に出て、タンムズ・スクエアの港に寄港して補修中だ。


 このコースだとタンムズ・スクエアからは外れるが、都市に引き寄せられて攻撃してくる可能性もあるので避難の準備は進んでいる。

 シレジエ艦隊は、それまでに出港する予定である。


 ライル先生は、ユーラ大陸までくることを想定して艦隊を戻して備えたいと言っていた。

 今回の観測に来たのは、俺とオラクル。


 カアラと念の為にアレ達、竜乙女ドラゴンメイドの一団も付いてきてくれている。

 そして、あの大魔神をテイムすると言い張ったハイドラ。


 魔獣使いの正装らしい、黒い革製のボンテージなファッションに身を包んで(何の意味があるのか謎だ)。

 高らかに魔獣使いの杖を振りかざしている。


「本当に大丈夫なのか、ハイドラ?」

「王将様。私に任せてください。こう見えても私は、魔国随一の魔獣使い。あれが魔獣なら、どれほどの大きさであろうとも、このハイドラが操ってご覧にいれましょう。その代わり、できたら私を将軍にしてくださいね」


 この距離ならば襲ってこないと、偵察した飛竜騎士は言っていた。

 だが、使役するにはもっと近づかなければならない。


「そりゃ、あれをコントロールできたら、女将軍にでも魔国の女王にでも望みの地位にしてやるけど」

「やった! 大出世の糸口みえたわ! ハイドラ一世一代のテイムをぶちかましますよー!」


 大魔神は、大魔王イフリールが蘇らせた最強混沌生物なのだ。

 あれをコントロールできるならば世界の覇者にもなれるのに、将軍でいいとか強欲なようで謙虚な女である。


 あれを魔獣と言い張っているハイドラの言がどうしても信じられないのだが、まったく訳がわからない混沌生物なので、その可能性もなくはない。

 ハイドラも大魔王イフリールの側近であったぐらいなのだから、それなりの実力はあるだろうと任せてみることにした。


 四方を竜乙女ドラゴンメイド達が支え持つ台の上に乗って、ハイドラがゆっくりと大魔神の顔の前に近づいていく。


「さあ、よしよしいい子ね……止まりなさい!」


 なんと、行進を続けていた大魔神が、足を止めた。

 ゆっくりとハイドラのほうを振り向くと、人間ほどの大きさの触手が一本探るようにハイドラに近づく。


「よーしいい子ね、私の支配下に入りなさい」


 ハイドラは、触手の先っぽに向かって魔獣使いの杖を当てた。


「貴方の名前は、メデューサよ」


 大魔神、巨大なる触手お姉さんの口元に微笑みが浮かんだ。

 凄い。本当にテイムできたのか!


