第157話「実家に帰らせていただきます」

 戦後の処理が収まったのを見計らって、エリザたちが住む外葉離宮に出向くことにした。

 ダイソンとの戦いで傷ついた老皇帝コンラッドのお見舞いだ。


 小さな庭園の鬱蒼とした木々を抜けると、離宮の縁側でツィターが、ポロンポロンと弦楽器をかき鳴らしていた。

 やってきた俺の顔を見ると、つまらなそうだった顔がパッと明るくなる。


「よう」

「ガンナーさん、きてくれたんですね!」


「……ガンナーさん?」

「はい、この度はまたエリザベート殿下を助けていただきありがとうございました」


 お礼は良い。お礼は良いんだが、お前、俺の正体もうちゃんと目撃したよね。

 ツィターの反応は、勇者やシレジエ王族に対する態度じゃない。


「なあツィター、俺はなんだ」

「なんだと言われましても、ガンナーさんですよね」


 あれぇ……。いまは、普段着だけどさ。俺が、勇者として戦ってるところに一緒にいただろ。なんでガンナーさんが、勇者の剣を振るって、シレジエ軍を指揮してるんだよ。

 俺は少しツィターと話してみて、彼女が冗談で言っているのではないと気がついて、戦慄した。


 浮かない顔をしていたのは、今度の戦でも勝ったと噂になっている。シレジエの勇者を讃える新曲を考えるのに、難航していたかららしい。

 俺の顔を見て、勇者のイメージが湧いたので、それを参考にして曲を作ると言い始めた。だから、そのシレジエの勇者が、俺なんだよ!


 こいつ、皇孫女の唯一のお付きとして勤めながら、本気でなにも見てないし、なにも考えてない。

 音楽のことしか頭にないのか。


「ああ、分かった。もういいや」

「はい?」


 小首を傾げてるツィター。


「いや、もういいから、そのままの君で居てくれ」

「やだー。私なんか口説いても、何も出て来ませんよ」


 口説いてねぇよ、呆れてるんだよ。

 天然のツィター相手に、『実は貴方がシレジエの勇者様だったんですね!』みたいな、水戸黄門的な展開を期待したのが間違いだった。


 いまさら俺が勇者だとか王将軍だとか、自分で説明するのは恥ずかしすぎる。もう放っておこう。


「ところで、エリザはどこにいる」

「中に居ますよ、ずっと皇帝陛下のベッドから離れません」


 そうだろうな。一命を取り留めたとはいえ、老体に重い負担をかけてしまったコンラッド陛下の容態は芳しくない。

 俺も見舞いをするかと、建物の中に入ると窓際に車椅子型の大きな寝台に横たわっているコンラッド陛下。


 そして、その両隣にコンラッドを看病するエリザとニコラウス大司教が居た。


「ニコラウス、お前なんでここにいるんだ」

「なんでって、僕は勇者コンラッド付きの聖者ゆえにです」


 ゆえにです、じゃないよ。

 お前を後宮に招いた覚えはこれっぽっちもないのだが、どうやって入ったんだ。


「なあニコラウス。外葉離宮の敷地も、一応はシレジエ後宮の一部なんだぞ。もしかしてここに一緒に住んでるのか」

「はい。入るときには、誰にもダメですとは言われませんでしたけど」


 俺には悪い冗談にしか見えないのだが、アーサマ教会の聖職者は民衆からとても尊敬されている。

 アーサマ教会の大司教猊下ともなれば、俗界の人間ではない。男子禁制の後宮も堂々と、フリーパスでは入れてしまうらしい。


 変態モードのこいつを知らなければ、豪奢な大司教の僧服に身を包んだ普段のニコラウスは、尊くも熱誠なるアーサマ教会の若き聖者様に見えないこともない。

 しかし、それで通すって、あんまりにも後宮のセキュリティが弱すぎる。俺の城に、味方とは思えない男が居るのも好ましくない。


「あーもう分かった。居るのはもういいけど、お前はいつまで、ここに居座るつもりなのだ」

「今勇者の力を失えば、コンラッド陛下のお命は危ういのです。僕はこう見えましても回復魔法ヒーリングのオーソリティーです。及ばずながら、治療のお役に立てると思います」


