第237話「州都プレシディオの奪還」
「うう……ぬかった」
いかに強大な魔力を誇る総督サルディバルとて、戦場という突発事態が起こる場所では何が起こるかはわからない。
それは重々承知の上だった。
そのために、ローブの下にミスリル製の
これで攻撃魔法や、流矢程度ならあたっても平気のはずだった。オリハルコンの刃といえども、ミスリルを貫くまでは至らなかったようだ。
備えておいたのが、不幸中の幸い。
まだ運に見放されてはいない。
「ゲハッ」
「総督閣下!」
血を吐いた。
どうやら内臓をやられたらしい。
やはり幸いどころではなく不運であるが、これは自分の読みの甘さが生じた事態だ。
刺さった聖剣の柄に手を当てて、ゆっくりと引きぬく。
サルディバルを襲う激しい激痛とともに、恐ろしいほどに胸からも血が吹き出す。
ミスリルの
胸に治療魔法を施し、なんとか血止めに成功すると。
サルディバルは、ハイドラに支えられ、ゆっくりと立ち上がり痛みを堪えるように苦笑した。
「入念に準備を重ねた私がここまで追い詰められるとは、さすが勇者よ」
これも、聖剣を折り、女勇者を殺すという名誉挽回の機会に誘われて欲をかいた代償か。
金髪巻き髪の女騎士を餌にして女勇者ルイーズを誘い出したつもりが、自らがオリハルコンの大剣という餌に釣られて引き出されてしまった形となった。
どちらが罠にハマったかわからん。
サルディバルは、その皮肉に自嘲の笑いを浮かべる。
「ふっ、ハハッ……だが、まだだ。まだ我が秘策は、序の口と知れ」
血を失いすぎて青ざめた顔をしながらも、サルディバルはゆっくりと丘の上から引く。
ハイドラは、そんなサルディバルの身体を支えて引く。
「もちろんですよ、サルディバル総督閣下。まだ戦は始まったばかりです」
「魔獣ドラゴンで、女勇者は倒せたか?」
そう尋ねるサルディバルに、ハイドラは言いに難そうに答える。
「いえ……申し訳ございません」
振り返ったサルディバルのかすむ眼にも、戦況は明らかであった。
七体の竜が、まるで赤子の手を捻るように簡単に斬り刻まれていく。優秀な魔獣使いハイドラの命を聞いているので、ドラゴン達が引くことはないが。
それだけに、その運命は哀れであった。
決して敵うことができない敵に向かって、爪を振るい牙で噛み付こうとして斬り殺されて行く姿は無残の極み。
ドラゴンのブレスは言うまでもなくブレス耐性が極まっているルイーズには通用しない。
誰もが恐怖する大いなる獣が、いとも容易く斬り刻まれて殺される。
「構わんさ。あれが、伝説の勇者なのだな」
これは、サルディバルが敵を甘く見すぎていた代償である。
オリハルコンの大剣がへし折れても、竜殺しの女英雄はかくも強かったのだ。
このままでは、ドラゴンは潰える。いや、もう消費してしまったといっていい。
だが、そのおかげで貴重な時が稼げた。
「この程度で勝ったと思うなよ」
まだ策はある。打つ手はいくらでもある。
州都プレシディオの外に二万、中に一万。合計三万の大軍勢。港には、手付かずの船団まである。
それらを使った二重三重の策が、いまに女勇者を襲う。
いかに人間離れした勇者とはいえ、その体力は無限ではない。
延々と攻撃を仕掛け続け、疲弊させればいつかは疲れ、倒れる。
さあ、準備は整った。
あとは、総督サルディバルが手を一振りすれば必殺の罠は動き出す。
十分に距離を取って、手を振り上げて――
「全軍! 勇者に向け」
――その手は、振り下ろされることはなかった。
戦場を貫く一撃の銃声。
その瞬間、銃弾がサルディバルの脳天を貫いたのだ。
その一撃で全てが、必勝の策ごと全てが吹き飛ばされてしまった。
「総督! 総督閣下ぁぁ!」
口の端を歪めるような微笑みを浮かべたままで、その手をだらりと弛緩させて。
絶叫するハイドラの胸の中で、総督サルディバルは息絶えていた。
最後までルイーズを女勇者と勘違いして、本当の勇者が誰なのか知らぬままで――。
※※※
「さすがご主人様です」「ですです!」
「まあ、ルイーズだけでも何とかできたかもしれないけど手助けできて良かった」
俺、佐渡タケルは、どうしてもバーランド達が心配になって飛竜を使って新大陸に渡ってきていた。
