SS5.やっていいこと、悪いこと

 いつも通りの時間にアラームが鳴り、遥香が起こしてくれなかったということは少し遅れて遥香が起きる……はずだった。

 隣を見ても遥香はいない。リビングからも特に音はしなかった。

 リビングへ向かうと、遥香が洗濯物を畳んでソファーの上に並べていた。ピンポイントで蓮也がいつも座っている位置に、だ。


「おはよう、遥香」

「……おはよう」

「……なんか機嫌悪い?」

「別に。なんでそう思ったの?」

「いや機嫌悪いだろ」

「別に」


 明らかな程に不機嫌だった。

 いつもの柔らかい雰囲気や優しい口調はどこかへ消え去って、殺気立った空気に近いそれを纏っている。どうやら蓮也が知らず知らずのうちに何かをしてしまったらしい。

 しかし、なにをしたのかがわからないことには謝るにも謝れない。そういう適当な態度は遥香が許すとも思えないし、なにより蓮也が避けたかったからだ。

 理由を考えてみるが、それらしいことをした覚えが特にない。遥香の様子を窺ってみるものの原因が見つかりそうもない。


「俺、なんかした?」

「別に」

「別に、しか言ってくれないとなんもわからないんだけど」

「怒ってないから」

「怒ってるよな……」

「執拗い。そういう男は嫌われるよ」

「嫌われる……」


 わざわざそんな例えを持ち出してくるということは、もしかして遥香は愛想を尽かしてしまったのだろうか。あまりに蓮也が駄目になる一方だから、蓮也といるのが嫌になってしまったのだろうか、と。そんな嫌な思考が巡る。

 だが、どれだけ考えたところで蓮也には心当たりがない。遥香が不快になることがあったなら直さなければならないし、なにより蓮也は遥香がいなくなると廃人になる自信がある。


「あ、あのさ……悪いところがあったら直すから言ってくれよ」

「蓮也くんに悪いところなんかあると思う?」

「そりゃ大量に見つかるけど……」

「それは多分勘違いだから」

「そうなのか」


 こんな状況でも、やはり遥香は蓮也の駄目男ぶりを指摘しようとはしないらしい。なんとも言い難い気分だが、今の蓮也にはそんなことはどうだってよかった。ただ遥香に機嫌を直してもらうことしか考えていなかったからだ。


「蓮也くんの座るところは洗濯物で埋められてますので」


 しっしっ、と追い払うような動作で手を振られてしまい、蓮也はどうすることも出来ずにリビングを追い出されることになった。

 とりあえず倦怠期とかいうやつなのかもしれないと思い、情けないとは思いながらもスマホを開く。そこで、蓮也は初めて日付を見た。


「……なるほどなぁ」


 エイプリルフール。今日は嘘をついてもいい日だった。

 まさか遥香がこういったイベントに乗っかるとも思っていなかった。おそらく誕生日すらも覚えていなかった蓮也なら忘れていると思っていたのだろう。案の定、蓮也は全くわからなかったが。

 わかってしまえばとても気が楽で、でもやられたからには仕返しをしないと気が済まない。


「さて、どうするかな」


 同じ態度をとって不安にさせるのが一番早いだろうし、穏便な嘘で済む。だが、せっかくなので少しくらい捻った仕返しがしたい。

 結局思いついたのは、遥香が気が済んだ頃に蓮也が同じことを始めるくらいだったが。エイプリルフールについてまだ気づいていないふりをしておけば、少しくらいは効果的かもしれない。


「……あの、蓮也くん」

「ん……」


 思いの外早く終わった。飽きたというよりはかなり申し訳なさそうにしていたので、単に蓮也に嫌われたくなかったのだろう。


「その、ごめんなさい。実は今日は……」

「なにがごめんなさいなんだよ。別に怒ってないから」


 なるべく冷たく、突き放すように言うと、遥香はあたふたしだした。

 その様子が可愛らしくて思わず吹き出しかけるが、我慢。蓮也がこの後あまり遥香をいじめることができないのもわかっているが、やられた分くらいには仕返しがしたい。


「あの……その、あれは冗談で……」

「冗談で俺が嫌いな素振りを取ったのか?」

「いや、あのぉ……今日は……」

「日によって俺が嫌いになるんだ」

「いえ、ですから……なんでもないです。私が悪かったです……」

「……ごめん」


 思ったよりも蓮也も早かった。こんなことで、遥香と仲違いはしたくなかったからだろう。仕返しなんかよりも、今の遥香との関係の方がよほど大切だし、なによりあまり楽しくはなかった。遥香があたふたしているうちは可愛かったのだが、それより後は申し訳なさが募る一方だった。


「エイプリルフールだろ、知ってる」

「知ってたんですかぁ……」


 心の底からの安堵の息を吐いた遥香は、それでも申し訳なさそうにしながら蓮也の様子を窺っている。もちろん蓮也は一瞬たりとも本気で怒っていたわけではないので、遥香を抱きしめる。


