蛇見静香②
二泊三日の合宿は、あっという間に過ぎた。
帰りのバスに乗り込むときは、少し名残惜しかったほどだ。
私と静香は、帰りもまた隣同士の座席で。
外の風景が見慣れた街並みに戻っていくのを、ぼうっと待っていた。
合宿中は晴れていた空は、その日の朝から怪しい雲行きになっていた。
バスが走り始めてすぐ、窓には雨粒が落ち始めた。
やがて雨はザアザアと本降りになり。
流石に子守唄とするには大きすぎる音を、車内に響かせるようになった。
眠たいけれど、中々寝付けない。
そんなもどかしい時間がだらだらと過ぎていく中。
――突然、世界が真っ白な光に埋め尽くされた。
「きゃああぁああッ!」
仲間たちの悲鳴で、バスは満たされ。
同時に、世界全てが隆起するような、とてつもない衝撃が襲った。
音は、遅れて聞こえてきた――ように思う。
まるで巨大な爆弾が炸裂するような、とんでもない爆音。
しかし、それが耳に入った瞬間にはもう。
私の意識は光とともに、吹き飛ばされてしまったのだった。
落雷だった。
私たち空手部を乗せて走るバス目掛け、雷が落ちたのだ。
更に悪いことには、バスはちょうど山間部を通っていて。
落雷の衝撃と運転手の気絶により、ガードレールを突き破って谷底へと転落したのである。
私たちは、一人残らず。
数十メートルもある崖から、無数の岩塊とともに落下していった……。
雨が頬を叩く感覚に、目が覚めて。
「……う、う……」
私は短くない時間をかけ、自分たちが恐ろしい悲劇に見舞われたことを理解した。
全身の痛み。酷いところでは、最早感覚もなく。
俯せに倒れていた私は、周りの状況をよく確認することもできなかった。
みんな、どこまで飛ばされただろう。
無事でいるだろうか。
何とか首を動かして、近くの様子を確かめる。
……そこにあったもの。
どうしようもなく絶望的な、終末の光景。
「……あ、……ああぁ……」
血。血。血。
物言わぬ肉塊と成り果てた、何人もの仲間たち。
散乱するのは、彼女らのパーツ。
腕が、脚が、落石により千切れ飛んで。
無残にも、周囲に散らばっていたのだ――。
「い……嫌……」
泣き叫びたかった。
嘘だと喚き散らしたかった。
だけど、私にはそんな体力すらも最早なく。
熱量を奪っていく雨に弄られるまま。
ただ、この地獄絵図に嗚咽を漏らすことしかできなかった。
「……たつ、み」
どこかから、声が聞こえてきた。
静香の声だ。
他のみんなはもう、誰一人として生きていなかったけれど。
彼女だけはまだ、生きていてくれた……。
「静香――」
私は、声のする方へ力を振り絞って首を動かした。
無事でよかったと、声をかけたくて。
そして、振り向いて目にした光景は。
「――あ……」
私に芽生えかけた僅かな希望を、容赦なく刈り取る凄惨なものだった。
「静香ぁッ!」
消え入るような声を、それでも死力を尽くして出したのだろう。
声を出すことだけでも、彼女にとってはもう……困難なことだった。
彼女の胸から下、その全てが、落ちてきた岩の下敷きになって。
血塗れになったその岩の下がどうなっているかは、見ただけで明らかだった。
「はは……こんなことも、あるもの、なんだな」
「喋らないで……今助けるから!」
私は上手く力の入らない体を強引に動かそうとする。
しかし、やっぱり起き上がれない。
おかしい、おかしいんだ。
だって、どういうわけか腕が上がらないんだよ――。
「龍美……無茶しないで、くれ。君だけは……どうか」
「嫌よ! 静香だってまだ生きてるじゃないッ!」
そうだ。ここで私がすぐに助けを呼べたら。
静香の体を圧し潰す岩を除けることができたら。
その命を救うことだって、できるかもしれない。
可能性はまだ、消えてはいないんだ。
どうして。
ああ本当に、どうして、どうしてこんなことに!
楽しく賑やかな日々の最後が。
なぜこんな悲劇で幕を閉じなければならないというのか――。
「無理だよ……龍美」
「そんなことないッ!」
「だって……君の、腕は」
私の腕は?