アンティル島で暇を持て余していたということもあるが。
ルイーズ達にはリアと違って
クレマンティーヌ達もなんかやらかしそうで不安だったから、ついお忍びで来ちゃったわけだ。
ちょうど州都を攻める義勇軍の陣を覗いた時に、シュザンヌとクローディアには見つかってしまい、久しぶりに二人が俺の護衛に付くこととなったわけだ。
しかし、来て良かった。
まんまとクレマンティーヌが人質になってしまい、ルイーズが一人で助けに行くような事態になってたからな。
こうして慌てて丘を遠望できる地点に隠形の黒ローブで潜んで(久しぶりに
「うーん、まあ女は殺さないでいいか。魔軍にも女の魔族がいるんだな。やり辛いね」
狙撃用のスコープの照準からは、敵の総督だけでなくそれを支えるなぜか戦場でボンデージファッションの女の姿も見えていた。
やはり、女を殺すのは苦手だ。
さっと戦場を見回して、ルイーズ達に弓を撃ちかける弓兵団の指揮官を撃ち続けることにした。
弓兵団も、統率が取れた攻撃でその数が千も二千も重なってくると脅威になる。決して侮っていい敵ではない。
幸いなことがあるとすれば、最高司令官である総督が死んだことで、どうやら敵は動きに混乱をきたしているらしい。
敵の弓兵が撃ち始めたことで、義勇軍のマスケット銃や大砲も火を吐いて、乱戦が始まった。
「ルイーズ様は、無事に味方の陣にたどり着いたようですね」
「うん、ホッとしたよ。お前達もルイーズのところに戻っていいぞ」
「いえ、私達は」「ご主人様をお守りいたします」
二人は、短筒を構えて俺の両脇に立つ。
「まあいいか。お前らと一緒にやるのも久しぶりだ。じゃあ、せっかくだし、もうひと暴れしてくるか」
「はい!」「よろこんで!」
俺は、シュザンヌ達を連れて敵指揮官を狙いに走った。
ルイーズがクレマンティーヌを救出して、味方の陣にたどり着くと同時に、指揮するバーランドの歩兵隊も突撃を敢行し、州都プレシディオの前で両軍入り乱れての激しい乱戦が始まった。
※※※
「総督閣下が戦死されただと。何かの間違いではないのか?」
「いえ見間違いではございませんビハーン団長」「いかがいたしましょう、ご指示を!」
そう言われても、上司に対して忠実で実直なだけでここまでやってきたビハーンは困ってしまう。
団長のギボンが死んで、自らが団長に成り上がった出世を喜ぶ気持ちもあったが、総督の指示なしで軍を動かす自信がなかった。
「むう、待て」
「総督戦死の報は、兵が動揺するから口止めすべきでは」「いや、死んだのは兵の目の前だったと言うぞ。いまさら無理だろう」「ではどうする?」
ビハーンの配下の騎士達は、口々に好き勝手なことを言い合っている。
それを聞いていても、考えがまとまるどころか混乱するばかりであった。
「ビハーン副団長。いえ、総督代理」
騎士団で主幹を務めるバル騎士隊長が、声を改めて言う。
「総督代理だと、この私が?」
「ギボン団長に、サルディバル総督閣下までもが亡くなられて他に誰がいましょう。しっかりなさいませビハーン代将閣下。目前の反乱軍はもうこちらに攻めかかっているのですぞ」
「そっ、そうだな」
「現状では各隊が勝手に対応しております。臨時徴収した都の民兵などは信用がおけません。ここは、ビハーン団長が総督代理として指揮を執り、我々プレシディオ騎士団が中心となって軍をまとめなくて」
バルが口上を述べている間にも、息を切らせて新しい使者が入ってきた。
「御注進!」
「なんだ」
「魔将デリシオ・イルマン閣下が、総督代理を宣言されました。ビハーン団長におかれましても、デリシオ閣下の指揮下に入られますよう」
「バカを言うな!」
声を荒らげたのは、ビハーンではなくバル騎士隊長だった。
「デリシオなど、我々と同列のただの騎士隊長ではないか。なぜ団長を差し置いて総督代理なのだ」
そう詰め寄られて、責められた使者も困ってしまう。
「デリシオ様は、魔貴族の三魔将の家柄ですし、総督閣下から直々に街の守りを任されたとおしゃられておりましたが……」
「そんなもの認められるか!」
バルは激高している。
周りの隊長格の騎士達も同様に憤っていた。
