第62話◇いい湯の前に

 



 一面の銀世界だった。

 見渡す大地全てが、雪に覆われている。

 空は晴れ渡っているが、気温は低い。


 エレノアの『空間転移』でやってきた俺たち以外に、人の気配はない。

 彼女が周囲に視線を巡らせて、言う。


「綺麗ですね」


 白銀の長髪に青い瞳のエレノアは、目を離すとこの景色に溶けて消えてしまいそうで、少し不安になる。

 だがそれは杞憂だった。


 陽光をきらきらと反射する彼女の髪は、この雪原全ての輝きを集めても太刀打ちできないほどに美しい。


「あぁ、綺麗だな」


 俺は頷く。

 しばらくして、首を傾げる。


「そういえば、温泉は?」


 今日は温泉旅行の予定だったはず。


「フローレンスが作らせた施設があるのですが、ここはそこから少し離れた位置になります」


 そう、王都の賭場全てを支配下におくやりての商人フローレンスは、王都の外にも土地を持っていた。

 その一つが、温泉のある別荘。


 フローレンスは俺と二人きりで行くつもりだったようだが、計画は即座にみんなに伝わり、なんやかんやって大人数での参加となった。

 表向き悔しそうな顔をしつつも、フローレンスは楽しそうに見えた。


 なんだかんでで『七人組』は仲が良いのだろう。


「歩いて移動するのか? 俺はいいけど、チビたちは辛いだろう」


 今は俺とエレノアだけ。

 俺も『空間転移』が使えるが、移動先を知っておく必要がある。


 だから一旦、エレノアに連れてきてもらったのだ。

 これから二人で戻って、みんなを別荘に転移させるものだと思っていたのだが。


「いえ、ここは言わば……遊び場ですね」


「遊び場」


「詳しくは後ほど……。ご安心を、このあたりもフローレンスの土地なので、周囲の迷惑などは気にする必要はないとのことです」


 規格外のお金持ちだな、フローレンス……。


 俺たちは一度王都に戻り、チビたちに防寒具を着せたりして、準備を整える。


 俺は勇者としての装備の上に、大きな外套を一枚。

 腰には聖剣ミカ。

 首には、小さくなった霊獣白狐がくるりと巻き付いてきた。


 今回のメンバーは――。


 魔王軍四天王の魔法剣士――『白銀の跳躍者エレノア』。


 魔法学院の講師――『聖結界ルート』。


 魔王軍の王族警護兼専属メイド――『殲滅兵器レジー』。


 魔王軍筆頭情報官――『天網のヴィヴィ』。


 魔王軍唯一の魔道技師――『稀代の魔道技師モナナ』。


 魔王軍四天王の暗殺者――『静かなる暗殺者マッジ』。


 王都で絶大な影響力を持つ大商人――『完全無欠のフローレンス』。


 と、『七人組』は全員参加。


 ウサ耳のキャロや、狐耳のウルなど、総勢六人の子どもたちもみんないる。


 あとは俺の専属メイドであり、レジーの姉でもあるフェリスもいた。


 それと、フローレンスの執事である羊の亜人の女性セリーヌもだ。


 かなりの大所帯になったが、まぁなんとかなるだろう。

 俺とエレノアの魔法で、みんなを雪原に転移させる。


 子供たちからわぁっと声が上がり、女性陣も雪景色に感嘆の声を漏らす。


「遊び場とか行ってたけど、何をするんだろうな」


『英雄の任務からしたら、雪って邪魔者だものね』


 ミカの発言に、俺は小さく頷く。

 英雄時代と違い、美しい景色を楽しむ心のゆとりも出来てきた俺。


 それでもやはり、雪に遊びのイメージはない。

 移動速度は落ちるし、体温も奪われるし、そこに吹雪が重なると視界まで悪くなる。


「ゆうしゃくーん!」


 雪原でぴょんぴょんと跳ねていたキャロが俺を呼んだ。

 視線を向けると、彼女が何かを投げているところだった。


 雪を丸めた球のようだ。

 ひょろひょろと、それが俺に向かって飛んでくる。


 魔法で防ぐのも避けるのも容易いのだが、何かの遊びかもしれない。

 ひとまず受け止めようとしたのだが、それは叶わなかった。


 俺の横から素早く飛び出した黒い影が、対処してしまったからだ。


 漆黒の髪の、小柄な魔人の少女だ。俺と同年代か、少し上くらいに見える。

 ぴちっとした衣装に身を包み、手にはナイフ。

 最後の七人組、マッジだ。


 彼女が刃を一閃させると、キャロの雪玉が真っ二つに断たれる。


「大丈夫? レイン様」


「え、あ、あぁ。大丈夫だ」


 俺が応えると、彼女は「そう」と頷いた。

 どうやら守ってくれたらしい。


「すっごーい!」


 戸惑う俺とは対照的に、子供たちは大はしゃぎ。

 キャロ以外も俺――というかマッジに向かって小さな雪玉を投げ始める。


「……無駄」


 それをマッジは素早いナイフ捌きで刻んでいく。


「こういう遊びなのか?」


『刃物使う遊びとか怖すぎるでしょ』


 その時、黒髪メイドのフェリスが俺の耳許に口を寄せ、説明してくれた。

 ほう、と耳に当たる温かい吐息がくすぐったい。


「マッジ様のようにナイフを使われることはありませんが、雪玉を投げ合う遊びは存在いたします。雪投げ、などと言うようですね」


「へぇ」


 俺は屈んで雪に触れる。すごく柔らかい。それを球状に固めて、充分に手加減してから、キャロに向かって放る。


 それはキャロの肩に命中し、ぱらぱらと雪を散らす。

 キャロは楽しそうに笑うと、俺に当て返すべく、雪玉の作成に入る。


 相変わらず、子供たちの雪玉はマッジに全て真っ二つにされていた。


「お、おほん。本日はわたくしの保有するこの地に――って話を聞きなさいな!」


 フローレンスの叫びが響く。

 地主である彼女の挨拶を、誰も聞いていなかった。


「ん?」


 魔力を感じた。

 だが悪意は感じられない。

 俺の頭の上に、柔らかい雪玉が落ちた。


 衝撃はほとんどないが、雪の冷たさに一瞬体がぶるっと震えた。

 顔に掛かった雪を払うと、びっくりした様子で振り返るマッジの顔が。


「ごめん……レイン様。油断した」


「いや、今のは仕方ないよ」


 雪玉は俺の頭上に『転移』してきたのだ。


 珍しく、エレノアが悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「隙きありです、レインさま」


「遊びでも……勝負事なら負けられないな」


 俺はニヤッと笑い、応戦すべく雪玉を作り始める。


「……わ、わたくしの完璧な温泉プランが……」


「そのようなもの、皆様に露見した時点で破綻したようなものでございます、お嬢様」


 フローレンスとセリーヌの主従コンビによる会話が、聞こえてきたような……。



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