第10話「K田の大学生時代」


「岐阜?」


友人たちに、K田は私に好意があるのかもしれないと気付かされてからは、いちいち彼の言動を気にするようになっていた。



岐阜?2人で?なぜに?




「俺の同期の、星田と坂口って覚えてるか」



星田と坂口。

聞いたことのある名前だ。



「たぶん、お前が中学生のときに、俺が2人を道場連れてきて、一緒に練習したことあると思うんだけど」


「あー!」



今の今まですっかり忘れていた記憶が、パチンと蘇った。


ある男女の顔が思い浮かぶ。









私が中学生のとき、K田はたまに、大学の部活の同期を連れてきていて、道場で一緒に練習することがあった。


そのとき来ていた同期が、星田さんと坂口さんだった。



いかにも運動神経の良い男子といった感じの、長身で、細身ながら筋肉のついた体型の星田さん。ニカッと笑う顔が印象的だった。



で、その隣に必ずいたのが、しとやかでお嬢様な雰囲気をまとった坂口さん。


つるんとした綺麗な肌と、細くて柔らかそうな、明るすぎない茶色の髪。


おまけに色白で細身でほどよく背が高くて、モテる女子を絵に描いたような人だった。




中学生のときにも思っていたことだが、やっぱりあの2人はカップルだったらしい。





「卒業してからは、俺はこっちに、星田は東京、坂口は岐阜に、それぞれ就職したんだ」



K田は語り始めた。




3人はそれぞれの地で道場に通い、武道を続けた。


大学生のときは、○市の練習会に一緒に通っていたほど親しかった、K田と星田さん。






合同練習会は県ごとに開催される。


星田さんは東京に行ってからも、東京の練習会に参加し、一人になったK田は引き続き、例の○市の練習会に通い続けた。



「最近になってさ、岐阜にいる坂口も、岐阜の練習会に通うようになったらしいんだよ」




それを聞いた、いわゆる武道バカな星田さんは元々、色んな県の練習会に参加したかったらしい。


そこで彼女である坂口さんに会うついでに、今月末の岐阜の練習会に、東京から参加することにした…ということだった。



「でさ、せっかくならK田も来て、また3人で練習しないかって星田に誘われたんだよ」




嬉しそうな顔で回想から戻ってきたK田に、話を戻す。



「で、何で私も一緒に?」


「行かないのか?」


逆に不思議そうな顔をされた。




「いや、今の話だと、星田さんは同期3人で集まりたいんですよね。そこに私がいたら邪魔じゃないですか」

 

