第四章 新大陸反攻編

第231話「竜乙女と聖女、自重を知らない女達」

「あのー、この辺りが是非もなくバアル州だと思うんですけど!」


 凄まじいスピードで空を飛ぶ竜乙女の一団に、びゅんびゅん引っ張る籠に乗せられてるリアの何度目かの叫び声がようやくと届いた。


 大雑把にしか描かれてない地図と、地形を必死に見比べているのはリアだけで、飛んでいる竜乙女ドラゴンメイド達は何も考えていない。

 このまま、放おっておくと世界の裏側まで飛び続けると思われたのでリアも必死だった。


「ストップなのネェ!」

「ストップー!」「ストップ!」


「きゃぁぁあああ!」


 全力で籠を引っ張っていた竜乙女ドラゴンメイド達が急に止まったので、今度は籠が前に激しく揺すられてリアは死にそうになる。


「ハァハァ、なんのこれしき。是非もないですわぁぁ!」


 なんとか籠にしがみついて難を逃れたのは、リアもさすがは飛行魔法が使える聖女といったところだろう。

 自慢の金髪は風圧でほつれて、めちゃくちゃになっていたが、必死に櫛でセットしなおしている。


 綺羅びやかに輝く聖女のローブに身を包んだリアは、これから空から降り立って民衆に奇跡を見せなければならない。

 そうだ。自分はこのアーサマの恵み少なき地に福音をもたらす聖母へとグレードアップするのだ。


 魔国の苛烈な支配に抗して、民衆を立ち上がらえ、新大陸へ勇者の到来を導いた聖母として確実に伝説に残る。

 昔からその手の歴史絵巻が好きで、それが高じて禁書の薄い本まで読み尽くしたリアにとってその想像は至福であった。


 それを考えれば、異国の地で空から落ちて死にかける危険を冒すぐらいなんでもない。


「アレ、あの聖女は頭大丈夫なのネェ?」

「前からおかしい女だとは思ってたのダ」


「ぐふふっ、では聖母の伝説を始めましょう!」


 呆れてる竜乙女ドラゴンメイド達を尻目に、自慢の金髪を櫛ったリアは伝説の始まりを宣言する。

 手に持っているアーサマの『白銀の羽根』の力を使い、自らの背中に白銀の羽根を生やす。


 使える神聖魔法力を極限に節約しているので、背中の羽根は飾りであるが。

 黄金に輝く聖女のローブと相俟って、その姿は神秘的に見える。中身はともかく、外見だけはいっちょ前の聖母である。


「伝説の始まりはいいけど、どこに降りればいいのネェ?」

「そうですね……おや、あそこに是非もなく大きな街があるじゃないですか。あそこにしましょう!」


 そうやってリアが適当に指差した街が、たまたまバアル州の州都テオティワカンだったのは、この地を治める魔軍にとって不幸なことであった。


     ※※※


 バアル州の州都テオティワカンの領主の館。

 五千騎の魔軍と強大なる魔獣を使い、一年足らずの短期間でこの地を治めた総督アバドーン・バアル・ドーンは腹心から不愉快な報告を聞いていた。


「それで、その聖母と名乗るバカ女はどうなったのだ!」

「それが鎮圧に行った騎士達が帰ってきませんで……」


 自らが治める街の東門で辻説法に立った女が、公衆の面前で堂々と支配者である魔国によって禁じられているアーサマ教会の教えを説いて民衆を扇動しているらしい。

 そのような振る舞いは、即座に見張りの兵に封殺されるはずが、一向に鎮圧されない。


 何が起こったのかと、兵士を送れば送っただけ、兵が消えて行くのである。

 そんなに大規模な暴動になっているのかと鎮圧のために騎士団を送ったのだが、それらも一切帰ってこない。


「何をやっておるか。ええい、もう俺が行ってやる」

「総督自らご出馬するほどのことでは、どれどれこの私めが手勢を率いて確認してきましょう」


 腹心のカワーンがなだめるので、なんとか怒りを抑えたが、アバドーンは機嫌が悪かった。

 アバドーンは、強大な力を持つ虎型魔族であり、ニスロク国の初代魔王に仕えた六十六魔貴族の一つドーン家の当主である。


