Ex4 ある日の佐藤兄弟2 野球マンガを語る
時系列は不明ですが、おそらく直史の高校一年生秋あたり
×××
よくあることであるが、この日も武史は兄である直史の部屋のベッドで、兄の部屋にあるマンガを読んでいた。
膨大な量の蔵書であるが、これは元は直史の物ではない。父の弟である叔父が、実家に残していったのを譲り受けたのだ。なにしろ直史の部屋には、本棚がたくさんあったので。
本人は全て電子書籍で買い直したというのだが、時々やってきては懐かしそうにページを捲ることがある。
ちなみに成人向けコミックもあるが、武史はなかなかそれを自室に持っていく勇気が湧かない。
選別している間に時間が経過してしまうということもある。
兄である直史は、机に向かって勉強をしていた。受験生である武史が勉強をしていないのは、単に今が休憩中だからである。
「あのさ~、兄貴さ、『ストッパー毒島』の中で、好きなキャラって誰?」
唐突に訊いてきた弟の問いに、直史は問い返すこともなく答えた。
「佐世保と三条。敵ならフィッシュバーン」
「投手は?」
「……強いて言うなら黒田に共感を覚える」
「さよか」
スピードがないかわりに変化球とコントロール、緩急で勝負するというのは、確かに直史好みなのかもしれない。
だが技巧派の兄ならば、斉木あたりを挙げるかとも思ったのだが。
「お前は?」
「イチロー」
「そりゃ実在の人物だろう」
「じゃあ毒島兄」
「あれ、うちの大介並のチートだよな」
平和な会話が過ぎていく。直史も振り返り、弟とのコミュニケーションを取ることを考えたようだ。
「あれも下手に現実がドラマチックになったから終わったけど、実はもっと先まで考えてたと思わない?」
「そうだな。でもあの時代に毒島に160km以上投げさせてるところは、けっこう画期的だと思う」
叔父の集めた物なので、昔の作品も多い。高校野球物では、140kmのストレートで速球派という時代だ。
確かに今でも140km投げれば速いことは速いのだが、年々フィジカルは増していっている。
150km以上を投げた投手をリストアップしてみれば、その大半は21世紀以降になるのだ。
甲子園には出れなかったが、163kmを出した高校生もいる。
もっとも本当の球の速さは、回転数なども重要になる。それがいわゆる伸びというものだ。
「プロじゃなくて、じゃあ『ラストイニング』だったら?」
「味方なら八潮、敵なら佐倉」
「キャッチャー好きだね」
「そりゃいいキャッチャーを嫌いな投手はいねえよ」
「でも兄貴ってあの中なら、新谷っぽくね?」
「俺みたいに節操なく変化球おぼえるやつはいないだろ。投手の中ではカバオ君が好きかな」
そこまで会話して、武史は自分が好きなキャラを言ってないことに気付いた。
「俺なら新発田かなあ」
「あ、あいつは俺も好き。バックにいてくれたら……つーか大介だな」
またもや現実がフィクションを侵食する。
直史は常識人を任じているが、大介の存在だけはフィクションにしてもおかしくはない。
さて、ではよりリアル寄りの、甲子園未満作品だとどうなるか。
「それじゃ『おおきく振りかぶって』のキャラなら?」
「能力だけなら吉田なんだろうけど……」
「え? 誰?」
「SRCのキャッチャー」
「ああ……って、本当にキャッチャー好きだね! 阿部はどうなの?」
「阿部よりはジンの方が上だろうな。あのマンガのキャラなら谷嶋が近いと思う」
「え? 誰?」
「千朶のキャッチャー」
「……兄貴、相当にあれ読みこんでない?」
さりげなく高評価に、相棒を挙げる直史。
「つか、別にリードは俺も考えるから、現実なら三田村さんでも俺は文句ねえよ。打ってくれるキャッチャーなら田島が好き。敵なら石浪」
「……ほんとにキャッチャー最優先で見るんだね」
「ピッチャーで挙げるなら、宮森はいいよな~」
「え~と、千朶のピッチャーだっけ?」
「そう、ああいうストレート投げたい」
球速ではない。球質のストレート。
なるほど直史ならこだわるところだろう。
「ところで」
武史は禁断の地へと踏み入る。
「『球詠』だったら誰が好き?」
「女子野球かよ。てかなんで知ってんだ? うちの本棚にはねーぞ」