「ああ、そのことか」



ポリポリと顎をかく。




「まあ、大丈夫だろ。俺らが一緒に練習会行くのはもう毎月のことだし、練習は誰もが参加する権利があるわけだし。それに、あいつらはお前のこと知ってるしさ」


申し訳ない、私はすっかり忘れていました。



「お前を連れてったところで、嫌な顔する奴らじゃないよ」


で、行くのか行かないのかと迫られた。





このときの私は岐阜の練習会はどうでもよくて、岐阜までの長時間運転の中でK田と話せると思ったため、参加を決めた。



友人たちが言っていたように、本当にK田は私に好意があるのか、もっと話すことで確かめたかった。









当日。


朝が早かったせいで、貧血体質の私は道中吐き気と頭痛に悩まされ、口数が少なく、行きの車内では、K田が大学時代の思い出を語るのを聞いていた。



星田さんと坂口さんの他にも、部活仲間はたくさんいたが、その中で最も親しかったのがあの二人であること。


うちの道場の練習に二人を連れてきたときは、決まって私たちの町の観光に連れて行ってあげたこと。




「そういえばあいつら、もう6年付き合ってるのか…」







会場についたとき、ごった返す人の中で、星田さんと坂口さんはすぐに分かった。


案外、人の記憶力というのはバカにできないらしい。



「K田!」


K田の姿を見つけて手を振る星田さんのニカッと笑う顔は、記憶にあるままだった。




「あっ、どうも。K田から聞いてるよ」


「ヒロちゃん?私、坂口だけど覚えてる?」


「はい、お久しぶりです」



私に気づいた二人が声をかけてくれる。


頰が引きつった。




二人とも背が高くて賢そうで、私よりもずっとずっと大人に見える。


いまの私はあの頃の二人とそう変わらない年のはずなのに、なぜか私の方が、青臭い子どもに思えてしまう。



特に坂口さんなんか、同じ女なのに、私よりも色んなものが洗練されているようで、まるで私だけがあの頃のまま、中学生のような気分になった。




「敵わない」。



坂口さんを見ると、なぜかそんな言葉が浮かんだ。






恥ずかしいようなこの緊張感を一日中持ったまま過ごしたから、午後の終盤の練習のときは、疲れた胃がキリキリと痛かった。


二人に話しかけられても、引きつった顔でハイとかそうですねしか言えなくて、それがよけいに自分を子どもっぽく思わせた。






6月の会場はムシムシと熱気がこもり、汗をかいた道衣が気持ち悪く肌に貼りつく。




「星田!お前、それはナシだって!」


「いや、アリだね!」


「うぜー!…あ、ヒロ!」



星田さんと戯れていたK田が私の姿を見つけ、おちょけながら手を振った。



「こっち来いよ!一緒に練習しよう!」





それなのに、汗を吸ってベトベトのはずの道衣が、この時は軽やかに思えたんだ。










「ありがとうございました!」



閉会式をおこない、一日の練習会が幕を閉じる。



制汗スプレーや汗拭きシートのシトラスな香りが充満する更衣室で、汗で肌に貼りついた道衣を、苦労しながら脱ぐ。というか、はがす。


乾いていてパリッとしたTシャツを着ると、急に身体中を風が抜けたみたいで、夏場の練習はこの感覚が爽快だ。



重くなった道衣を鞄にしまっていると、二つ折り携帯のライトが、ちかちかと点滅した。


サブディスプレイに、電子的な文字で「K田さん」と表示される。





【更衣室のとなりの自販機で待ってる^^】




もう着替え終わったのか。


ロッカーに付属していた鏡を見て、ヨレたアイラインを手早く直し、色つきのリップをさっと塗り直して、慌てて更衣室を出た。




「すみません、お待たせしました」


「おう」




買ったであろうポカリを飲んでいたK田は、反対の手に握っていたお茶のペットボトルを投げてきた。



「う、わ」


「ナイスキャッチ」



手に収まったペットボトルは、ひんやりとして気持ちいい。




「ありがとうございます」


「いいよ。今からさ、あいつらと軽く茶しに行こう」



てっきりこれでサヨウナラだと思っていたので、練習が終わってやっと痛みの引いた胃が、ピクッと反応した。



「えーと、私いてもいいんですかね」


「ここまで来て席外してくださいは、無いだろ(笑)」





今度こそ、上手に喋らなきゃ。




それぞれの車で、近くの喫茶店に向かう。



「いらっしゃいませ〜」


お店に入ったときには前を歩いていた星田さんだったが、席に案内されるとごく自然に、すっと自分が身を引くことで坂口さんを奥の席に座らせていて、その動作が二人の付き合いの年月を語っていた。