 うーん、そう言われるとしかたがないのか。性癖はともかく、実力だけはニコラウスも最高級の聖者。医者が居ないこの世界で治療といえば、薬師に頼るか聖職者の力にすがるしかない。

 通いのメイドがくるだけでツィターとエリザしか住んでいない離れに、男が同居しているのも少し心配なのだけど。


 コンラッド帝に死なれたらエリザが悲しむから、今回だけは大目に見よう。

 ある意味、ホモ大司教ほど安全な男もいないだろうから見逃すことにした。


 ニコラウスは「時間だ」と、コンラッドの口に霊水を少し飲ませてから、回復魔法をかけ始めた。

 耄碌して寿命が尽きかけているところに、さらに命を縮めるような激戦を行ったコンラッドの身体は、普通の神聖魔法ではなかなか治らない。


 なぜなら、回復魔法ヒーリングとは『原状回復』でしかないからだ。怪我や病気は治せても老衰は治せない。それどころか命脈が尽きかけている老人にかけると、衰弱を加速させてしまうこともある。

 そこをニコラウスは、独自で工夫した治癒を試みているらしい。


 真面目に治療しているようだから、そのままさせておくことにしよう。この点は、俺が手出しできることではない。専門家に任せる他はない。

 そう思って治療の様子を眺めていると、エリザがこっちに擦り寄って俺の袖をクイッと引っ張る。何か言いたいことがあるのかと腰をかがめて顔を傾ける。するとエリザは背筋を伸ばして、耳元に囁いてきた。


「タケル様、格別のご配慮いただき、誠にありがとうございます。お祖父様のこと、なんとお礼を申し上げたらよいか」

「エリザ、俺にかしこまった礼なんか要らないって言ってるだろ……」


 まだ八歳の少女なのに、エリザは放っておくとすぐ硬くなる。必死に背伸びをして大人を演じようとする。それは気丈さだ。

 丁寧にお礼を述べられることは褒められるべきところだろうけど、俺はそれが少し気に食わない。


 彼女は、ゲルマニア皇帝の孫で、最後に残された血族だ。いずれは、否応なくゲルマニアの女皇帝とされるのだろう。

 子供は生まれるところを選べない、育った環境が違う。でもだからこそ、ゲルマニアを離れたところでぐらい普通の子供をやって欲しい。


 大人の真似なんて、大人になればいくらでもできる。酷世界は十五歳で成年だ、子供が子供でいられる時間は短い。

 大人のくせに小娘にしか見えないツィターの半分ぐらいでいいから、エリザも気を抜いてくれればと思うんだが、うちでは安心できないのだろうか。


「……子供は、子供らしくですか」

「そうだ、よく分かってるじゃないか。俺が責任持って大人をやってやるから、エリザはまだ子供をやっていていい。子供は、守られて当然なんだよ。お礼が言いたいなら、ありがとうの一言でいいから無理するな」


