第78話◇幻惑の魔女




『デカ乳が浮いてるわね』


 聖剣ミカが言う。

 声の主は風属性魔法で宙に浮いているようだが、この角度だと俺達からは彼女の顔が見えない。


 というのも、ミカが言ったように胸が大きいのだ。

 双丘に視界が遮られているのである。

 巨大な胸が、ふよふよと風に揺られているように見えるのは錯覚か。


 俺には、その人物が誰か分かった。

 世界の危機について謁見の間で話し合いが行われた時、『七人組』や魔王軍四天王、そしてそれに伍する実力者たちが集まっていたのだが。


 彼女はその場にいたのだ。


「凄まじい魔力を感じとって来てみれば、やはり勇者様関連でございましたかぁ」


 ゆっくりと、彼女が下りてくる。


 再び子供達の視線がこちらに向いた。

 俺が『大丈夫だ』と示すように頷くと、各々が遊びに戻っていく。


 濃い紫色の長髪を靡かせ、肉感的な肌を惜しげもなく晒すドレスのような衣装。

 目許には、黒いヴェールを纏っている。よく見ると生地は透けていた。

 まるで、魔女の結婚装束のようだ。

 彼女は、俺の知り合いの女性たちの中では最も背が高い。


 優しげで、蠱惑的な顔の造形。口許にはほくろ。色気を放っている、とでも言えばいいのか。

 右手に持つ魔法杖は黒く光沢を放つ素材で出来ており、湾曲した先端部分に挟まるようにして紫色の宝石が妖しい輝きを放っている。


 四天王の内、俺は三人と個人的な知り合いだ。

 エレノア、マッジ、そして獅子の獣人ライオ。


 最後の一人は老練な魔法使いの男なのだが、彼女はその娘なのだとか。

 今では父の仕事を実質的に引き継ぎ、魔法部隊を率いているのだという。


「『幻惑の魔女メイジ』か」


 アルケミも彼女のことを知っているようだ。

 協力体制をとるにあたっての情報共有によるもの、だろうか。


「あらぁ。賢者様がわたくしのような者をご存知だとは、光栄ですわ」


 杖を持っていない方の手を頬にあて、彼女は照れ笑いを浮かべてみせる。


「貴嬢がレインと親しくしているとの情報は掴んでいない。何用か」


「怖いわ、賢者様。もう少し笑って? その方がきっと素敵よ」


「用件を」


「つれないのね……」


 メイジは拗ねたように唇を尖らせたが、すぐに薄笑みを湛える。


「わたくしはただ、人類最高峰の魔法使い様を、直接お目に掛かれればと思っていただけなの。そう警戒なさらないで?」


「ならば目的は既に達したことになる。速やかにこの場を去るべきだ」


「愛するお弟子さんとのお喋りを邪魔してしまったから怒っているのね?」


「……その言葉、挑発として受け取ろう」


 アルケミが杖を掲げる素振りを見せると、メイジは――口角を上げた。


「あら、あらあら。とてもそんなつもりはなかったのだけれど――折角の機会だものね?」


 メイジも応じるように杖を持ち上げようとしたところで、アルケミが杖を下げた。


「あら?」


「やはり、腕試しが狙いか。残念だが、興味がない」


 メイジは驚いたように目を見開く。


「まぁ、わたくしの狙いを探るために怒ったフリを? その割には、本気に見えましたけれど、気の所為かしら?」


「見間違いだろう」


「そうですか……。最も優れた魔法使い様の力を、直接確認できればと思っていたのですが……」


「ならば、相手が間違っている。自分より、レインの方が強い」


「うふふ、存じておりますわ」


「…………」


「ですけれど、わたくしが言っているのは純粋な魔法使いとしての強さのことです」


「矜持か」


「矜持です」


 メイジは笑顔で頷いた。 


「四天王にライオという男がおりますが、わたくしは彼に肉弾戦ではとても敵いません。戦いが始まるシチュエーションによっては、魔法の発動前に八つ裂きにされてしまうでしょう。けれど、わたくしはそれを恥とは思いません。実際の戦いになれば、事前準備や立ち回りによって勝敗など幾らでも変わりますから。紙に書けるような能力値の差には興味がないのです」


「理解はできる」


「ありがとうございます。話を戻しますが、勇者様の強さは武人としてのそれでもなく、魔法使いとしてのそれでもなく、言うなれば魔法戦士のものです。能力でわたくしが及ばないのは明らかですし、微塵も悔しくないと言えば嘘になりますが、やはりそれを恥とは思えません」


「だが、同じフィールドに立つ者には、対抗心が湧くと?」


「まさにその通り。うちの四天王はエレノアちゃんが魔法戦士、マッジちゃんが魔法を駆使する暗殺者、ライオが武人と純粋な魔法使いは少ないのです。お父様は、もう超えましたし」


 殺し合いとなれば、敵と自分の得意分野が違うことなどよくあること。

 その上で、相手にどう勝つかを考えて行動する。


 相手の身体能力が自分より高くて悔しいとか、自分に使えない魔法が使えて妬ましいとか、そういう感情は無駄。

 メイジはその割り切りは出来ている。


 だが、こと『純粋な魔法使い』に限っては、そう単純に割り切れないのだろう。

 そういう者は人間にも多い。


 遠距離で削れば倒せる魔物に対し、あくまで一対一の近距離戦を挑む者もいた。

 非効率的で、非合理的でも、こればかりは譲れないという熱を持っている者もいる。


 メイジにとっては、それが魔法使いとしてのプライド、ということになるのか。

 戦い方にこだわりのない俺にはピンとこない感情だが、【剣聖】あたりなら理解を示しそうだ、と思った。

 ちゃらんぽらんに見えて、彼も剣士には真摯だったから。


「戦うメリットがない」


「そう言わずー」


 メイジは口調こそ柔らかいが、一歩も引く気がないようだ。


『どうでもいいけど、よそでやってくれない? ここ子供の遊び場なんだけど?』


 ミカの言葉に、俺は違和感を覚える。


 ――あぁ、そうか。


 アルケミに勝負を挑みたいなら、このタイミングでなくともよかった筈なのだ。

 魔力の高ぶりを感じて駆けつけた、なんて理由を口にしていたが、実際は狙っていたのだとしたら?


 つまり、俺のいるタイミングでアルケミに手合わせを願う理由があったのではないか。


「では、メリットを用意しましょう。勇者様が」


 いきなり話を振られて、戸惑う。


「俺?」


「勝者が勇者様からご褒美をもらえる、というのはいかがでしょう?」


『勝手にレインを巻き込まないでくれる?』


「くだらない」


『珍しく意見が合ったわね……』


 ミカが複雑そうに言う。


「では不戦勝ということで、わたくしがご褒美をいただきましょう。勇者様は『普通』を知りたいとのことでしたわね?」


「ん? あぁ、そうだな」


 メイジはベンチに腰掛ける俺、その足の間に膝をつき、片手を俺の顎に這わせる。

 俺の顎の先端が、彼女の胸の谷間に挟まるような、謎の体勢だ。


 ぞくりと、背中に電流のようなものが流れる感覚。

 漂うのは、頭がクラッとするほど、甘く濃い匂い。


『ちょっ……!』


「勇者様は既に成人済み。立派な殿方です。でしたら、大人の男女が愛し合う際『普通』に行うことを、経験しても良い頃でしょう。どうです? わたくしに、勇者様のお相手を務める栄誉を――あら」


 アルケミの杖の先端が、メイジの頭に向けられていた。


「戯れが過ぎる」


「本気ですけれど?」




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