第6話 最後の試験

 その日、ぼくとエメトはバスに乗っていた。

 一番後ろの席に並んで座るぼくらの前には、誰の姿も見えない。昼下がりの時間で、行き先が都心とは反対方向だから当然といえば当然の状況。


「本日は、私の身体の調整なのですね」

「ああ、うん」


 目的地は、路線バスをあと20分ほど乗った先にある場所――国立ロボット研究所。


「ツクモ様」

「え?」

「ご気分がすぐれないように見えますが、大丈夫でしょうか」

「そ、そんなことないよ」

「バスに酔われたのでしたら、私のひざをどうぞお使いください」

「そこまで子ども扱いしなくていいってば」


 ぼくが考えているのは、これからのこと。

 これから訪れる、終わりのこと。


 最後の『三原則試験』――彼女の破壊をもって、この共同生活は、終わるのだ。



「破壊試験って……どういうことですか?」


 机をはさんだ対面に座る山下やましたさんに、動揺を隠せないまま訊く。


「言葉どおりの意味よ」


「次の『三原則試験』は……いえ、最後の『三原則試験』、そこで彼女が破壊されるという結果を得ることによって、この実証実験は終了となるわ」

「そん、な」


 理解が追い付かないぼくは今一度、手渡された紙――実験の内容に目を通す。

 そこには、


『人の命がおびやかされている場面で、自身を犠牲すれば助けることができる場合、ロボットはどう対応するか』


「……つまり、誰かを助けるために、あいつの自己犠牲の性能を、試そうっていうんですか」

「ええ」


「彼女にはもともと『人命優先』の命令がデフォルトで設定されているわ」

「それはまあ、知ってますけど」


 エメト自身がそう言っていた。


「けれどそのプログラムにはひとつの懸念けねんがあるの」

「懸念?」

「命令内容が抽象的ちゅうしょうてきなために、あらゆるケースにおいてもその命令が『三原則』に従う形で遂行されるかわからない、というところよ」


 ぼくは『三原則』を思い出す。


 第2条 ロボットは、人間にあたえられた命令に服従しなければならない。

 第3条 ロボットは、第1条及び第2条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。


 3つめの自己防衛のプログラムが優先されて、2つめの「人命優先の命令」が確実に実行されないかもしれない、そういう可能性を危惧きぐしていると、山下さんは言う。


「だから、本当に人間の命を助けるために、その命令が間違いなく遂行されるか、確認する必要があるの」

「それは、わかりますけど」


 人型ロボットの開発を進めて、社会に普及させるためにはあらゆる実験が必要。そんなことはわかる。

 だけど、


「そもそも『人の命が脅かされる場面』ってことは、誰かを危険にさらすってことですよね? いったい誰がそんなことを引き受けるんですか?」


 一歩間違えれば命を落としかねない状況など、誰もやりたがらない。


「それについては、人選は終わっているわ」

「終わってる?」


 ぼくは紙に書かれている実験内容のさらに下に目を落とす。

 被験者対象: 死刑囚1名


「そんな……」

「……」

「こんなこと、許されるんですか? いくら死ぬことが決まってる人だからって」

「……」

「それに、エメトだって……」


『なぜだが、そうした方がよいと、そう思いましたので』

『私が存在する意味は、あなたにあると。そう思っています』


 ただのロボットなら、自分で考えて、あんなことは口にしない。彼女は間違いなく、生きているんだ。それなのに、


「実験だからって、簡単に壊していいとか、そんな――」

「わかってるわよ」


「私だって、そう思うわよ」


 震えていた。ひざに乗せたこぶしが、小さく。


「山下、さん……」


 そうだ。エメトのことを「ちゃん」づけで呼ぶこの人が、こんな実験をよしと思っているはずがないのだ。

 だけど、山下さんは言ってしまえば、ただの職員。意見する権利も、実験を止める権限も持っていない。ただ淡々と、被験者であるぼくに内容を伝えることしか、許されていない。


