第58話◇レインの想い
英雄を辞めていいだなんて、考えたこともなかった。
今のような楽しい生活を、『普通』を目指す日常を送ることが出来るだなんて、思わなかった。
「レイン様……」
彼女の瞳が水気を帯びる。
「みんなを助けたのが俺だって言うならさ。あの日俺を助けたのは、エレノアだろ? 俺だって、エレノアにすごく恩義を感じてるんだ」
ぽろぽろと、エレノアが涙をこぼす。
「勝ちとか負けとかはわからないけどさ、そんなふうに落ち込んでほしくないって思うよ。エレノアが悲しいと、俺も辛い」
「レイン様、レイン様……」
エレノアは繰り返し俺の名前を呼ぶ。
「あぁ」
「……触れても、よいでしょうか」
俺が頷くと、彼女の白魚の手が、俺の頬に伸びる。
すべやかだが、剣ダコも出来ている。
彼女の研鑽と、その上で手入れを怠らない女性らしさの両方を感じた。
「私、思いもしませんでした。自分が、レイン様にとって、重要な人物になっているなどとは……」
「最近、ミカともすれ違いがあってさ。だからその、もうそういうことがないように、大事なら大事って伝えようと思ったんだ」
「……れ、レイン様は、私のことが、だ、だ、大事、ですか?」
エレノアの顔は赤く染まり、強張っている。
俺の返事が期待と違うものだったらどうしようと、怯えているみたいだった。
俺の頬を撫でるエレノアの手に、自分の手を重ねる。
彼女の空のように青い瞳を見つめる。
「そうだな、エレノアは大事な人だよ」
その言葉を聞いて。
エレノアは、再会して以来、もっとも美しく可憐な笑顔を見せてくれた。
「嬉しいです、とっても」
その表情に、俺は胸が高鳴るのを感じた。
「そ、そっか」
「レイン様」
「うん」
「は、ハグ、してもよいでしょうか」
「え、あ、あぁ。マリーがよくやるやつか?」
「そ、それです。その、親愛を込めて! あくまで、はい! 邪な感情などはなく!」
エレノアは動転している。
俺は彼女を迎えるように、腕を広げる。
「! ~~~~っ。で、では、失礼しまして」
エレノアが、そっと俺の背中に腕を回す。
彼女の胸が俺の顔にあたって形を変え、俺は彼女の温もりに包まれた。
「す~~~~~~、は~~。す~~~~~~」
「え、エレノア?」
なんか吸われてる?
「はっ、すみません! あまりに幸せな匂いがして」
「い、いや、いいけどさ」
彼女の胸に半ば埋まりながら、俺は彼女と視線を合わせる。
「俺は、エレノアに逢えてよかったと思ってるよ」
「レイン様……! その、今、そんなことを言われては!」
彼女が、俺に顔を近づけてくる。
「エレノア?」
淡桃色のつやめいた唇が、俺の唇に触れる寸前まで接近。
俺は、避けることができなかった。
あるいは、避けないことを選んだのか。
そして、エレノアと俺の唇同士が触れ合う――直前。
「ふしゅう……」
エレノアの体から力が抜けた。
「大丈夫か!?」
床に倒れそうになる彼女を、なんとか抱きとめる。
彼女は幸せそうな顔で、鼻血を垂らしていた。
「そういえば俺、今角付けてないんだった」
そう考えると、エレノアはかなり耐えられた方なのではないか。
俺は彼女をベッドまで運び、鼻血を拭いてやる。
そして、彼女の寝顔を眺めた。
もし、あと数秒エレノアが意識を保っていたら、どうなっていたのだろう。
わからない。
ただ、胸の高鳴りだけは、しばらく経っても収まってくれなかった。
後日、エレノアとフローレンスの間に話し合いが持たれ、他の『七人組』同様に俺の部屋に通されるようになった。
仲直りできたようでよかったと俺は安心したのだが……。
みんなから「エレノアから謎の余裕を感じるようになった」との声が続出。
俺は、余裕の正体を探るべくみんなから質問攻めに遭うのだった。
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