第四話 家事代行で気が気でない

第四話 家事代行で気が気でない

「最初の曲何にする? アニソン? アイドル? ラップでも良いなぁ」

「やっぱボカロだろ」

 僕が聞けば、風見はこう答えた。

「ああ、良いね! じゃ、選んでよ」

「分かったぜぇ」

 僕は風見と中島とカラオケに来ている。梅雨つゆれの放課後と言う絶好のタイミング。歌って、騒いで、たっぷり楽しむぞ!

「なあ颯太、こんなの持ってきたんだ。食おうぜ」

 中島はバッグからポテトチップスやチョコぼうなど、沢山たくさんの菓子を取り出してテーブルの上に置いた。

「中島ぁ、ダメでしょうが、よそから食べ物持ち込んじゃ」

「えっ? 知らないのか? 良いんだぞ」

「い……良いの?」

「看板に書いてあっただろ? 持ち込みOKって」

「うーん、確か……あっ、そうだった! と言うか、このカラオケが持ち込みOKで有名だしな、何を勘違いしていたんだろう」

「だろ? でも、ドリンクバーくらいは頼みたいよな。颯太、注文しようぜ」

「だね。よし、頼むぞ!」

 僕は机上の注文用端末を操作して、ドリンクバー三人分をちゅうも……んっ?

「で、電話ぁ?」

 僕のバッグのスマホから、電話の着信音が。LINEの通話機能ですら無い、電話だ。電話をかけてくる相手なんて、父さんか加納子さんくらい。二人とも日常の連絡はLINEで、急用の時は電話をかけてくるが……。

「電話? どうせ迷惑電話だろ?」

「風見、違うって。これは多分……」

 僕はバッグからスマホを取り出した。案の定、父さんからだった。

「何だったか?」

 中島が聞く。

「父さんからの電話だ、多分、急用がある」

「なら早く出た方が良いな」

 僕はルームを退出して、父さんからの電話に応えた。

「もしもし、父さん?」

「あ゙あ゙、ぞうだが……」

「声がガラガラしているけど、もしかして……」

「そうだ、風邪かぜだ。調子が悪いから……帰ってきてくれないか?」

「ど…どうして?」

「俺がいないと……誰も家事が出来る奴がいねぇ」

「そうだけど……僕は友達とカラオケに……」

「やってくれたら好きなゲーム、一つ買ってやる」

「分かった、帰る!」

「じゃあ……早く帰ってきてくれ。ゴホ、ゴホ……」

 通話が終わると、僕はルームに戻った。

「悪い、僕、帰る事になった」

「えーっ? どうして?」

 風見と中島が口を揃えて言う。

「父さんが風邪を引いたんだ。家に帰って僕が代わりに家事をやらなきゃならない」

「継母さんやお姉さん達は……」

「無理! あの人達には。無理だから好きでも無い父さんと再婚したんだし」

「やべぇな……」

「じゃあ、僕は帰るよ。家族が待っているからね!」

 僕は荷物をまとめて、家へと帰って行った。


「ただいま……あれ、加納子さん。帰ってきていたんですか?」

 家に帰ると、玄関で加納子さんにばったり会った。

 普段、この時間帯は大学の研究室に入り浸っている筈だから、家にいるのは珍しい。

「佳太郎さんが風邪にかかったから、早めに帰ってきたんだ。颯太君……家の事、頼んだよ」

 僕に任せるなら何の為に早めに帰ってきたんだ。

「はい、分かりました」

 ツッコミ心を押さえ込んで、無難な返事をひねり出す。

「やって貰うからにはお礼しないとね。身体からだで……」

「いらないです!」

「じゃあ口で……」

「いらないです!!」

「いらないの? 手を使わなくても出させられる自信が……」

「だ・か・ら、いらないです!!! 父さんからゲーム買って貰えるって言われていますから大丈夫です!」

「そ…そう。じゃあ、よろしくね」

 そう言うと、加納子さんは階段を登り、自分の書斎へと戻っていった。

 僕はリビングルームに入る。リビングルームでは、優奈がテレビでアニメを観ていた。

「あっ、颯太君、おかえり。やって欲しい事があるんだけど……」

 優奈は早速、僕に声をかけた。

「なあに?」

「台所に食器があるでしょ? 昼、冷凍のパスタ食べたんだけど。洗って」

「自分じゃ洗え……」

「洗い方よく分からないんだ」

「は、はいっ……。頼まれているしなぁ」

 何でこんな事をやらなきゃいけないんだ。

 台所に行けば、真っ黒い皿と、開封かいふう済みのイカスミパスタの袋が乱雑らんざつに置かれていた。せめて袋くらい捨ててくれよ。僕は袋を捨てて、真っ黒い皿を洗っていく。