 俺は、エリザの小さい肩を抱きしめて、青みがかったプラチナブロンドの髪を撫でてやった。彼女の浮かべてみせた笑顔がとても寂しそうだったから、思わずそうしてしまった。

 そうしたら、俺の胸に頭をもたれさせたエリザが、声を殺して泣き始めた。


 昔の俺ならなんで泣くか分からずに、あたふたしただろうけど、今は俺も子供の扱いに慣れてるから空気ぐらい読める。

 この子は、ずっと気を張り続けていたのだろう。まだ小さいのにな。


「タケル様……」

「いいから、しばらくそうしてろ。なんなら泣き叫んでもいいんだぞ」


 冗談めかしてそう言うと、強張っていたエリザの肩から力が抜けたのを感じて、俺もホッとする。少しは安心してくれているのだ。

 ここは異郷の地で、誰にも頼れないエリザは気苦労が多いのだろう。この子は、ツィターみたいにのんきな性格じゃないからな。


 せめて子供らしく歳の近い友達を作ってくれればと思うんだが、俺も戦争に明け暮れているのでなかなか引き合わせてやる暇もない。

 何とか俺が王城にいる間に、誰かを紹介してやろう。うちでいうとメイドは大人すぎるから、奴隷少女辺りが良いか。

 エリザは聡明だから、少し年上の女の子でも、対等に付き合えるはずだ。


「叫んだりはしません、お祖父様も眠ってますし……。でももうしばらくだけ、胸をお借りしてもいいですか」

「ああ、かまわんさ。頼りない俺の胸でも、ハンカチ替わりぐらいにはなるだろ」


 洋服を汚してしまうとか、エリザは気にしそうだから先に言っておく。

 やれやれ、なんでこんなにいちいち物言いが硬いんだろうと思うが仕方がない。


 エリザは小さな頃から帝宮暮らしで、皇孫女に相応しい窮屈な立ち居振る舞いを強いられていたのだ。

 まだ八歳だろう、元の世界で言えば小学校の二年か三年ぐらいだと思えば、可哀想だ。


 俺がエリザぐらいの歳の頃はどうだったかな。ほとんど何も考えずに、鼻水垂らして遊び歩いてたんじゃないかな。

 この子も、もう少しでいいから周りの大人に甘えて、楽に生きられるといいんだけど。


 そう思って嘆息していたら、後ろから叙情的メロウな曲が流れてきた。

 俺達の後ろでツィターが、弦楽器を繊細な指先で優しく弾き、淡い旋律を奏でている。


「ツィター、なんのつもりだ」

「いい雰囲気だなと思いまして、ムードアップです。楽士のお仕事をさせていただいております」


 本当にトボけたことを言ってやがる。満面の笑みで楽しそうに腰を揺らして演奏しているツィターには苦笑するしか無い。

 俺の胸の中でエリザが堪え切れないといった様子で、クスクスと笑い始めた。俺も誘われて吹き出してしまう。


 確かに、ツィターはちゃんと仕事をしている。とても俺より年上には見えない間抜けな娘だが、得難い資質を持った宮廷楽士ではある。

 ツィターの天性の明るさは、エリザの救いになっている。


     ※※※


「大変です、ルイーズさんがいなくなりました」


 シャロンが慌てて、俺のところにやってくる。

 俺の直属の騎士になっているルイーズは、王城に部屋を与えられているが、常に城にいるわけではない。


 彼女は、かなりの大所帯になってしまった義勇兵団全体の団長でもあるので、その仕事で外に出かけることも多い。

 蓄積した疲労と、竜乙女ドラゴンメイドのアレにやられた傷のせいで臥せっていたが、元気になった途端に飛び出して行ったのだろうか。


「ルイーズなら、義勇軍のキャンプか、王領の見回りにでもいったんじゃないか」

「でも、部屋にこんな書き置きと、装備を残していったんですよ」


 俺は、書いた手紙を読むと、ルイーズ部屋に走っていた。

 綺麗に整えられたベッドの上に、俺が彼女に下賜した『オリハルコンの大剣』と『オリハルコンの鎧』が残されている。


 ルイーズの置き手紙はとても簡素だ。

 戦いに敗れた自分は、俺の騎士に相応しくない。オリハルコン装備はお返しする、とあるだけだ。簡単すぎて、何を言いたいのか分からない。


「シャロン、ルイーズがどこに行ったか分かるか」


 シャロンは、頭を振る。

 そう遠くには行っていまい。王都の人の出入りは、兵士がチェックしているし、防諜のために密偵スカウトも巡回しているので、変わった動きがあれば分かるはずだ。


「ネネカを呼んでくれ」


 ルイーズが行きそうな心当たりなど、俺には分からない。密偵に探せるしかない。

 もう長い付き合いなのに、俺はルイーズのことを何も知らないんだなと思うと、愕然とした。


     ※※※


 ルイーズの行き先は、すぐに分かった。

 何のことはない。彼女は王城から出ていなかった。実家のカールソン家に戻っていただけだった。


 カールソン家は、シレジエ王国建国以来の武家の棟梁である。カールソン家は、騎士や将軍を輩出した名門であり、代々の王家剣術師範役も務めている。

 シレジエの御流儀と言えば、カールソン流剣術を指す。そのために、ルイーズの実家は大きな剣術道場がある立派なお屋敷だった。


「ルイーズって、本当にお嬢様だったんだな」


 見上げてみると、立派な二階建ての建物だ。佐渡商会と社屋と同じぐらいの建物に、隣接している大きな空き地が道場らしい。剣術道場と言うと、日本式の板間の道場を想像するが、西洋式は勝手が違う。