「ネットで読んだ」
なるほど、ネットであるか。
直史の場合は、手塚が「太ももペロペロ」などと言って部室に持ち込んだので読んだのだ。
直史はしばらく考えこんだ。ここでキャッチャーを即答しないのは、あまり読み込んでないからだ。
「詠にはかなり共感する」
「……兄貴も勝てなかったからね……」
納得の理由である。
ではある意味、現実の最高の舞台を題材にした作品はどうなのか。
「『MAJOR』なら?」
「俺あれ嫌い」
即答である。
「え、なんで?」
「主人公が生理的に受け付けない」
現実ではまず人の好悪をはっきりさせない直史であるが、フィクションに対しては遠慮がない。
「てか、野球を人生の中心に置いてある時点で、俺とは価値観が違うんだよ。同じサンデーなら『H2』の国見の方がまだ理解出来る」
「ああ、俺はあれ通しては読んでないなあ。『タッチ』とどっちが上?」
「野球マンガとしてならどっちもたいして変わらん。ドラマとして読むならタッチの方が上」
「そうなの……」
武史としてはノゴローのような、強烈な自我を持つ主人公にはけっこう憧れる。
兄の直史もまた強烈な自我を持つがゆえに、その方向性が全く違う主人公には嫌悪感を抱くのかもしれない。
「じゃあお隣さんの東京舞台という意味もこめて、『ダイヤのA』ならどうなの?」
「ああ、あれか……あれは……なんでだろ、好きなキャラがぱっと出てこないな」
「キャッチャーならクリス先輩とか御幸とかいるじゃん」
「キャッチャーキャラなら敵の原田とか乾の方が好き」
「どうしてそう逆張りするの……」
そう言われても、本心なのだから仕方がない。
「全国から金かけて選手集めてるのが気に食わないのかも。あと長くてキツイ練習嫌い」
「……うん、そうだね」
「じゃあさ、結局一番好きな野球マンガって何?」
この問いにしばし直史は考え込んだ。何を挙げても角が立つ気がする。
「『ドラフトキング』、かなあ……」
「そうくるか」
「ならお前にもずばり質問するぞ。『スラムダンク』で誰が一番好き?」
これには武文は即答出来る。
「あの頃とはかなりルールも変わってるんだけど、当然ながら河田兄」
動けるインサイドプレイヤーは、どんなチームだって欲しいものだ。
「バスケやってない兄貴としては、誰が一番?」
「NBAと比較するなら、安西先生」
「そこか」
別にフィクションだからと言って、選手ばかりが好きなわけではない。
「じゃあ兄貴の場合、野球マンガの監督だったら誰がいい?」
「別にセイバーさんに不満はないけど、あの人は大事な場面での嗅覚がないからなあ」
そう、彼女のデータ収集や分析、はたまた後方支援に関しては、全く不満はない。
ただ、ないものはないのだ。それが実戦経験だ。
「あと。プロとアマチュアではやっぱり、監督のタイプが違うだろ。それに監督にしたって、プロの監督でも投手起用では完全にコーチに任せてたりもするし」
高校野球で必要とされる力と、プロで必要とされる力は違う。
それはセイバー自身もそう言っていたことだ。
「うちはなんてーか、真面目な人間も、裏をかく人間もいるけど、勝負師がいないんだよな」
それこそがまさに、セイバーの言うような決定力なのかもしれない。
兄こそまさにその勝負師なのではと思うが、武史はその発言は控えた。
「ジンさんはどうなの?」
「あいつはキャッチャーだからな。全体に目が向いていないわけじゃあもちろんないけど、バランス型って言うか……」
下手な冒険はしない。もちろん相手の嫌がることは積極的にするし、進塁のためのテクニックも持っている。ただ勝算の薄い勝負はしないのだ。
「意外とシーナなんかは大胆なところあるんだけどな。ピッチャー経験もあるから、こっちの気持ちを分かってくれるし。ベンチで意見出してくれることも多いしな」
「女の子がねえ」
それはそれとして、ではフィクションの監督ならば誰がいいのか。
「プロのイメージが湧かないから高校野球から選ぶけど、やっぱ鳩ヶ谷かな」
「やっぱり捕手出身なんだ……」
かくして兄弟二人の、果てない雑談は続いていく……。
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