 貴種の出とも言えたが、大魔王がニスロク国の王子イフリールであった時代から仕えて槍一本で州総督までのし上がった男でもある。

 その身の丈は二メートル八十センチを超える。体格のいい魔族のなかでも抜きん出た偉丈夫である。


 一軍の将でありながら、三叉の鉾を振るい先陣に立つことから。

 猛虎将軍の二つ名で恐れられる猛将でもあり、その分だけ我慢が苦手であった。


 なだめられて二時間ほどイライラと酒を飲んで待っていたが、ついに耐え切れなくなって側近に訊ねる。


「おい、カワーンはどうした!」

「それが一向に帰ってこず」


 出ていった謀臣カワーンまで帰って来ぬとあって、アバドーンは思わず飲んでいた酒の器を握りつぶした。


「ぐぉおおおおお!」


 辛抱たまらず、虎の牙を剥き出しにして吠えるアバドーンの怖さに、城の兵士達は腰を抜かした。

 そのままズカズカと出ていく自分達の将に怖くて声もかけられないが、そのままにしては護衛兵士の首が飛ぶ。


「アバドーン様が出ていったぞ」

「街の全軍に招集をかけろ!」


 領主の館の兵士達は口々に言い合いながら、アバドーン総督を慌てて追いかけて、聖母が出現したという街の東門に向かうのであった。


     ※※※


「なんだこれは……」


 バアル州の総督アバドーンは、怒りも忘れて騒然とした。

 東門の前で、魔獣バジリスクが死んでいる。


 大魔王イフリール様に与えられた魔獣バジリスクは、まさにこの地を治める権力の源泉であった。

 巨大なトカゲと鶏が合体したようなキメラであるバジリスクは、羽根を振るうだけで敵に猛毒を与え、触れれば石化する。


 他の魔獣に比べて地味な外見ながら、その猛毒と石化攻撃の恐ろしさは、敵軍を瞬く間に恐慌状態に陥れる

 その魔獣バジリスクの死体が、大量に転がっている。


 おそらく全滅である。

 これだけで、このバアルの地の占領軍の戦力は半減。沸騰しそうだった頭も冷えた。


 アバドーンは、粗暴ではあるが愚将ではない。

 戦力の要である魔獣を失ったという現実に、即座に対処できるだけの冷静さは有している。


 みれば見張りの兵士たちも、送り込んだ騎士団も冷たい骸へと変わっている。

 そして、そのゴミのように魔軍兵士の死体が積み上げられた地獄の中にアバドーンは見つけてしまう。


「カワーン!」


 ドーン家の郎党であり、このバアルの地に入る前より謀臣として仕えてくれたカワーンが死んでいる。

 己の腹心までもが無残に惨殺された姿を見て、アバドーンは胸に湧き上がる怒りに牙を剥き、下唇を血が出るほど強く噛み締めた。


 おそらく聖母の起こした暴動の討伐に、魔獣バジリスクを使ったのはカワーンであろう。

 大規模な軍を相手にした時のみ使う魔獣を、智謀の謀臣カワーンがいきなり投下するほどの敵だったのだ。


 そして、それでもカワーンは敗れた。

 アバドーンは自制する。


 沸々と湧き上がる怒りを抑えるのだ。努めて、冷静にならねばならぬ。

 後ろを見れば、幸いにもまだ兵はたくさん残っている。追ってきた魔軍の兵士の一団に、アバドーンは三叉の鉾を振り上げて注意の叫びを上げた。


「油断するなよ。これは、相当な敵だぞ!」


 東門の上に立っている、白銀の翼を生やした金色ローブの女がカワーンの言っていた聖母であろう。

 総督アバドーンにとって、その姿は悪魔に見えた。


「よくもカワーンを! おのれ、この魔女がぁぁ!」


 渾身の力を込めて、金色の悪魔めがけて鉾を投げつけるアバドーン。

 魔獣バジリスクでも敵わなかった相手だ。不用意に近づかないというその判断は正しかった。


 だが――


「なんと!」


 アバドーンの三叉の鉾は魔女へと届く前に、空中で竜の翼を生やした女によって受け止められた。

 なんだ、なんだこいつらは!