 石の塀に囲まれた空き地に、大きな丸太の杭が立っていて、それに向かって剣を振るい鍛錬するらしい。


 大きな空き地で、百人近い数の若者が、叫び声を上げながら立ち木に向かって剣を振るっている。

 広い敷地には厩舎や馬場まであり、馬上から駆け抜けざまに横木に取り付けられた盾を突く槍的クインタインという練習道具が置かれている。


 槍的の横木の反対側には砂袋が吊り下げられており、盾を刺突するスピードが遅いと、グルっと回転してきた砂袋に叩きつけられるという面白い仕掛けになっている。

 剣術だけではなく、本格的な馬上槍術や弓術の訓練も行われている。騎士になるための総合訓練所の様相だった。


 御流儀ともあって、シレジエの将兵はカールソン流の出身者が多い。訓練施設は、門下生でどこも埋まっていて賑わっていた。

 ただ俺がイメージしていたような対人訓練をしている生徒はいない。使っている武器が練習用に刃は潰してあるとは言え本物の鉄の剣なので、対人訓練は危険なのだろう。


 そう考えると、柱や藁人形や槍的を相手にするだけの訓練となるわけか。

 竹刀と剣道防具を使うようにすれば、安全に対人訓練もできるんじゃないかな。いや、今日はそんなことで来たんじゃなかったか。


「これは、王将軍閣下、ようこそいらっしゃいました」

「えっと……」


 不審者丸出しの俺が道場の中をウロウロとしていると、さっきまで若者を指導していた、威厳にあふれる壮年の師範がやってきた。

 赤毛の総髪、赤い髭を口元に蓄えて、練習用の剣を地面に突き立てて悠然と微笑んでいる背の高い師範は、簡素な黒い道着だ。


 白い道着を着ている練習生とは色違いなだけで、服装に違いはないのだが、朗らかに応対しても隙のない立ち居振る舞い。別格だなと分かる。

 おそらく、この男が道場の主だろう。


「ジェローム・カールソンです、娘がお世話になっております」

「ああ、ルイーズの親御さんか」


 深々と頭を下げた剣術師範は、カールソン家当主、ジェローム・カールソンだった。

 クーデター後の混乱で形骸化しているとはいえ、正式なシレジエ王家の剣術師範役であり、準男爵の地位を世襲しているシレジエ貴族でもある。俺の顔は、元から見知っていたようだ。


「閣下……。娘は、家に帰ったっきり奥の間に閉じこもってますが、お呼びいたしましょうか」

「いや、俺のほうが出向くよ」


「では、娘の部屋にご案内いたします」

「済まないなジェローム卿、訓練中に」


 ジェロームの案内で、カールソン家の奥の間に通される。

 建物の中は、広いだけで普通の住宅だった。生活感が足りないというか、余計なものは何もないだだっ広いだけの内装。領地を持たない下級とはいえ、貴族に列せられる家柄にしては質素なものだ。


「ルイーズ、王将軍閣下がいらっしゃったぞ!」


 ルイーズの部屋だという奥の間の扉の前で、ジェロームがノックをして野太い声を張り上げると、中でガタッと音がした。

 しかし、しばらく待っても扉は開かない。


 引きこもってるのかな。

 ルイーズはいきなり実家に帰って、なにがしたかったのだろう。


「うーん、これ勝手に入ってもいいものかな」

「閣下、僭越ながら申し上げますれば……娘のことは、私にも分かりかねます」


 俺とジェロームは、顔を見合わせると苦笑いした。

 実の父親ですら分からないのに、俺にルイーズがなにを考えているかなんて、分かるわけもない。

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