 結構ベトベトして、しつこい汚れだなぁ……。落ちろ、落ちろと念じながら、無理矢理がすように落としていく。

 ふぅ、終わったぁ。洗い終えた皿は水切りカゴに置いておく。

 さあ、洗い終えた所で、二階に………ありゃま?

「電球……切れているな」

 廊下の照明を点けようと思ったら、電球が切れていた。

 これは……とりあえず加納子さんに報告だな。

 僕は加納子さんの書斎へと行った。相も変わらず、机に座ってロシア語の本を読んでいた。

「加納子さん、廊下の電球が切れていたんですが……」

「あっ……そう? じゃあ交換しなきゃね。電気代考えるとLEDが良いと思うよ」

 自分は買いに行く気、ゼロ!

 加納子さんは自分のスマホでQRコードを表示した。僕はそれを読み取る。僕の所に、千円分のPayPay残高が入った。

「余った分はあげるから。ドラッグストアに売っていると思うよ」

「はい、分かりました」

 僕は加納子さんの書斎から出て、共用の部屋に戻った。そこでは奈緒が、椅子に座ってラノベを読んでいた。

 あの高さでは、流石に僕じゃ交換できない。奈緒の力を借りる必要があるけど……。

「な、奈緒っ……」

「ああ? 何の用だ」

「そ、その……。廊下の電球を交換する必要があるんだけど、僕一人じゃ届かないから、ここは背の高い奈緒に手伝って貰わないと……」

「チッ……仕方ない、手伝ってやるか」

 奈緒は舌打ちをして、嫌な顔をしつつも、了承してくれた。

 僕らは問題の電球の真下に来て、奈緒が手を伸ばす――が。

「流石に届かないな」

 奈緒でも天井の電球には届かないか……。

「じゃあどうすれば良いの?」

「そうだな……よし、颯太、俺の肩の上に座れ」

「よ…要するに肩車って事だよね?」

「ああ、そうだ。それなら届くだろう」

「わ……分かったよ」

 奈緒は座り、肩に乗るよう促す。

 僕はアレが奈緒の身体に当たらぬよう注意を払いつつ、奈緒の肩に座った。

 そして、奈緒が立つと……うっ、うわっ、うわあああっ!!

 落ちそう、落ちそう、バランスが悪すぎっ!! いいいいいっ!!

 こんなバランスの悪い中でも、電球を回し……うううっ、上手く回せない、酔う、ウヒィ、ウヒャアア!

「やめて、やめて、下ろして、下ろして!! 落ちる! このままじゃ!」

 僕は大声で訴えた。

 奈緒は静かに座り、僕を肩から下ろした。

「ううう……気持ち悪かった……重くなかった?」

 クタクタになった僕は、廊下の隅っこで休んでいた。

「全く重くなかったわ。筋肉も贅肉ぜいにくも無い、全体的にミニサイズだからな」

「ムッ……」

「もっと良い方法を思いついた。少し待っていてくれ」

「あ…あるの? 良い方法」

「ああ、ある」

 良い方法って、何だろう。

 奈緒はリビングルームへ行った。ダイニングチェアを一個、そこに持ってきた。奈緒はその上に立って、電球を楽々と外す。

「すごい! こんな方法があったなんて。目からうろこだ!」

 逆転の発想だ。自分の背が届かないなら、椅子に立ってやれば良いのか!!

 流石は奈緒だ。上手い事を考えるな!!

「えっ? お前、まさか気付かなかったのか?」

 奈緒は汚い笑みを浮かべた。

 …………うわああああああああっ!!!!

 してやられたぁぁぁぁぁっっっ!!!! からかわれたんだ、僕。くっそぉぉぉぉぉぉ!!!

