第43話 俺はキャプテン
六回の表、白富東の攻撃は、一番の手塚から。
好打順、と普通なら言うのだろう。だが吉村にとっては、大介の前にランナーを溜めないことだけが大切だ。ちょっとした障害物に過ぎない。
手塚に対しては丁寧に、ストライク先行の組み立てで追い込み、最後はチェンジアップで遅さを体感させた後の、渾身のストレート。
それでも当ててきたのは立派だが、サード正面のゴロでワンアウト。
続くジンも粘ろうと思ったのだが、二球目までをファールにするリードをし、最後に渾身のストレートでキャッチャーフライ。
だが、それでも。
たった一人で点を取れる男が、バッターボックスに立つ。
吉村の球に、わずかだが疲れが感じられる。
あるいは向こうが、吉村の球に慣れてきたのか。とにかく三振を取るつもりの球が、凡打となっている。
マウンドに駆け寄った東郷は、慎重に吉村に声をかける。
「少し球が浮いたな。とにかく白石だけは、全力で抑えよう」
「抑えようって言っても、あいつどうしたら抑えられるのかねえ。ま、今の二人は気にしなくていいっす。白石相手に力を温存しただけっすから」
「そうか」
投げるペースさえ東郷に任せていた吉村だが、ここにきて自らの才能の操作法に、ようやく考えが及んできたらしい。
たとえこの試合に負けるとしても、プロに進むであろうこの後輩は、間違いなく強敵に当たって成長している。
それは確かに嬉しいことのはずだが……率直に言えば、さすがにもう少しだけでも楽な試合がしたかった。
ブルペンでは平気で200球投げる投手も、実際の試合では全力が出せるのは100球にも届かないだろう。
それだけ試合で投げるというのは、体力と精神力を消費する。ましてや相手が相手である。
白石大介と戦うということは、投手にとってそれだけの消耗を強いるのか。
だが、それを覚悟しても戦うというなら、捕手にできることはそれを最大限引き出してやることだけだ。
構えた東郷は、大介のデータを思い出す。
苦手なコース、なし。
苦手な変化球、なし。
速球への対応力、S。
強いて言うならば、準決勝上総総合との試合では、細田のカーブをわずかに打ちあぐねた。
しかしそれも四打数三安打だ。これをもって抑えたとは、とても言えない。
それに吉村には、大きな変化球はない。緩急をつけるのはチェンジアップだが、初打席の大飛球を見れば、そうそう安易に使うことは出来ない。
(まずは見せ球だ。ボールになっていいから、全力のストレートを頼む)
まずは一番速い球を、一番速く感じる場所に投げてもらう。
組み立てるのはその後だ。大介が三振も極端に少ない打者だけに、なんとか打ち損じを狙いたい。
(他の打者を八割で、そのかわりこいつには120%で!)
高めに外れる吉村のストレート。それはまさに本日の最高速。
明らかなボール球を、大介は痛打した。
なんで?
バッテリーが愕然とする間に、打球は右翼ギリギリのフェンスを直撃。やはり深く守っていたためライトは素早く追いつき、大介は迷いつつも二塁で止まる。
あれは、明らかなボール球だった。
それでもバットが届くところなら、打ってくるというのか。
仕留め損ねた。
痛烈な二塁打を打っていながら、大介は満足していなかった。
ランナーもおらず既に二死になっている以上、自分だけの力で一点を取るのに、確実な方法はホームランしかなかった。
吉村はたいしたピッチャーだ。比べては悪いが岩崎よりも、あとは細田や大河原よりも、総合的には上だ。
直史という突然変異的な存在を除けば、打席で対決した中では、最も優れたピッチャーなのは間違いない。
後ろの打者であるキャプテン北村は間違いなく頼れる人間で、塁に出た大介をホームに帰してくれたことも多い。
ただ、相手は吉村だ。
打席で立つことによって、相手の息遣いさえ感じる大介には、その力の上限が感じられる。
(三割ぐらいか……)
北村が、この打席で、吉村に”勝つ”確率だ。
直感的なもので、確かではない。だが大介のこの手の直感は、野球に関してはおおよそ正しい。
今のところ、流れは白富東にある。
だが致命的な一撃がない。ここらでどうにかしないと、気まぐれな野球の神様は、いつそっぽを向いてもおかしくはないのだ。
(なんとか、五割ぐらいにしたいな)
そう、そのあたり。
大介が感じる五割ぐらいの勝率にすれば、北村ならば絶対に大介を帰してくれる。
それは矛盾しているが、なぜか確信出来るのだ。