飲み物と軽食が届いてからも、私はやっぱり頰が引きつって上手く喋れなくて。


3人の話に、ふーんとかそうなんですかとか、相槌を打ちながら頷くことしかできなかった。


洒落た喫茶店の中で、私だけが幼かった。





「ヒロ、どうしたんだよ。やけに大人しいな」


K田が私を見て言った。




「岐阜まで来て、疲れちゃったよね」


「いえ、あのう、大丈夫です」


「お前いつもはそんなんじゃないだろ〜」


「いつも?」



いつも、というK田の言葉に星田さんが首を傾げる。





「俺とヒロ、休日はいつも2人で自主練してんだよ」



ふふんとK田は腕を組み、どこか得意気に言った。




「へーえ、他の人たちは?俺らが道場にお邪魔してた頃にいた、北口さんとかさ、まだ続けてる?」


「いや、あいつらも社会人になったら辞めてったなぁ。俺もそんなに連絡取ってないし」


「そっかぁ、まあみんな忙しいもんな…あっ」



星田さんが、坂口さんの食べ終わりそうなパンケーキを見て声を漏らした。






「…それ、大きめだから分けて食べようって頼んだやつ(笑)」


「えっ、そうだったっけ⁉︎ごめーん、全部たべちゃった」



場が笑いに包まれる。





お会計をK田さんと星田さんがしてくれたあと、日が陰って涼しくなってきた外へ出る。



「じゃあK田、気をつけて帰れよ」


「星田もな」


「ヒロちゃん、またね」


「はい、ありがとうございました」




手を振る二人に会釈で返し、K田の車に乗る。





「…はー…」



いつもは座ってすぐエンジンをかけるK田が、深いため息をつきながら、運転席にもたれかかった。



「どうしたんですか?」


「うーん…疲れた」



眼鏡を外し、眉間の辺りを押さえて目をパシパシさせると、「行くか」と言ってシートベルトをしめ、ようやくエンジンをかけた。




駐車場の奥に停めたから、出入り口を目指してゆっくりと走らせる。


出入り口付近に停めたオレンジ色の車の中に、二人が見えた。




運転席に座っているのは坂口さんだ。


サングラスをかけていて、両手でハンドルを握ったまま、器用に片手の指だけ広げてひらひらと振った。




かっこいい。


情けなくなってくる。



私はあんなオシャレな車も持ってないし、あんなサングラスも似合わないだろうし、あんな仕草もできない。




…K田さんは、こんな子どもっぽい私でも、いいんだろうか。


そんな考えが頭をよぎる。





「坂口さんの車で来てたんですね、あの二人。女の人が運転する車に乗る彼氏って、あんまり見たことないかも」


「坂口の方が運転好きだし、星田は東京から電車で来たんだろ」





助手席に座っていた星田さんは居心地がよさそうで、サングラスをかけた坂口さんも気取ってなくて、二人は本当に自然なカップルだった。



ちらと隣を見る。




私たちも、あんな風になるんだろうか。





思えば今日岐阜に誘ってきたのだって、同期の3人で集まろうってところに、別に私は来なくても良かったのだ。


一度は遠慮した。

なのに、どうして誘ったりしたんだろう。


誘った理由、はっきり言わなかった。



練習しているときも、妙に子どもっぽく私のことを呼んだりしていたし、喫茶店では、最近私たちが2人で自主練してることをわざと言っていたように見えた。






「K田さんって、大学のとき彼女とかいたんですか」



気がつくと、そう口が動いていた。





「え、なに急に」


「いや、来るとき大学のときの話してくれてたじゃないですか。どうだったのかなって」


「どうって別に、どうもねーよ」




どうもない、とはどういうことなんだろうか。



「彼女いなかったってことですか?」


「まぁいるかいないかで聞かれると、いなかった、な。彼女は」




何となく匂わせる言い方だ。


彼女は、いなかった。


ということは。




「好きな人は、いたんですね」



一瞬、ブレーキの踏み方にクンと力が入った気がした。




「そりゃな、俺にも青春してたときはあったよ」




どんな人だったんですか。



私の問いかけには答えず、K田はしばらくの沈黙ののちに、こう言った。



「俺さ、大学のときは好きな女の子ができても、上手くアプローチとかできなくてさ。他の男と付き合うのを、指咥えて見てたんだ。あの頃の俺、勇気なかったからな」


「はあ…」



問いかけとはあまり関係のなさそうな話を淡々とするので、聞いているしかない。





「でも、今は違うと思ってるんだよ」