「もうっ! 買ってくるからそれ渡して!」

「ああ、買って来いよ」

 このサイズのLED電球をください。そう言えば良いのだな。

 僕は取り外した電球を持って、ドラッグストアへ行った。店員に、これと同じサイズのLED電球はありますか、そう申し付ける。

「これと同じサイズですか……。うーん……」

 店員は首をかしげる。もしかして分からないのか?

 変に違うサイズのを買ってしまっても不安だしなぁ……。

「分かりますか?」

「これはちょっと分からないですね」

「……分かりました」

 ならば曖昧あいまいな返事をせず、はっきりと言って欲しかったぞ……。

 そしてヤマモト電機でんきまで、無駄足を使う羽目になった。そこの店員なら、間違わないだろうと思い。案の定、正確に教えて貰った上、電球色を薦めてくれて、更に古い電球を引き取ってくれたが……疲れたぁ。

「ただいま……あれ?」

 廊下を見ると、切れた筈の電球がいていた。

「おかしい、何で……?」

 疑念ぎねんを抱きながら、僕は共用の部屋へ入る。奈緒がさっきのラノベを読んでいた。

「ねえ、切れた筈の電球が点いていたんだけど、分かる?」

「さっき思い出した。予備の電球があったから、それと交換した」

「……消費電力的にLEDの方が……」

「LED電球だ。去年、ヤマモト電機で在庫処分セールをやっていて、その時に切れた時の予備として買ったんだが、買った当人のババ…母さんですらすっかり忘れていてだな……」

「…………ああ、そう」

「不機嫌だな、お前」

「これで不機嫌にならない方が……。まあいいや、予備にはなるから……」

 むくわれない気持ち、やるせない気持ち。脱力感で、何も出来ない!

 僕は二段ベッドの上段に寝転んだ。あーっむなしい。


「颯太君、夕飯は……」

 暫く寝転んでいたら、加納子さんの声が聞こえた。

 どうやら、部屋の前を通りかかっているようだ。

「僕が作るんですか?」

「買ってくるのでも良いけど……」

「作ります、作りますよ、僕が」

「ありがとう。お願いしても良い?」

「良いですが……加納子さんって料理……」

「パスタでるくらいなら出来るかな」

「あ、そうですか」

 ダメだこりゃ。

 僕は二段ベッドから離れて、一階の、父さんと加納子さんの寝室へ行った。

 再婚前は加納子さんと亡き夫の愛と汗がたっぷり染み込んだダブルベッドが置いてあったが、今は二段ベッドだ。

 その二段ベッドの下段で寝込む父さんに、僕は声をかける。

「父さん、夕飯なんだけど……」

「ゲホッ…好きに作ってくれ、冷蔵庫にある中から、適当に。お前なら作れるだろ」

「中身、何でも使って良いんだね」

「ああ、好きに使って、好きに作れ」

 その言葉を受け取れば、僕は台所に行き、冷蔵庫の中身を物色した。

 大根、人参、ゴボウ、里芋、白菜、こんにゃく、豚バラ肉、鮭……。ここから導き出される答えは、一つしか無いだろう。

 よし……鮭の塩焼きに、豚汁! これで決定……の前に、ご飯を炊かないと。お米はラッキー、無洗米だ。僕と、奈緒と、優奈と、加納子さんと……。

「父さん、夕飯食べる?」

 大きな声を出して、父さんに聞いてみる。

「いらない」

 そう返ってきた。

「分かった。じゃあ……」

 一人〇・五合くらいだよな、多分。

 それなら四人分で、二合だな。でもちょっと不安だから、二合半にしておこう。

 計って、入れて、水に浸し、ポチッとな。後は炊き上がるのを待つだけ……じゃ済まないな。やれやれ、豚汁の下ごしらえだ。豚バラ肉を細かく切って、野菜を食べやすいサイズにカット、ゴボウが……これが存外ぞんがいに面倒だ。鮭を焼くのは、炊飯器の表示が二十位になってからだ。

