鬼の夜

 説明会からの帰り道。ポツポツと雨が降り始めた。

 そう言えば、宣言通り千代さんはいなかったし、虎牙の姿もなかった。千代さんはお父さんの看病ということだが、虎牙は佐曽利さんが行かないからという理由だし、家でゴロゴロしているのかな。


「……ん?」


 気のせいだろうか。

 お母さんが手渡してくれた傘を差そうとして、少しだけ視線を動かしたとき。

 集会場の裏手に、虎牙の姿が見えたようにも思えた。

 目立つ銀髪。

 この街で銀に近い髪をしているのは、他に蟹田さんくらいしか思いつかないが……あの人はどちらかと言えば、病気のせいで髪の色が薄くなっているという感じだ。

 虎牙のものとは文字通り毛色が違う。


 ――まあ、私の見間違いだろう。


 そんなことあるはずないと、私は今の光景を無かったことにして、家へと急いだ。

 傘を差していても、ある程度は濡れてしまうものだ。玄関まで辿り着いて一息吐いたとき、自分の服の袖が肌にべったりくっついているのに気付いた。これは早いとこ、お風呂に入りたい。

 お母さんもその辺りは最初から想定してくれていたようで、既にお風呂は沸いていて、ちょうどいい温度で保温されていた。


「すぐ入っちゃうねー」

「ええ、温まってらっしゃい」


 お母さんに断りを入れ、一番風呂をいただく。まあ、普段からお風呂に入る順番は私が一番なのだが。こういうときは皆入りたいだろうし、言っておくのが礼儀というもの。

 雨で冷えきった体を、ぽかぽかの湯船で温める。最高の癒しだ。

 私はそこまでお風呂の時間が長いわけではないけれど、この日は何となく、四十分くらいの長風呂になってしまった。色々と、湯船に浸かって忘れたいことが多かったからかもしれない。


「あー、やだやだ」


 明日からも試験があるというのに、説明会の険悪ムードのせいで、今日もやる気がなくなってしまった。そろそろノートくらい見返しておかないと、点数が怖いのだけど。


 ――それにしても。


 鬼が祟る、か。

 こういう伝承があるらしい、と聞く分にはそれほど恐ろしくはなかったが、瓶井さんがああ言うと迫力がある。

 そう……まるで私たちに脅しをかけているかのよう。

 まさか瓶井さんが、私たちの鬼封じの池探検について知っているわけではないだろうが、負い目がある分余計に恐ろしく聞こえてしまった。

 私たちも祟りの対象になってしまうのでは、と。

 ふと、窓の外を見る。

 雨は次第に強まり、今ではポツポツと窓を叩く音も聞こえてくるほどだった。

 これはしばらく、止みそうにない。

 ……八木さんは、二人の論争をどのように眺めていたのだろう。

 今度会うときは、是非とも聞かなくてはと思う。

 ――と。


「……うッ……?」


 ――まただ。


 頭に突き刺すような痛み。

 また、自動筆記の前兆が降って沸いた。

 しかし――今回の痛みは、これまでのものよりずっと強烈で。

 初めこそ油断していたものの、痛みに耐えきれずベッドに倒れたときには、流石にまずいと感じた。

 意識が途切れそうになる。

 どうして、こんな頭痛が?

 玄人たちが言うような、疲れだけが原因とは、やはり考えられない。

 それほどまでに、この頭痛は――不可解に過ぎた。


「……あぁ……」


 どこかから、ノイズのような音が聞こえる。

 鬼を信じる者なら、ともすればその唸り声と感じたかもしれない。

 けれど、痛みが強すぎて。

 私にはその音を、注意深く聞き取ることなんてできやしなかった。


 ――鬼が祟りますよ。


 そんなことない、と首を振る。

 振るたびに、頭痛が酷くなる。

 両手で頭を抑えようとして。

 私は――腕が震えていることに気付いた。


「い、嫌……」


 これは。

 私の腕だ。

 鬼なんかに、支配なんてされたくない。

 だから、動かないでよ――。

 自動筆記。

 鬼の警告。

 全てが真実のようでもあり、

 全てが塗り潰された嘘のようでもあった。

 ……やがて、恐慌は治まる。

 私の両腕は、自らの意思で動くようになり、激しい頭痛も少しずつ引いていった。

 けれど、鼓動だけは張り裂けそうなほどの速さのまま。

 私はだらだらと、汗を垂らしながらベッドに倒れ込んでいた。

 自分の身に何が起こったのかなど、当然理解できぬまま。

 ただどうしようもなく、誰かに謝りたいとだけ、思っていた。


 ――ごめんなさい。


 あのとき鬼封じの池に行かなければ、こうなることはなかったのか。

 ……分からない。

 探検をするよりも前に。私は自動筆記を体験していたのだから。

 今のが祟りと言うなら、私は以前から祟られていたことになってしまう。


「……何なのよ、これ……」


 訳が分からず、私は枕に顔を埋めながら、呟いた。

 もう、何もする気になど、なれなかった。





 定められたレールの上を行くように。

 人々は、同じ苦しみを味わっていく。

 誰一人として、逃れることなんてできずに。

 そしてまた――惨劇は始まるんだ。

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