 そう疑問を口にするよりも早く、戦士の本能がアバドーンの身体を突き動かした。

 そして叫ぶ。


「ぐぉあああああ!」

「あれ、死ななかったのダ?」


 刹那の判断で、アバドーンは右手へと転がっていた。

 その瞬間にアバドーンの左腕は、すでになくなっている。


 目にも留まらぬ速さで、アバドーンの三叉の鉾を投げ返した竜の翼の女の攻撃だった。

 腕を潰されても、痛みを感じる暇もない。


「クソッ!」


 歴戦の勇士アバドーンだから分かった。

 あのスピードには、勝てない。


 完全に分かってしまった。あと一手で、自分は殺られる。

 だったら、引くことはない。ここはせめて相打ちを狙う。


 アバドーンは誇りある戦士である。最後まで諦めず。右手で、腰に指していた長剣を抜き放つ。

 まさにアバドーンの予想通り、竜の女は眼前に迫ってくる。分かっていても、避けられぬスピードで。


「この俺がぁぁ」


 敵が迫りくるタイミングで、剣を前に突き出したアバドーンだが一歩及ばず。

 その動きは羽根のように軽く、アバドーン剣をかわした竜の女の爪によって、深々と胸を貫かれて、そのまま心の臓までブチッと握りつぶされた。


 ――絶命。


 魔軍の総督は、竜乙女によって一撃で、ボロ雑巾のように道端に捨てられる。

 槍一本から総督にまでのし上がった男の最後の姿としてはあまりにも無残。傍らにいた魔軍の兵士達は叫ぶ。


「うあああっ!」


 自らの将、総督アバドーンの死を見届けた兵士達であったが、そのことを口々に騒ぎ立てる暇もなく、次々と竜乙女ドラゴンメイド達によって爪で引き裂かれていく。

 見えないスピードで襲ってくる死の奔流を前に、兵士達は戦うことも逃げることもできず、死滅した。


 それは普通の戦闘ではありえない、全滅を通り越して殲滅せんめつであった。

 魔軍がまた沈黙した辺りで、アバドーンを殺したアレは、東門の上で民衆に向かって説法しまくっているリアに尋ねた。


「おーい、リア」

「なんですか。わたくし、いま是非もなく忙しいんですけどぉー」


 白銀の翼をパタパタさせながら、リアが答える。

 下では街の住民達がリアを拝んでいる。


 あんなものを拝むとは、人間どもは変わっているなあとちょっと引きながら。

 聞かなきゃいけない大事なことのような気がしたので、アレは声を張り上げる。


「逃さないように全部殺せば敵はもうこないって言ってたけど、どんどんくるようだゾ?」


 魔獣バジリスクを殺して、敵の将らしき立派な武装をした相手を殺したあたりで、さすがのアレもちょっとおかしいと思い始めたのだ。

 さっきの将は、結構な強さだったのでこの街の領主だったかもしれないぐらいには、いくらアレでも見当がつく。


「おかしいですわね。報告がなければ、是非もなく応援はこないはずなんですけど」

「うーん。勇者はなんか、こっそり動けとも言ってたような気がするが大丈夫なのカ?」


 戦術も戦略も何も知らないリアが考えたのは、現場の兵士を全滅させたらもう増援は来ないということだった。

 州都で騒ぎを起こしておいて、そんな訳がないのである。


 そもそもリア達は、ここが州都テオティワカンであることすら知らないので世話はない。

 ここにいる全員が全員、やることが絶望的に大雑把すぎる。


 隠密行動を取れというタケルの指示を辛うじて思い出したアレが一番マシであった。

 そんなアレの疑問を、母親のダレダ女王が一刀両断する。


「アレ。私達が婿殿に頼まれたのは、その聖母を守れということなのネェ。それだけやってればいいのネェ」

「うーんそうダナ。分かったのダ」


 アレもごちゃごちゃ考えるのは苦手だ。

 アレよりも、世間というものを知らない竜乙女ドラゴンメイド達は、何も考えずにリアの言う通り目の前の敵をサクサク片付けていく。


 最強種族たる彼女達としては、ちまちま考えるより、手を動かすほうが楽なのだ。

 こうしてバアル州における魔国の支配体制は、瞬く間に崩壊した。


 州都の魔軍が消滅。

 付近から調査の兵団を送っても、誰も帰ってこない。


 統制が崩壊した占領軍は各地域で孤立し、各個撃破の憂き目にあっている。

 この地を占領していた魔軍にとって、まさに天から降って湧いた悪夢としか言いようが無い。


 喜んだのは、魔国の占領軍に苛烈な支配を受けていたテオティワカンの民衆である。

 天から降ってきて瞬く間に憎き魔軍を一掃してくれた聖母リアは、まさに女神の化身である。


「もうアビスパニアの領主も女王もおらんようになったし、バアル国はもうアーサマの御使いである聖母ステリアーナ様の国じゃ!」

「そうじゃ、そうするんじゃ! ステリアーナ様バンザイ!」


 この女神アーサマの恩寵なき地に降り立った、白銀の翼の救世主。

 女神の化身ステリアーナ様バンザイ!