 肉や切った野菜を炒め、水を入れたくらいのタイミングで、ドアが開く。

 ドアの方を一瞥いちべつすると……そこには奈緒の姿が。

「颯太……いたのか?」

 奈緒は冷蔵庫の方を向きながら、何やら不機嫌そうに聞く。

「いちゃいけないの?」

「はあっ? そんな事言っていないだろうが。いつも悪意的に解釈しやがって」

 それはこっちの台詞せりふだ。そう言いたいけど、ガマンガマン。

「……夕飯を作っているんだ。鮭の塩焼きと豚汁。良いよね?」

「納豆とキムチ以外なら大体食える」

「そっか……。僕の料理を食べるのは初めてだっけ?」

「そうだな。お前の腕は如何いかほどか?」

「僕……っ? まあ、それなりに」

「佳太郎さんから教えて貰ったのか?」

「そう。母さんからもね。二人とも、給食センター勤務だったから……」

「まあ、安心して良いな」

 そう言うと、奈緒はリビングルームから出て行った。

 ……何の為に降りてきたのだろう。分からないなぁ。

 それはそうと……灰汁あくが出てきた。取らねば。灰汁取りを持って、すくって……。


「出来た!」

 これは会心の出来だ!

 鮭の塩焼きも、豚汁も、両方とも美味そう……。自分で見ていてよだれが垂れていくな。ジュルッ……いかんいかん。仕上げに、豚汁の余りで作った大根おろしを鮭の側に添え、昨日の冷や奴の余りっぽいネギを豚汁に載せて、はい、完成!

 さあ、完成したので配膳だ! 茶碗にご飯を盛って、テーブルに置いて……うん、最っ高!

 出来たので、みんなを呼ぼう。とりあえず、大声で二階に向かって叫ぶ。

「夕飯、出来たよ!」

「ああ、分かった」

 奈緒の声が聞こえた。

「行くよ! 待ってて」

 優奈の声が聞こえる。

 すかさず、二人の階段を降りる足音が聞こえた。間もなくして、二人ともリビングルームに来る。

「加納子さんには聞こえていなかったのかな?」

「あの声が聞こえる訳無いだろ……」

 脱力感のある声で言う奈緒は、内線用のインターホンのボタンを押す。

「……………」

「もしかして、反応が無い?」

「無いな。酒に酔っているのかも知れん」

「そっか……。じゃあ、僕が呼びに行こうか?」

「頼んで良いか?」

「うん」

 僕は二階へと上がった。廊下を通り、加納子さんの書斎に入る。

 加納子さんの書斎は、割と広めの部屋に、本棚が所狭しと設置してあり、まるで小さな図書館のような趣があった。

 その片隅に、机がポツンと一つ。加納子さんは机の上に伏して寝ていた。

 机の上には、何冊かのロシア語の本、閉じられたノートパソコン、それと……亡き夫の龍介さんと、確か三十歳くらいの加納子さんの結婚写真。昔日の加納子さんは、今の奈緒に本当にそっくりだ。性格故か、顔つきは奈緒よりも柔和にゅうわな印象があるけれども。

 そっと、加納子さんの肩を揺さぶり、起こしてあげる。

「ムッ……あれ、そ…う…た…くん?」

 加納子さんは僕の方を振り向いた。

「目覚めましたか? 加納子さん。夕飯ですよ」

「あっ……。ごめん、もしかして、作ってくれたの?」

「はい。鮭の塩焼きと豚汁を作っておきました」

「ありがとう! ちゃんとお礼しなくちゃね……おっぱいで挟んで……」

「い・り・ま・せ・ん・っ!! さあ、行きましょう、加納子さん。早くしないと冷めてしまいますよ」

「わ、分かった。行くよ」

 僕は加納子さんを連れて、一階へと戻った。

 リビングルームに入ると、奈緒が美味しそうに僕の作った豚汁を食べていた。

「奈緒…美味しい? 僕の作った豚汁は」

「まあ、悪くないな」

「悪くない? それなら良かった」

 僕も席に着いて、自分の作った飯を食べ始めた。

 作るのは時間がかかるが、食べるのは一瞬だ。僕の汗と涙の結晶、鮭の塩焼きと豚汁は瞬く間に消えていった。

 しかし、手前味噌ながら美味しかったな、僕の料理。もっともっと奈緒に振る舞ってやりたいな! 美味しい料理を食べさせてあげれば、きっと喜ぶよな。奈緒の好物は……そうだ、すき焼きだ。まだすき焼きを作るのには自信が無い。でも……冬までには作れるようにしておこう。いつ、どんなタイミングで振る舞おうかなぁ、うーんっと……。

「……あれ、みんないないな」

 妄想もうそうから我に返ると、テーブルには誰もいなくなっていた。

 みんな完食だ、美味しかったんだな。それは良いのだけども……せめて流しに持って行く位はしてくれよ! 平然と食器を放置しやがる。

 まあ、仕方ない。これくらいは我慢だ……。

 よし、皿を重ねて、台所に……。

「お風呂…お風呂入れて、颯太君っ……」

 おい、優奈ぁぁぁぁ!!