「あ……」

「大丈夫、ちゃんとわかってるから、なんであんなことしたのかはわからなかったけど」

「それは……私が冷たくしたら『ああ、やっぱり遥香がいないと駄目だな』ってなるかと思いまして……」

「で、先に遥香が駄目になったんだ」

「そういうわけです……」

「俺はとっくに遥香がいないと駄目なのにな」

「わかっていることでも確かめたくなるときはあるものなのです」


 想像よりもずっと可愛らしい理由で、つい頭を撫でてしまう。やはり目を細めて心地よさげにしてくれる。


「もう、こんなことするなよ」

「はい。絶対にしません」

「俺ももう仕返しとか考えないようにするから」

「……それにしても、蓮也くんは折れるのが早すぎでは」

「それは遥香もだと思うけどなぁ」

「あなたは私に言われたらなんでもしてしまいそうな危うさがありますよ。多分私もだと思いますが」

「それはまあ、物にもよるだろうけどな」

「今すぐ婚姻届を出しましょうか」

「わかった」

「いや、エイプリルフールですから!」


 笑いながら楽しい冗談を言い合い、さっきまでのことをまとめてなかったことにする。エイプリルフールだからといって、やはりついていい嘘と駄目な嘘はある。


「あ、そういえばエイプリルフールでついた嘘って叶わないんだっけ」

「……は?」

「……ちょっと婚姻届今すぐもらってくる」

「一刻も早くしましょう結婚できなくなります駄目です」


 本気で慌てる遥香が可愛らしくて、今度こそ吹き出してしまう。蓮也が吹いたことによって遥香も自分がなかなかおかしな事で慌てていることに気づいたらしく、笑いだした。


「馬鹿ですね、私たち」

「心配しなくてもこんなことで変わらないのにな」

「鴛鴦は本当は仲良くないそうですが」

「別に俺たちがおしどり夫婦とは言うつもりないけど、なんでこのタイミングで不安なこと言うんだ……」

「敢えてここで不安要素を消してしまおうかと」

「なるほどな。なら遥香、嫌いだ」

「なんで……?」

「いや、遥香から言い出したんだろ!?」


 「てへっ」とわざとらしく舌を出す遥香は、本当に楽しそうだ。


「私も、蓮也くんなんて大嫌いですよ!」

「……一応聞くけど、嘘だよな?」

「当然でしょう」

「だよな。あとは、そうだな。離婚しよう」

「それはさすがに結婚してから払拭するべき不安だと思いますが、そうですね。離婚です」

「リストラされました。ごめん」

「急にリアルな話ですが、たとえ無職になっても蓮也くんのことは愛していますよ」

「そういうことを言うから俺が駄目になるんだぞ」

「安心してくださいな、私も既に駄目になっていますから」


 お揃いですね、なんて言いながら楽しげに笑って、そしてなにかに気づいたように遥香は口元を抑えた。


「嘘じゃなくて、本当に愛してますからね?」

「それは知ってるよ」

「というわけで、蓮也くんもちゃんと言ってください。このままでは私は嫌われたままになります」

「……あ、あい……」

「今日は引きませんよ」

「愛してるよ、遥香」

「……はい」


 言わせたのは遥香なのに、顔は真っ赤になっている。その様子を見て蓮也が笑っているということに気づいたらしく、遥香は蓮也の胸に顔を埋めて顔を見られないようにした。


「うちではエイプリルフールは終わりですよ」

「やっぱり、下手な嘘はつくもんじゃないな」

「その通りです。本心が一番ですし、それが蓮也くんのいい所ですから。基本的に蓮也くんは本音しか言いませんから」

「たまに嘘もついてるんだけどな」

「それはついていい嘘です。人のためとか、知られたくないこととか」

「知られたくないことは隠してもいいのか?」

「ええ。誠実な蓮也くんに浮気なんてできないでしょうし、蓮也くんが知られたくないことなんて私への気持ちとかですから。蓮也くんが照れる様子もなくすぐに愛してるとか好きだとか言うとこっちが困ります」

「……そっか」


 どうにも見透かされているようで、居心地が悪い。もちろんこの距離が悪い事だとは思わないし、遥香以上に好きな相手なんて現れるはずもないから浮気なんて有り得ないのだが、全てを理解されているというのも照れくさいのだ。


「さて、エイプリルフールが終わったところでもう一回」

「なにが」

「蓮也くんは私のことを?」

「あ、愛してる」

「もう一回」

「愛してるよ」

「えへへ……」


 緩んだ笑みはとても可愛らしくて、遥香の言う通り本心が一番だな、なんて当然のことを思うのだった。



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 エイプリルフールに託けてイチャついてるバカップルです。次回の更新は未定ですが、八月三十日までには更新します。

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