「そうだ、デリシオが総督代理など認められるか!」「ビハーン団長こそが次の総督だ!」
普段から魔貴族出身であることをいいことに同僚を見下していたデリシオは、騎士団で人望がなかった。
いや騎士団だけではない。
急速に勢力を拡大した魔軍では、各軍団の団長や隊長クラスはほとんどが平民である。
能力主義を標榜した総督サルディバルが、意図的に平民出身者を多く登用したから余計であった。
「ビハーン団長ご決断を!」
「外の二万の軍団と我々は、少なくともビハーン団長を味方しますぞ。逆に、デリシオにこちらの本陣の指揮下に入るように命令しましょう」
いかに魔貴族の家柄だとて、さっきまで部下だった若い騎士隊長に軍事を牛耳られるのはビハーンとて嬉しくない。
上級騎士達の要望に押し切られる形で、ビハーンは決断を下した。
「わ、わかった。デリシオにはそのように伝えてみよう。まず外の指揮であるが……」
こうして、門前の反乱軍二万を前にして、魔軍は魔獣を全て失った上に外と内は完全に指揮系統が分裂してしまう。
こうなればマスケット銃や大砲がまだ残っている義勇兵団の側に軍配が傾くのだった。
※※※
「都の前門、突破されました」
「都外にいるビハーン麾下の軍団は全て壊滅。敵に押し切られ、現地民兵の反乱を抑え切れなかったようです。残存は、いずこかへ敗走しました」
「第一の街壁、敵に突破されました」
「三重壁の、すでに二つ目まで敵は迫っておりますぞ。デリシオ総督代理閣下ご指示を!」
州都プレシディオの中央にある居城。
元は神聖アビスパニア女王国の白亜宮であったプレシディオの城の玉座に座っていたデリシオは、臍を噛む思いであった。
デリシオの命令を聞かなかった元上司のビハーン騎士団長が敗走したのはざまあみろと言いたいところだが。
鉄壁のはずの都の内部までやすやすと敵は進軍している。
州都プレシディオは、三重の厚い街壁に多数の側防塔が配された堅固な城塞都市である。
守護する兵士は総勢一万。外の民兵混じりの寄せ集めの軍勢とは違い、その全てが魔軍の熟練兵であった。
にもかかわらず、次々と信じがたい戦況報告が届く。
たかが民兵の集まりが、どうして正規兵団による守りを突破できるのかが理解できない。
内部には井戸もあり食料も備蓄され、一年でも持ちこたえるられると思われていた城塞が突破されていく。
目の前の作戦地図には、次々と陥落のマークがついていく。
「敵が早すぎる。難攻不落のはずの都の防衛網が、なぜこうも早く落ちる。なぜこうなるのだ!」
悲鳴にも似たデリシオの言葉に答える者はいない。
怖ず怖ずと、側近が提案する。
「ここは一度、撤退されては……」
「バッ、バカを言うな!」
あまりの形勢の不利を見て、いっそ全てを投げ捨てて逃げてしまおうか。
そんな気持ちがなかったわけではない。
飛行魔術を使えるコウモリ型魔族のデリシオであれば、まだ逃げおおせる公算は高い。
しかし、都を失ってしまったらリンモン州の維持は不可能になる。
それで、おめおめと魔都ローレンタイトまで逃げ帰っても、一生後ろ指をさされて笑われることとなる。
いや、半ば無理やり指揮権を奪って敗残したことが知られれば、責任を取らされて恥辱にまみれた
それは誇り高いデリシオにとって、死ぬよりも辛いことだ。
イルマン家当主に、敗北は許されない。
「だが、なぜこうなった……」
今日、何度口にしたかわからないつぶやきだった。
そうして、答えは返ってこない問いでもある。
こうなれば、今ある防衛施設だけで最終防衛線を構築して……。
そのデリシオが思考したとき、城の入り口のほうから爆発音と悲鳴が聞こえた。
「何事だ!」
敵がまだ都市の最後の街壁を破ったとは報告を受けていない。
そうであるのに、入り口から現れたのは一人の見知らぬ黒ローブの男と、二人の少女騎士であった。
「貴様らは……」
デリシオの
銃声とともに、次々とデリシオの左右にいた側近が撃ち抜かれる。
これは、火の出る筒。先ほどの破裂音も何らかの兵器なのであろう。
しかし、デリシオの知っていた鉄の筒は弾込めに時間がかかったはず。これほどのスピードと殺傷力とは!