 その聖母ステリアーナが、なぜ竜の翼の軍団を使役しているのかなんてことは、民衆にとってはどうでもいい問題である。

 これもアーサマの奇跡であろうということで片付けられた。


 聖母ステリアーナに、新しい女王になってくれと呼びかける民衆の歓喜の声を受けて、こういうお祭り騒ぎが好きなリアも満更でもなさそうに笑って手を降った。


「うーん民衆に求められては、是非もないですね」


 この大陸の最果てバアルの地で、神聖ステリアーナ女王国が爆誕しようとしていたのは。

 敵である魔国はもとより、リアを派遣したタケル達ですら知る由もない。


     ※※※


「リアが遠方地で奇跡を起こして、信徒を立ち上がらせるって話でしたよね?」

 

 俺はなんどもライル先生に確認する。

 陽動にちょっと突付くってだけの話で、決して州都を落とそうなんて話ではなかったはずだ。


 なんでそうなった。

 まあ、なんでそうなったとは先生も言いたいことだろうけど。


「先生、これって結果オーライって考えてもいいんですかね」

「うーん、手放しでオーライとも喜べないですね……」


「やっぱり、マズいですかね」

「まず、安定したと思われた占領地の首都が陥落したことで、我々の狙っている敵首都からさらに戦力が割かれる。これは好都合ですよ」


 バアル州陥落を受けて、全く動揺をみせない大魔王イフリールは、すぐさま一万人規模の占領軍の増派を決定したらしい。

 五千騎の占領軍が敗走したから、今度はすぐに一万の軍を向かわせる。


 イフリールという魔国の貴公子は、よっぽどせっかちなのだろう。

 戦力の逐次投入をしないで、迅速かつ一気に兵を送り込むのは優秀なのかもしれないが。


 これで、敵の首都ローレンタイトの守りがさらに弱まるとはいえる。

 俺達にとってはありがたいことだ。


 敵わない敵なら、リア達は逃げてもらえばいいしな。

 敵戦力を減らす陽動としては申し分ない。


「でもこれ、やりすぎってことですよね」

「デメリットを上げれば、敵対的な勢力が存在するとこれで露見してしまいました。大魔王イフリールがこちらの意図に気が付かないほどのバカであれば、楽だとは思いますが……」


 地域で小さな反乱が起こる分には、敵もおかしいとは思わないだろうが、謎の竜乙女ドラゴンメイドの一団が現れての州都陥落。

 これはさすがに、敵も警戒し始めるだろう。


「そうすると、どうしたら良いんですかね」

「予定しているタンムズ・スクエアへの攻撃が、敵の油断を突いた奇襲にはならないかもしれないということです。その場合は、敵が警戒して待ち構えていたとしても、強襲できる作戦に変更します。そのために、シレジエ艦隊に精鋭を乗せていますから」


 すでに船はこっちに向かってきているので、やることは変わらない。

 こうなったらやりきるしかないのだ。


「奇襲作戦がバレなければいいんですけどね」

「そこも、努力はしますけどね。バアル州のテオティワカン、リンモン州のプレシディオで騒ぎが起こったとなると、次はタンムズ州のタンムズ・スクエアだと予想されてるかもしれません」


 ローレンス川を遡って、敵の首都のローレンタイトを目指すとなると。

 タンムズ・スクエアは絶対に落とさないといけない。


「……制海権は必要ですしね」

「タケル殿のおっしゃる通りです。いまさら、手を止めることはできないでしょう」


 ライル先生は、決意して頷いた。


「もちろん作戦決行まで、できる限り防諜はしましょう。シレジエ王国から密偵スカウトの四人を召喚したのは、むしろそちらが目的です。ですが、もう薄々察知されて敵も備えているぐらいには考えて策を立てたほうがいいでしょうね」


 敵の魔獣が勝つか、俺達の火砲が勝つか。

 腹をくくって勝敗を決するしかない。


 タンムズ・スクエアの決戦は目前に迫っていた。

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