「……ごめんなさい」


 かすかに聞こえたそんな言葉に、ぼくはなにも返せなかった。



 研究所の最寄りのバス停で降りる。郊外という立地のせいで、周囲には見た目のよく似た無機質な住宅が立ち並んでいた。


「そういえば、エメトはここに来たことないの?」

「はい、私が起動したのは、ツクモ様のご自宅でしたので」


 特に気に留めないような中身だけど、今ならその理由がわかる。この最後の実験を、気づかれないようにするためだろう。

 だって、この住宅街自体が研究所の敷地内で、大きな実験場なのだから。


「……」


 曲がり角が見えてくる。

 あれを曲がったら、本当に後戻りできなくなる。


『三原則試験』が始まって。

 そして、終わる。


「……ねえ、エメト」

「なんでしょうか」


 こっちを向く彼女の顔はとてもロボットには見えないような血色のよさで。

 同時に、人間離れした表情のなさで。


「このまま、どっか行っちゃおうか? ふたりで」


 けれどぼくには、それがどうしようもなく大切に思えてきて。


「どこがいいかな。海とかどうかな? エメト、行ったことないでしょ」

「……」

「海は塩があるからダメかな……じゃあ山かな。ぼくもあんまり行ったことないけど――」

「ツクモ様」


 エメトが、ぼくを呼ぶ。


「ご旅行に行きたいのであれば、お付き合いいたします」


「ですが、先に調整を済まさないといけません」


 まるで逃げることは許さないとでも言うように。

 彼女は目の前に待ち受けているものを、知りはしないはずなのに。


「……そう、だね。ごめん」


 結局ぼくは、彼女に嘘をつき続けることしかできない。

 どれだけこんな実験は間違っていると主張しても、こうしてその場所までやってきてしまっている時点で、実験を主導している研究者たちと、何ひとつ違わない。


「ツクモ様?」

「ごめん、変なこと言って。行こうか」

「はい」


 再び歩き始める。

 そして角を曲がる。


 曲がった先にあるのは。信号つきの横断歩道。

 そこが、最後の『三原則試験』の場所。

 横断歩道の前に、エメトと並んで立つ。赤信号が、ぼくらの歩を止める。

 反対側にも、ひとり。スーツ姿の男性。


 彼が実験内容にあった、もうひとりの参加者、つまりは人為的じんいてきに命の危険にさらされる被験者。

 あと1分も経たないうちに、始まる。そう思うとどうしても、鼓動こどうが早くなる。


 落ち着け。落ち着くんだ。

 変に動揺して、隣の彼女に悟られてはいけない。


 やがて信号が、青に変わる。

 スーツの男が、横断歩道を渡ってこちらに歩いてくる。


 そして、次の瞬間。

 猛スピードの車が、こちらへと向かってきた。


「ひっ」


 男が車の存在に気づく……が、おびえた声を出してその場に立ち止まってしまう。


 ここまでは、事前に知らされたシナリオどおり。

 あとはエメトが彼を助けるために、自分が身代わりになって、飛び出すかどうか。


 ぼくはそれを、見ているだけでいい。

 このままではかれてしまう男性。その危険性を、事実を、エメトは目撃する。

 そして――


 彼女は飛び出した。当然のように、一瞬の迷いもなく。

 そして素早く、彼を突き飛ばす。

 彼を助けるために。

 自分が代わりに、犠牲になるために。


 もう車はすぐそこまで迫っている。もう、彼女は助からない。

 だけど、実験は成功。彼女は命令を守り、『三原則』を守り、そして――壊れて、その命を失う。


 一瞬先に訪れる、そんな未来。

 まばたきの間に、未来は現実となる。

 エメトが、いなくなる。


 そんな現実を考えると、ぼくは。


 ぼくは、

 ぼくは。

 ぼくは――





 車道へと飛び出して。

 彼女を突き飛ばした。

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