「違う?何がでしょうか…」



K田は信号で停まると、右手で頬杖をつくようにして、私から顔を背けるように窓の外を眺めた。




「今は……好きなら飯に誘ったり、二人だけでどこかに誘ったりするかな」






ドクンと心臓が跳ねた。








K田が振り返ってこちらを見る。



「ヒロは?大学ならいい男もたくさんいるだろ。好きな奴、いないの」






なんだか妙な空気だ。


私はこの空気感を、知っている。



中学の帰り道、たまたまその日一緒に帰っていた小学校での同級生、ケンタという男子に、唐突に同じようなことを聞かれたことがある。


私はケンタを同級生としか思ってなかったけど、小学生のときとは違う、明らかな男の目つきでこちらを見てくる時があることに気づいていたから、正直に、同じ部活の先輩が好きだと言った。



変な間ができたので振り返ると、ケンタは泣きそうな顔で言ってきたんだ。


わかってたけどオレはヒロが好きだ、って。





その他、高校のときにも何回か、特定の男子と一緒にいて恋バナをしていると、ふとこの空気感に包まれることがあって。


決まって、いま好きな人はいないの、という質問をされる。


時間の流れが、急にゆっくりになったような空気感になる。


そう、今みたいに。




私は慎重に言葉を選んだ。



「好き、かどうかはまだ分からないんですけど。気になるかなって人は、います」



K田は乾いた声で小さく笑った。



「なんやそれ。気になってると好きって、どう違うんだよ」



それは私が聞きたい。



「よく分からないですけど、まあ、好きになりかかってるみたいな感じ、ですかね」



K田はフム、と顎に手を置くと、にやついたような口元を動かした。



「どんな奴?」



これはもう、流れに任せるしかない。






「えー、それは言いたくないです」


「なんだよ、教えろよ」


「言いませんってば」



キャッキャっと言い合ったのち、K田は今度は真剣に聞いてきた。



「じゃあ、年上なのか年下なのかとか、俺が聞いてくことに答えてくれよな。そいつは、年上?年下?」


「…年上、です」


「いくつ上?」


「7つ」


「飯とか食いに行く仲?」


「はい」


「最近何食べた?」



なんだったっけ。

先週の自主練終わりに連れて行ってくれたお店。



「あ、ハンバーグ」




それを聞くとK田は、呼吸を整えるように細く長いため息をついて、喋らなくなった。


15分は沈黙していただろうか。


車内に聞こえるのは、ウインカーのカチカチいう音や、ナビの「⚪︎km先…」という音声だけだった。






なぜ黙っているのだろうか?



私は合わせてさらに黙っていたが、その後高速に乗っても、結局K田が口を開くことはなかった。




高速を降り、風景が見慣れたものになり、どんどん田舎になっていく。


私の家まで、あと数百メートルとなったとき、ついに私はこの沈黙に耐えられなくなった。




「あの」


「お?」


「さっきの話なんですけど」




私は、モヤモヤしたままとか、有耶無耶ってことが嫌いだった。


このままだと、気持ち悪い。






「K田さん、なんですよね」





何となく察していたが、K田はこのまま何事もなかったかのように、私を送り届けるつもりだ。


だがあそこまで私に根掘り葉掘り聞いておいて、なんだか恥をかかされた気分だし、結局何がしたかったのか分からなくて気持ちが悪い。


だから小説や漫画によくある、気持ちが溢れてなんてロマンチックな理由じゃなくて、気持ち悪いから、言った。




K田は黙ったあと、というか思考をどこかに飛ばしたかのようにぼうっとしたあとで聞き返してきた。



「何が?」



「何が、って」


無性に腹が立った。



「だから、好きな人いないのかって聞かれて、気になってる人はいるって答えたじゃないですか」


「ああ」


今のああは、相槌のああじゃなく、「ああ、そういえばそうだったな」に近いああだ。




「もうわかりますよね?」



「んー…何が?」



「だーかーら!」




声が大きくなった。



「私の気になってる人はK田さんだって話だったじゃないですか!」




家の前に着いた。


K田はようやく意識が戻ってきたみたいに、やっとはっきりした表情でこちらを見た。



そして、この日一番の笑顔を見せて言ったんだ。

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