016. アーサーの女神
上品に微笑むレヴィアを見て目を細めるアーサー。
アーサーは安心していた。下手したら泣かれるかもしれないと思っていたからだ。
何せ、貴族に招かれたのだ。貴族に招かれる平民という図式はそこまで珍しくないが、今回は内容が内容である。
アーサーは思い出す。
最初は、ガウェインの行動から始まった。何やら広場で迷惑行為が行われているので注意したいとの事だった。真面目な彼らしい発言だ。自身の護衛中ではあったが、ここまで来れば危険も無いだろう。そう思い快く承諾した。
相手が誰だろうが彼ならば問題なく対処する。なので、大した興味はなかった。ただ、ふと窓の外を見ただけ。
――衝撃。
あれほどの衝撃を受けたのは、記憶にある限り初めての事だった。
初めて戦場に赴いた時。父母が死んだ時。ケイに伯爵位を譲られた時。どれも記憶に残る出来事ではあったが、今回のは種類が違う。胸が痛む。胸が苦しい。だけど嫌な痛みではない。こんなのは初めてだ。
(天使だ……)
貴族として様々な事を学んだアーサーだが、天使というありがちな表現しかできない。
ふと、天使と目が合う。少しだけ見つめ合うも、恥ずかしくなり目をそらしてしまう。ガウェインが戻り、馬車が動き出してから後悔。もっとあの姿を見ていたかった。
(この感情は一体……?)
想像はつく。想像はつくのだが、何というか自分らしくない。
幼き頃より、アーサーは努力を重ねてきた。自分は次男だ。兄のスペアであり、恐らくは他家へと婿入りする事になるだろう。そんなのは御免だ。かといって尊敬する兄を害するなどなお考えられない。だから一人でも生きていけるよう努力した。女など二の次だった。
様々な出来事の末、結果として家を継ぎ領主となってしまったのだが、灰色の青春を送ったせいかどうも女というものにピンと来ない。縁談は山ほど持ち掛けられる。しかし何となく気が進まない。とはいえ、いつかは受けねばならぬとも思っていた。そんな矢先の出来事だった。
その出来事をとある部下に相談した結果――
『ついに旦那にも春が! 旦那、それは恋ですぜ!』
やはりそうか。そうなのか。
三十半ばにしての初恋。しかも相手は学生。年齢も自分の半分ほどだろう。順調に結婚していれば自分の子供と同じくらいの年である。加えて貴族と平民という地位の差もある。叶えてはいけない恋だ。
そう思い諦めようとしていたのだが、部下はそう思わなかったようだ。相談相手の部下は他の騎士たちに根回しし、この場を作り上げてしまった。当然叱りつけたのだが――
『アーサー様の為ならば』
『やっと旦那に来た春だもんなぁ』
『問題ですが、力を合わせれば何とかなりましょう』
何とも頼もしく、素晴らしい部下たちだった。「すまん」というのが精一杯だった。それ以上言葉を紡げば目から大量の汗が流れそうだったからだ。
彼らの調べによると、天使の名はレヴィア・グラン。学生ではなく、牡丹一華というA級冒険者パーティの一員らしい。
冒険者事情には詳しくないが、A級といえば十二騎士クラスの者もいるという話だ。あれほど美しいのに強くもあるとは……天は彼女に何物与えられたのか。
そして叶った逢瀬。馬車から降りてきた天使――いや、女神。
昨日のラフな格好も良かったが、今日のは…………もう、女神としか例えようがない。
その振る舞いは女神らしく高貴そのもの。これが平民の訳が無い。貴き家のご令嬢としか思えない。
同行したガウェインによると、騎士の家系だという。グランという家名は聞いたことが無いが、単なる騎士爵ではあるまい。恐らくは没落した高位貴族だろう。
だとすると都合がいい。没落したとて歴史ある家ならば周囲を納得させやすい。気になるのは絶縁している理由だが、そこまで突っ込めなかったらしい。あまり話したくない様子だったとの事だ。何か複雑な事情があるのだろう。まあアーサーとて人に言えない事は幾つもある。徐々にお互いを理解し合えば良い。
仮に実家が出張ってきたとしても、こちらは王国でも有数の力を持つペンドラン伯爵家だ。義理の実家として配慮はするし、必要なら自分が頭を下げる事もいとわないが、それでも反対されるなら粛々と対処するだけだ。
そんな事を考えた後、女神と会食する。平民でも食しやすいメニューを指示したのだが、無駄な気遣いだったようだ。一応用意しておいた何種もの
ならばこの場は貴族らしい上品な話をするべきか。アーサーは共通の話題を考え始める。
絵画、音楽、演劇……貴族としてそういった教養は身に着けている為、話すことに問題はない。が、どれが適切なのかが分からない。
いつもなら何気ない話をしながら相手の興味関心を推察するのだが、緊張しているせいか頭と口が回らないのだ。テンプレートのような誉め言葉と、事前に考えていた事を話すのでやっとだった。こんなのはホストとして失格である。女神に呆れられてしまう……。
だが、女神は女神だった。
こちらの緊張を見抜いたのか、積極的に話し手に回ってくれたのだ。自分の話をしつつもところどころで質問を投げかけ、退屈させない。内容も面白おかしく、貴族なら絶対に話さないだろう失敗談も平気で話す。
