彼女は僕のあこがれの人だ。触れられず、遠い場所にいるからこそ、彼女はあこがれの人でありつづけている。

 でも、たまに願ってしまうこともある。彼女の瞳に映りたい、彼女と同じ空間にいたい。そんなことは叶わないし、叶えないのだけれど。

 そんなことを思っていても、偶然はどこからともなく襲いかかるものだ。

 よりにもよって、彼女の目の前で転んでしまったのだ。そこに何かあった訳でも、床が滑りやすくなっていた訳でもない。それなのに、唐突に、彼女の前で。

 もはや必然の出来事なのではないかと思えた。


「大丈夫?」


 そう言って彼女はこちらをのぞき込んでくる。

 その瞳と目が合った瞬間、世界が暗闇に呑まれた気がした。

 光のない、真っ暗なその瞳に、何もかも吸い込まれるような。

 のぞき込んでいるのは彼女なのに、こちらが彼女を覗いているのではないかという錯覚にすら陥った。

 夜から星を奪ったような、そんな世界が数秒広がって、僕は現実に戻った。

 さしのべられた彼女の手を取って立ち上がる。


 ああ、やはり彼女はあこがれの人だ。

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