匣庭は沈む

 もう、何も分からない。

 幾つもの狂気的な事件の果て、計画の首謀者はバラバラにされて殺された。

 人々の狂気は止まらない。

 この赤く染まる満月を、私はどうしたら止められるというの?

 病院は、死んだような静寂が支配していた。

 入院患者は何人かいるはずなのに、ここはまるで廃墟だった。

 一縷の望みを抱いて三階に上った私は、その望みすらも断ち切られて打ちのめされる。

 蟹田郁也さんがいなくなっていた。

 そして、誰もいなくなる。

 全ての人々は狂い果て、私もまた特別ではなく。

 街は、八木さんが危惧したような最期を迎えるのか。

 私たちの行動に、意味はなかったのか……。

 病室の窓から、外を眺めた。

 中央広場に、住民たちが集まり始めている。

 そう……電波塔の稼働式典は、夜九時から中央広場で行うことになっていた。

 やはり、反対派の人たちが式典を潰そうと集まっているのだ。

 だから、きっと彼らは狂うだろう。

 予め決められていたシステムが、何もかもを終わらせるのだろう。

 止められる人は、まるで祟りにあったかのようにバラバラにされた。

 ああ、もしかしたら本当に、この殺人だけは。

 鬼の祟り、だったのかな……。

 時計の針は八時半を過ぎ。

 刻限は間近に迫っている。

 一人、寂しいのは嫌で。

 私はせめて家族の元へ戻ろうと、萎えかけた足に力を入れた。


「――くうッ……」


 頭が痛い。

 耳障りな音が聞こえる。

 鬼の唸り声なんかじゃない。

 これは、頭を侵すノイズだ。

 狂気の波長が、私たちを壊していく。

 満生台を、壊していく。

 もう、どんなに願っても。

 満ち足りた暮らしなど、戻ってはこないのだ。


「お父さん……お母、さん……」


 ごめんなさい。

 私は、お姉ちゃんみたいに強く生きられなかった。

 心配させてばかりの、駄目な代わりだった。

 病院から出るころには、まともに立っていられないほどの頭痛が襲い。

 私はほとんど這うようにして、闇夜の道を進む。

 心細くて、悲しくて。

 止め処なく、涙が溢れ続けた。


 ――そして。


 破滅の瞬間は、無慈悲に訪れる。

 世界を包む轟音と震動。

 痛みに薄れゆく意識の中で、私は確かに、この目に焼き付けた。

 まるで波のように、山の斜面が轟々と雪崩落ち。

 私たちの箱庭を、呑み込んでいく瞬間を。

 空が赤い。

 月が赤い。

 何故だろう、水の音も聞こえてくる。

 

『計画完了に伴いこの街が不要になるのであれば――』


 ああ――そうか。

 これが、後片付けなのだ。


 広げられた玩具の箱庭は、こうして片付けられてしまうのだ。

 絶望に打ちひしがれ、狂ったように笑うしかない私の体は。

 容赦なく波に飲み込まれて、全ては闇の中へと落ちていった――。


 八月二日、午後九時。

 私たちの箱庭は土砂と津波に呑まれ、地図から消え去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る