 こんなの身体からだが幾つあっても足らん!

 次から次へとやる事が舞い込んでくる。どっちを優先すれば良いんだ?

「ゆ…優奈っ、僕は今、お皿を……」

「皿は後でも出来るでしょ? あたしはそろそろお風呂入りたいんだ」

「あ…あいよ。今行くわ」

 僕は風呂場へと行き、風呂の掃除を始めた。

 はーっ、面倒くさいなぁ、家事と言うのは。父さんの苦労が忍ばれる。

 何てったって、三人とも家事が壊滅的!! 少しは覚えろよと言いたい。

「優奈……何故脱衣所に?」

「その…お湯が張ってあると思ったから」

「…………」

 これくらいの時間帯になれば自動的に湯が張ってある、くらいの感覚でいるのだろうな。

「優奈…これから大学生にでもなって一人暮らししたら、こう言う事も全部自分でやる必要があるから、覚えた方が良いと思うけど……。国立の外国語大学に行くんでしょ?」

「うーん……。母さんに頼んで、颯太君を連れて行かせて貰おうかな?」

「えっ? えええっ??」

「いやいや、冗談だよ、冗談。そうだね、ちょっとは覚えないとね」

「何か冗談に聞こえなかったけど……」

「んっ、何か言った?」

「いや、何でも無い。父さんに教えて貰ってね。ところで、今日、勉強は……」

「やったよ。経済と、地理!」

「おおっ、たまには頑張って……」

「金太郎電鉄で。これも勉強の内だよね? 高校時代の友達に三倍の差をつけて圧勝したんだ!」

「あっ、ああっ……」

 ダメだわこいつ。

「じゃ、お願いね、颯太君」

 優奈は一言告げて、脱衣所から出て行った。

 僕は風呂場に入り、浴槽を洗う。スポンジでこすって、生じた泡を洗い流す。完璧に綺麗になる事は無いけど、風呂に入って不快感を催さない程度には綺麗にしておく。

 栓を閉めて、『自動』ボタンを押す。これで、後は待つだけ……さあ、皿洗いの続きをしよう。台所に戻ると、まだまだ沢山残っている! うわあ、大変だぁ!

 ゴシゴシゴシゴシ、ゴシゴシゴシゴシ、リズミカルに洗えば少しは楽しく…………ならねー! ちっとも楽しくないな、皿洗いと言うのは。こんなのを毎日やって、父さんはよくメンタルが保つな!

 さあて、皿洗いがひとまず片付いたら……父さんに差し入れだ。冷蔵庫を開けると、経口けいこう補水液ほすいえきのペットボトルがあった。多分、加納子さんが買ったのだろう。

 それを持って、父さんの寝る寝室へと行った。

「父さん、いつもお疲れ……。これ、飲んで」

 枕元に、経口補水液を置いておく。

「おお、ありがとう。俺も大分回復してきた、明日には治ると思う」

「良かった……家事って大変だね、本当に」

「いや…仕事よりは楽だが」

「…………ああ、そう」

「ねえ、一つ提案なんだけど、食器洗い機買ったらどう?」

「食器洗い機? あるぞ」

「えっ?」

「ビルトイン式の食器洗い機。ほら、下の棚に……」

「あ、あるの?」

「ある。前の家には無かったから、ここに来て大分楽になったよ」

「…………うわああああああああっ!!!!」

「うるさいな、大声出すな」

「だって、だって……。もういい、もういい……」

 僕の苦労は徒労とろうに終わった。

 あるならもっと分かりやすく置いてくれ……分からなかっただろ? そんな事を言ってもムダか、家の設備の一部なのだから。

 ふわあっ、疲れた。まだちょっとやること残っているだろうが、とりあえず休もうか。

 僕は二階に行き、二段ベッドの上段に雑魚寝ざこねした。

「奈緒っ……奈緒……っ」

「どうした? 俺に何が言いたい」

「す……少しは家事を覚えてよ……」

「はあっ? 家事は女がするものとでも言いたいのか? この昭和脳が」

「怒鳴るなよ……。そんな事言ってないだろ。ただ……僕は学校にも行って、家事までして……うんと疲れたんだ。こう言う、父さんが家事出来ない時、奈緒も少しは出来た方が……その…負担を分け合うと言うか……。それに、奈緒も再来年から一人暮らしだろうし」