良い意味で庶民的な会話に癒され、いつの間にか自分の緊張も無くなっていた。それどころか本心から笑顔になってしまっている。
そしてそれは自分だけでなく、周りにまで伝染していた。客の前で笑うのは使用人失格だろうが、何というか許される雰囲気なのだ。
(私だけでなく周りの心までつかんでしまったか。仕方あるまい。こうも無邪気なのではな。緊張するのも馬鹿らしくなってくる)
ころころ変わる表情がまるで子供の様だ。絶世の美女であるのにもかかわらず、それを感じさせない邪気の無さ。お高く留まっている貴族の女とは大違いだ。本人の性格もあるだろうが、市井で暮らしている事でこうなったのだろう。
最初は容姿に惚れたアーサーだったが、次第にその性格にも惹かれていく。この人が伴侶になってくれればどれほど素晴らしいだろうか。公私ともに自分の助けになってくれるに違いない。温かい家庭を築き、幸せな毎日が待っている事だろう。子供は三人欲しいが、彼女が望むのであればもっと多くてもいい。
(フフフ、我ながら気が早い。だが、そうなれば良いな……)
目じりを下げながら明るい未来を想像するアーサー。これは想像にすぎないが、彼には予感があった。自分と彼女なら実現できる、と。
しばらくの時間が経ち、話がひと段落。レヴィアは少し疲れたようなため息を吐いた。
「ふう、ちょっぴり疲れてしまいました。アーサー様、少し休めそうな場所はありません?」
「な……! や、休む……?」
「うふふ、いやらしい意味ではありませんわ。ただ、ちょっと楽な姿勢を取りたいだけしてよ。アーサー様のエッチ」
「なっ、こ、これは失礼。そ、そうだな、応接室にいいソファーがある。そちらで話そう」
顔を真っ赤にしつつも執事へと目くばせ。執事に導かれ、二人は応接室へ向かう。護衛のガウェインも一緒だ。
部屋に着くと、アーサーは片側のソファーへと移動。向かい側へ向けて「どうぞ座ってくれ」と言葉をかけた。
しかしレヴィアはそれに従わず、アーサーと同じ側へ来てしまった。何だろうと疑問に思っていると……
「あちらはお客様の席でしょう? 家族になるかもしれないのですから、こちらに座るべきかと思いましたの」
……確かに。
ここは賓客と話し合う為に作られた場所だ。よほど真剣な話題でなければ家族内で使う事はない。テーブルを挟んで座ってしまうと、先ほどよりも距離が遠くなる。家族の距離ではない。
そういう事ならと喜んで了承する。しかし、実際に座ってアーサーは気づいた。隣り合って座るという事は――
(ぬおおおお! やばい! いい匂いがするううう!)
近い。近すぎる。
実際は人一人分くらい間隔が空いていたのだが、何せ相手は意中の女なのだ。近すぎると感じてもおかしい事ではない。
思わず鼻をくんかくんかしてしまいそうになるが、強靭な意思でそれを押さえつけ、何事もないかのように話をしようとする。が、上手くいかない。先ほどまでは平気だったのに。
対するレヴィアも少し話し辛いようだ。もじもじとしており、目が合うと頬を赤くさせながらも小さく笑いかけてくる。アーサー同様、実際座ってみると距離が近すぎる事に気づいたらしい。ちょっぴり恥ずかしがっている様子。
(可愛いいいいい! レヴィア殿可愛いいいいい! ダメだ! やめてくれ! 死んでしまう!)
顔を反らしつつも口を抑え、にやける顔を隠す。これほど可愛い生き物は見たことが無い。ちょっと待って。この子がお嫁さんになるの? 嬉しすぎない?
「アーサー様?」
ドア横にいるガウェインの怪訝な声。自分の様子を不審に感じたらしい。色々と鈍いヤツである。既に分かっていた事ではあるが。
何でもないと片手を振る事で返答。そうして気をそらした瞬間――
「えいっ」
可愛らしい声。それと共に伝わる柔らかい感触。見れば、女神が自分の左半身に寄りかかっていた。
「な、慣れねばなりませんものね。こういうのも」
――あっ、死んだ。
女神の照れた表情。死んだ。萌え死んだ。心臓が収縮しすぎて破裂するところだった。戦場で死を覚悟した事は幾度かあったが、まさかこんな場所で死にかけるとは思わなかった。
「す、すみません、ガウェイン卿。あんまり見ないでくださいまし」
「はっ。失礼しました」
レヴィアの言葉を聞き、ぐりんと首を背けるガウェイン。流石の彼も二人が仲良くなりつつあるのには気づいているらしく、ほほえましげに見守っていたのだ。彼女はその視線に気づき、恥ずかしくなってしまったのだろう。
「ち、ちょっと早すぎたみたいですわね。わたくしとした事が、はしたない」
「あっ……」
ぱっと離れてしまう女神。アーサーの胸に
やはり二人きりになるべきだろうか。他人のいる場所では色々と躊躇する事もあるだろう。そう思った彼はこの場にいる部下へと命じる。
「ゴ、ゴホン! ガウェインよ、もういいぞ。執事も下がって宜しい」
「はっ。しかし、よろしいのですか?」
「その問いかけはレヴィア殿に失礼だぞ。大丈夫だ。お前の心配するようにはならん」
「これは失礼しました。では、外で待機しております」
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