四番サード北村信吾。
白富東高校の熱戦や内情を克明に記した著書『白い軌跡』は、大田仁と岩崎秀臣らの鷺北シニア組が、春の練習に参加するところから、伝聞調で記されている。
その中でも中心となった大田が、なぜ白富東という、それまで特筆すべき成績を上げていなかった学校を選んだのかが、最初に述べられている。
「いいキャプテンがいたから」だ、と。
後に進学した早稲谷大学でもキャプテンを務め、卒業後には母校の教員として、長く白富東高校野球部を率いたことを考えても、そのリーダーシップと指導力に疑いはない。
割と失言の多かった白石大介が「文句のないキャプテン」と言い、肯定的な発言の極めて少ない佐藤直史が「学生生活で無条件で尊敬出来た先輩は北村さんだけ」と言ったことからも、その人格や信頼感は窺える。
監督として甲子園に出場するのには長い時間がかかったが、それまでにも大学や社会人を経てプロへ進んだ選手がいることから、選手の育成や進路相談などにも優れていたことは確かと言えるだろう。
そんな北村の三年生の夏、県大会決勝の打者としての成績は、三打数一安打である。
(こういう状況で回ってくるか)
変な笑いが浮かんで、いかんいかんと北村は頭を振った。
こんな場面でも全くプレッシャーを感じないのは、自分でも不思議であった。
周囲が良く見える。こちらを睨みつける吉村の眼光は鋭い。
そしてその吉村の向こうには、頼りになる小さな巨人がいる。
(なるほど、ね)
吉村を相手にしては、北村でも勝算は少ない。
他の打者に関してはやや抜いて投げてきているが、その分を大介と、その後の北村に注力しているのは分かる。
プロ注目の左腕からそこまで注意されるのは光栄だが、おそらくは大介が投手の精神を破壊した後、自分がさらにとどめを刺していることに気付いているからだろう。
分かっていても、吉村を打つのは難しい。だが大介がその勝率を上げてくれる。
初球。アウトローにスライダーが外れる。しかし東郷にしては、その配球は安易だった。
さほどもリードを取っていない大介だったが、この初球に走っていたのだ。
(しまった!)
完全に打たれた吉村と、そしてそんなリードをしてしまった自分を落ち着かせるため、ボールになる変化球から入った。
しかし走者への注意が欠けていた。大介には足もあるというのに。
盗塁死わずかに一というデータは、どこへ消えていたのだ!
強肩で三塁へと投げるが、余裕でセーフ。
キャッチングから送球までの動作が遅かった。
吉村のクイックも、不十分なものだった。
完全に大介の打撃からのショックが、後を引いていたのだ。
北村は単純な計算をした。
計算上、自分に打席が回ってくるのは、あと一回はあるはずだ。
しかしそれに期待はしない。もうここからは、悔いのない選択をしよう。
打席を外して、くるくると首を回す。
空が青い。
立ち見さえ出ている満員の球場。まさか白富東側の応援席が、完全に埋まる日が来るとは思わなかった。
北村に義理立てした連中が、受験勉強を放棄して、この日だけは応援に来ている。
その中にはメガホンを握り締め、声を振り絞って応援する篠塚の姿も見えた。
生徒会長然とした、普段の姿はそこにはない。
(おいおいゆーちゃん、地が出てるぞ)
微笑みながら打席に入り、鬼の形相の吉村と対峙する。
ここで北村がすることは少ない。
打つ。そして走るだけだ。
大介が三塁に来たことによって、得点の確率は極めて高くなった。
クリーンヒットなら問題なし。内野安打でもほぼOK。
北村が関知しないパスボールや暴投、牽制のミスでも一点は確実だ。
吉村の心を折るならボークが一番ありがたいが、そこまで期待していては他力本願すぎる。
大介が舞台を用意してくれたのだ。
ここはもう、投手との対決を制するのみ。
俺は、キャプテンなのだから。
吉村が振りかぶる。おそらくそれは本人にとっては、決意の表れなのだろう。
だが北村は闘志にあふれていながらも、冷静だった。
ストレートなら打てる。たとえ160kmでも打ってみせる。
投じられたのは、吉村の自己最速を更新する149km。
北村のバットは力みなく振りぬかれ、打球をレフト前へと運んだ。
何も喜劇的などんでんがえしもなく、大介がホームを踏み、北村が一塁ベースを駆け抜ける。
六回の表、白富東先制。
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