「まあ確かに、大学に行って一人暮らしした時には、出来た方が良いだろうな」

「でしょ? 男女とか関係無く、ね」

「そうだな。……颯太、疲れただろ? これでも飲むか?」

 奈緒は、自分の机の上に置いてある小さな冷蔵庫から、五〇〇ミリリットルのコカコーラの缶を取り出して、二段ベッドの上段に向けて放り投げた。

 僕はそれを慌ててキャッチした。

「ちょ…もうちょっと丁寧に渡してよね!」

「貰っておいて偉そうだな」

「別に……欲しいなんて頼んでないもん」

「じゃあ返して貰おうか」

「いや……飲みたい。ありがとう」

「ならば最初から言えば良いだろ」

「……ごめんね」

「さて、俺も一缶飲むか」

 奈緒は自分の分のコカコーラを取り出して開栓した。

 ゴク、ゴクと奈緒の咽喉いんこうを通り過ぎる音が聞こえる。ドキッ…ドキッ……。

 なんて邪念を必死に打ち払い、僕はコカコーラを開栓し、飲む。プハーッ! 生き返るぅ!! やっぱりこの甘さ、カフェイン感が最高だ!

 僕はベッドから降りて、自分の机に座り、空き缶を机の上に置いた。

 お次は宿題だ。数学のテキストとノートを出して、テキストに書いてある問題を解く。

「お前、真面目に宿題やっているのか?」

「……おかしいの?」

「別に提出する宿題では無いだろう。やる必要性があるのか?」

「だって、指名されるかも知れないから。ほら、黒板に書けって」

「指名されたらその場でやれば良いだろ?」

「いや、良くないでしょ」

「まあ、正しいのはお前の方だな。俺は正しくないのを承知で宿題やらない訳でな」

「あれ、いつもみたいに『ああっ?』とか『何だ?』とか言わないの?」

「言って欲しいのか?」

「いっ、いやっ、別にそう言う訳じゃないからね。年上の性格の悪い美人にののしられたいとか、軽くあしらわれたいとか、そう言う性癖せいへきがある訳じゃないからね」

「………あっ、そ」

 奈緒はヘッドフォンを装着し、パソコンを開いた。アニメの視聴を始めた。それに気を取られないよう、ノートの方を……

「そ、颯太君っ? 洗面台に水が溜まっちゃっているんだけどどうしたら……」

「い、今行く! 待っていて!」

 優奈から声がかかった。

 僕はすぐに駆けつける。

 ………本っ当に疲れる!! 今日が金曜日で本当に良かった。明日も学校があったとしたら……考えただけでもおぞましい!!

 ああっ、ああっ……早く終わってくれないかな、これ。もう…………


「ふはーっ……うわっ、こんな時間っ?」

 朝目覚めて、起きたら午前十一時。ヤベぇ、ちこ…ああ、そうだ、今日は土曜日だ。何をすっとぼけているんだ、僕は。

 僕の枕元をふと見ると、キットカットの箱が一つだけポツンと置いてあった。

 それを手に取ると……裏に何やら付箋ふせんらしき物が。

 僕は箱を裏返して、それを読んでみた。

「ありがとう」

 見まごうこと無き達筆たっぴつ。この字は……誰かの字によく似ていた。間違いない――

「フフッ、フフフフフフッ」

 僕はるんとして嬉しくなってベッドから出て、一階へと降りていった。

 リビングルームでは奈緒がテレビでゲームをやりながら、父さんが昼飯を作っている。

「颯太、遅かったな」

 奈緒は僕の方を振り向いて言う。

「だって、昨日はグッタリだったから」

「だよな。頑張ったな、お前」

「うん!」

 昨日は大変だったけど、これはこれで良い経験になったと思う。

 いつか奈緒と、二人で暮らした時に役に立つ事ばかりだな。奈緒は結婚したら養ってくれるみたいだから、こう言う事をやる担当は僕だろう。いつか、いつか……二人で、愛の巣を築く事を夢見て……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る