そうかと、デリシオは瞬時に悟る。
こいつが防衛施設を次々と落としていったのだ。
目の前の奇妙な黒ローブの男は、デリシオにも筒を向けたが。
「弾切れか」
と、つぶやいた。
どうやら、火の筒の魔法攻撃はこないらしい。ツキは、デリシオ・イルマンを見捨ててはいなかった。
「狼藉者が!」
デリシオは腰の宝剣を抜いて躍りかかった。
飛行魔術による跳躍を生かした神速の斬撃。目の前の男は、速やかに討ち取られるはずであった。
だが、斬りこんだ宝剣ごと、その胴体を真っ二つに両断されたのはデリシオのほうであった。
男の手に輝いている青白い光の剣。その圧倒的な威力。
「そうか貴様が……」
この男こそが勇者であった。勇者は、女騎士の方ではなかったのだ。
そのことを死ぬ寸前に悟り、しかしこの重要な事実を誰にも伝えることはできず。
デリシオは口惜しい思いで、自らの血溜まりに沈んで息絶えた。
「これで、敵の司令部は落ちたかな?」
襲撃に成功した佐渡タケルは、手榴弾と銃撃によって沈黙した城の謁見の間を一回りする。
もっと守りの堅い場所に篭られていたら大変だったが、こんな王宮のような平城のわかりやすい場所に本営があるのだからチョロいものだ。
「そのようですね」「ご主人様、掃討完了かと思われますが」
「じゃあ、占領はバーランド達に任せて、敵の兵士が気づく前に撤退しよう」
先回りして指揮系統のトップを狙い撃ちしていくタケルのサポートによって。
アビスパニア解放軍の州都奪回作戦は、急ピッチに進む。
※※※
ハイドラが振り向くと、プレシディオの都から煙が上がっているのが見えた。
篭城すれば一年は保つとも言われた難攻不落の城塞都市が、どうして……。
ハイドラは、総督閣下の遺骸を抱えたままで乱戦に巻き込まれていた。
最初は、なんとか総督の遺骸を守ろうとしたが途中からそんな余裕もなくなった。
巻き込まれて死なないようにするのが必死だった。
よく考えたら、なんで総督の死体を守らねばならないのだろうか。
生きている間は、自分を引き上げてくれる存在だったから大事だったが、こうなっては価値がない。
ハイドラは骸を捨てる。こんな無残な姿になりたくはない。
ああ、私の可愛いドラゴン達はあの女勇者にみんな殺されてしまった。
死にたくない。ただそれだけを思う。
「魔獣を失った魔獣使いなんて……」
なんて哀れなのだろう。
土にまみれて、泥にまみれて、必死に走って走り疲れて、どこをどう行ったかもわからない。
雲や霧の魔法が使えるハイドラは、姿をくらませることだけは得意だった。
その特技が、こんなところで生きるとは皮肉なことだが、とにかく今は逃げるしかない。
とにかく敵がいない場所へと逃れ逃れて、辿り着いたのは茂みの奥だった。
「あれ?
鞍が付いているから、誰かの乗り物だろうか?
魔軍には、もう魔獣はいないはずなんだけど。
「どっちだっていい」
あれに乗りさえすれば、逃げられる。
生き延びられる。
「いい子ね……飛びなさい。とにかく北に!」
魔獣に言うことをきかせることに関しては、魔獣使いであるハイドラに勝るものはいない。
見知らぬ
下の方で、誰かが叫んでいたがハイドラの知ったことではない。
「城が燃えてる」
見下ろすと、州都プレシディオの高い尖塔を持つ白亜の城が燃えていた。
三重の外壁を突破され、都の中央を落とされて敵の手は港にまで及んでいる。陥落であった。
ハイドラは、私にできることはなんだろうと考える。
そうだ。あの火の出る筒。あの新兵器のことは、総督達は大魔王様に報告を差し上げていない。
新兵器や女勇者を直接見て、戦ったのは自分だけだ。
この経験と情報は、きっと大魔王様のお役に立つ。
そう主張すれば、自分の復権もありえるかもしれない。
大丈夫。生きて魔都ローレンタイトまで辿り着けば、私はまだ……。
今は、しばらく眠りたかった。
とにかく北へ逃げてと、やけに人に飼いならされている
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