……顔を、腕の方へ向けると。
「……あぁ、あ……」
私の腕は、静香の体と同じように……落石の下敷きになって、潰れていた。
「ああぁああ――ッ」
嘘だ。嘘だ嘘だ。
こんなことに、なるわけがない。
こんなの、全部悪い夢なんだ。
合宿が楽しくて、疲れちゃって。
だから私は帰りのバスの中で、悪い夢を見てしまっているだけに決まってる。
こんなの……こんなのって……。
「なあ……龍美……?」
「どうしたの、静香……!」
「……楽し、かったな?」
「……ええ、楽しかったわ!」
だから、これから先もずっと。
楽しい日々を、過ごしたいじゃないか。
私たちは、灰色の日々を乗り越えてさ。
いつか、あなたの家で遊ぶんでしょ?
ああ、邪魔だ。
この岩が、邪魔だ。
これさえ何とかなってくれたら。
私は今すぐに静香の元へ駆けつけて、助けてあげられるのに。
腕が、動かない。
もう感覚はないのに、それでも動いてくれない。
千切れもしない。
邪魔だ、この岩が。この腕が。
私は何も守れない。
この手で何一つ――。
「……たつ、み……どうか……」
――幸せに。
吹き荒ぶ風の中で。
最後にそんな声がしたようで。
私がもう一度振り返ったときには。
彼女の目は、虚ろに濁ったまま止まっていた。
「……やだ……そんなの、やだよ……」
置いて行かないで。
私だけ生きて、幸せになるなんて……そんなの嫌なんだ。
動いてよ。
ねえ。
せめて、あの子の。
静香のそばに、行かせてよ。
なんで、この腕は。
こんなに大事なところで、役に立たないんだ。
私は、なんのために強くなったんだ。
私は。
雨が、ただ強く降り注いでいた。
世界は、死んだように灰色だった。
私は起きているのか、生きているのかも分からないまま。
散乱する死体の中でたった一人、取り残されていた――。
救助が来たのは、半日ほどが経過してからだった。
時間通りにバスが戻ってこないのを心配した学校がバス会社に連絡し、そこから警察にも連絡がいって、事故現場が発見されたのだ。
後から聞いた話では、私の命も相当危険だったらしく。
ただ一人でも生き残ったことは奇跡だと、色んな人から口々にそう言われた。
でも、私は奇跡だなんて言われたくはなかった。
奇跡が起こるなら、誰一人として死んでほしくなかった。
あんなにも多くの仲間たちが死んだ時点で。
それはもう、奇跡でもなんでもなかった。
あれは、ただの悲劇だったのだ。
日常を一瞬で消し去っていった、地獄のような出来事だったのだ……。
この事故により後遺症を負った私は、精神的なショックも引き摺っていたため、しばらくの間まともな生活を送ることすら困難になった。
食事は毎回親に食べさせてもらうことになったが、たとえ食べてもすぐに吐いてしまい……まるで体が生きることを拒絶しているかのような状態になってしまっていた。
だけど私は、いなくなってしまった親友の、最期の言葉だけは胸に刻み込んでいて。
ああ、死ぬわけにはいかないんだなと、どうにか生命活動を続けることはできた。
――どうか、幸せに。
それはある意味、呪いのようなものでもあったけれど。
あの地獄を、誰一人として救えずに生き残ってしまった私は、責務を果たさなくてはならないと。
いつもそばで、仲間達が見ているのだと思い込んで。
だから幸せを掴まなくちゃならないと、思い込んだ。
そのすぐ後。
仁科家は、満生台と呼ばれる医療に特化したニュータウンの存在を知る。
両親の決断は早く。
私の体と心の治療のため、仁科家は満生台へと移り住んだ。
これが、私の過去だ。
誰も救えず、一緒に死ぬこともできずに生き残った私の、傷跡。
今もなお悪夢が苛む、重たい十字架。
この先も背負い続けなければならないもの。
だけど、満生台で再び信頼できる仲間たちと出会い。
私はその十字架と、上手く付き合っていけるかなと思えるようになった。
静香が遺した願いを、ちゃんと叶えられたらと、思えるように。
だから、私は。
乗り越えたいのだ。
あの日救えなかった命に誓って。
降りかかる絶望を振り払い、幸せな明日を目指して生きていきたいんだ。
――生きて、いきたかったんだ。
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