「おお、ハイドラの言ってた通り。これって魔獣の……」


 その瞬間、ハイドラはニュルンと触手に飲み込まれてしまった。


「ぎゃああ!」


 ああ、完全にハイドラは触手の中に飲まれた。

 荒れ狂う触手は、竜乙女ドラゴンメイド達にも襲いかかるが、さすがに彼女らは爪で触手をなぎ払って逃げてくる。


「やっぱりダメじゃないか!」


 落胆する俺に、抱えて飛んでいるオラクルがのんきに言う。


「大魔神様に付けた名前が気に入らんかったのかのう?」

「のんきなこと言ってる場合か、ハイドラ飲まれちゃったぞ」


「とりあえず、呼びかけには答えるとわかったのは収穫じゃった。どうせ敵か味方かもわからんような魔獣使い、飲まれてもいいじゃろ?」


 それは、そうかもしれないけど。


「いや、やっぱりあのままほっとくわけにはいかない」


 ハイドラは魔獣を操る力でもう俺達のために戦ったし、役にも立ってくれたからな。

 見捨てる訳にはいかない。


「タケルは相変わらず甘いのう。まあそこがいいとこなんじゃが、どうするつもりじゃ」

「申し訳ないがオラクル、俺の言うとおり飛んでくれ。あの触手を『中立の剣』で断ち切る!」


 幸いといっていいかどうかわからないが、触手はハイドラに向かって伸びる形に渦巻いている。

 だったら巻き付いている触手の中程から斬り落とせばいい。


 俺は全力で『中立の剣』を長く伸ばして、一気にハイドラを掴んでいる触手を両断した。


「やったか……ぬあぁ!」


 見事に切断には成功した。

 これでハイドラは救われるはず。


 だが、切断面から新しい触手がニョキッと伸びてきて、俺達は絡み取られてしまう。

 これは予想外、このままじゃ今度は俺達が飲まれる。


「オラクル、俺をおいて逃げろ」

「嫌じゃ。なんとかここは、ワシの魔法で突破する!」


 オラクルは衝撃波を飛ばすが、多勢に無勢で触手が迫りくる……。


     ※※※


「ハッ……ここはどこだ。おい、オラクルしっかりしろ」

「むうっ……あれ?」


 だだっ広い空間に俺達は寝そべっていた。

 なんだここ。壁は土でできていて、洞窟の中のようだ。


「触手に飲み込まれたまでは覚えているんだが、ここはもしや触手お姉さんの中か?」

「太魔神様の中に、ワシらはいるのか?」


「フフッ、そのとおりだ。ようこそと言うべきかな」


 大魔王イフリールの首が、土の中から現れた。


「イフリール。お前、生きていたのか?」

「いいや、生きてはいない」


 俺は、すかさずその頭に『中立の剣』を叩きつける。

 パッカリとイフリールの頭は割れるが、その口は話し続ける。


「化け物め……」

「言っただろう。我々の死とは、仮初めにすぎない。全ては、混沌母神の源に帰るだけだと」


 やっぱり、ライル先生が言ったことが正しかったのか。

 この大魔神は、イフリールが操っているのか。


「お前は、蘇った大魔神の力を使ってアーサマを倒すつもりか?」

「大魔神? 良い呼び名だな。だが我も、皆も、全ては同じ混沌様の一部よ。アーサマの勇者、聞こえぬか。怨嗟の声が」


 壁一面に、無数の魔族の顔が浮き上がってくる。

 ホラー染みた光景だった。その表情は、みな苦しげに歪んでいる。


「お前らが、大魔神を操ってるんだな」

「余と共にこの戦争で死んだ七百万の悲嘆と憎悪が、この大魔神を動かしている。この力の全てをもって、お前達の女神であるアーサマを潰す」


「そうはさせるか。オラクル行くぞ!」

「おうなのじゃ!」


 俺は、土の回廊をひた走る。

 大魔王イフリールは、自分は一部だと言った。


 ならば、ここにあるのは世界を滅ぼそうとする意思だけではない。

 俺の呼びかけに応えて、世界を救うために『中立の剣』を授けてくれた意思もここにあるはずだ。


「おっと、余計な真似をしてもらっては困るな」


 土くれが湧き立って、また大魔王イフリールだったものが現れた。

 両手に『漆黒の剣』を燃やして斬りかかってくる。


「邪魔をするなイフリール!」


 力は、ほぼ互角だ。鍔迫り合いになる。

 イマジネーションソードの力は、意志の力だ。


 俺は、こいつには負けない。

 不思議とそんな力が湧き出してきた。


「それはこちらのセリフだ。余計な真似をしてくれる」


 ぶつかり合う力。

 イフリールの力は相変わらず強大だが、今はこいつの必死さが手に取るように伝わる。


 これはもしかすると、俺にも打開策があることを示しているようにも思える。

 そうだ。


 イフリールに混沌母神が操れるならば、加護を受けた俺の祈りだって届くはずだ。


「やけに余裕がないじゃないか、イフリール。ここで、俺に勝手に動かれては困るのか?」

「……混沌の意思に導かれる者と思い引き込んでやったが、お前の力はやはり邪魔だな。取り込むのは止めだ」


「イフリール。俺だって何度も言ったはずだ。混沌母神の意思は、お前が思うようなものじゃない。触手お姉さんは、世界の滅びなんか望んじゃいなかった!」

「そのようなお前らの考えが、世界をここまで歪ませたのだ。部外者に、これ以上の邪魔はさせん。混沌母神様に余計な影響を与えぬように、ここから排除する!」


 大魔王イフリールがそう言うと、俺達の足元にポッカリと穴が開いた。


「オラクル!」

「ダメじゃ、ここでは飛べぬ」


 俺達は、まるで吸い込まれるように暗い穴の底へと落ちていった。

 最後に聞こえた声。


「世界が滅びるのも後少しだ。外から指を咥えて見ているがいい!」


 暗闇の中で意識が遠ざかる。

 いま一歩だったが、届かなかったか。だが、次こそは……。


     ※※※


 気がつくと、地面に倒れこんでる俺の周りに竜乙女ドラゴンメイド達が集まっている。


「大丈夫か、勇者」

「アレ……ハイドラは、無事か」


 起き上がった俺の横には、オラクルが寝そべっている。

 ハイドラも、触手にベッチョベチョにされて気絶しているようだが、命に別状はないようだ。


「ハイドラも、勇者が触手を分断したおかげで助かったのダ。勇者とオラクルも、触手からプッて吹き出されて来たのダ」


 アレ達は、落ちたハイドラを拾ってくれたらしい。


「そうか、それで俺達も拾ってくれたのか」

「うん。でも大魔神は、私達でもどうすることもできなかったのダ。どうする?」


「全員無事だったことで良しとするしかないな。測量も済んだし、一旦船に帰るか」


 俺達を無視するかのように、巨大な触手お姉さんはゆっくりと東に向かって去っていく。

 敵の意図はこれでわかった。


 大魔神が、ユーラ大陸にあるアーサマの本体に到達したとき、この世界は終わりを迎えるという。

 だが、俺がそうはさせない。


 なんとしてもそれまでに、あの歩みを止めてみせる。

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