第17話 夢を与えてくれたから

「いまを逃したら、もう二度とエーレンと二人きりで話す機会はないと思う」


 ここは城内の一室。

 まれに城を訪れる身分の低い者の応接にも用いられる部屋で、装飾の類は質素にまとめられているが、部屋の造りは悪くない。


 その部屋で向かい合ってソファーに腰掛けている男が二人。


「なんだって?」


 リオン王子の提案にいぶかしげに応じるているのは、勇者ギデオンだ。


「この部屋はさ、そこにね」


 リオンの指さす先に視線を向けるギデオン。


「隠し部屋があって、室内の会話を盗み聞きできるんだ」

「地味な部屋だと思っていたが、とんでもないな。実に趣味のいい部屋だ」

「勇者のお褒めにあずかり光栄だね。国王城主に代わって礼を言うよ」


 リオンはニッコリと、少しも悪びれずに明るい笑顔を見せている。

 もっとも、おそらくはどこの部屋にも似たような仕掛けはあるのだろう。


「それで?」

「うん、謁見が終わったらエーレンをここに連れてくる。だから君はそこに隠れていてくれ」

「なぜだ。せっかく迎えに来たんだぞ」

「そう。『あいつはこっちに向かっていて三十分ほどで着くだろう。それまで昔の話に花を咲かせないか』と俺が彼女と談笑しているからさ、聞いていてくれないか」


 妻と間男の密会を黙って覗いていろというわけか?

 なんでもできるし、なんでも手に入る王族の中には、刺激に飢えてとんでもない変態性癖に目覚める輩がときどきいると聞くが、まさかコイツはその若さで? ギデオンは若干引いている。


「変な誤解をしていないか? 俺は君に遠慮をしない彼女と最後に一度話したいだけだ。そしてそれを君に秘密にしようとは思わない」

「あいつには亭主が盗み聞きしていると言わなくていいのかよ」

、俺たちには君に対してやましい関係なんかないんだよ。だから……まあ、いいんじゃないの」


 むしろそれを証明しようとしているのかもしれないな。

 ギデオンはリオンの気持ちをそう察した。


「ま、いいさ。俺も興味が無いわけでもない」

「ほう。君も貴族らしくなってきたということかな」

「抜かせ」


 俺はノーマルにをいじめまくるのが好きなんだ。

 もちろん、ギデオンはそんなことを口にはしない。


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 謁見を終えたエーレンが、あらかじめここに通すようにと指示していた侍従に連れられて顔を出したのは、それから小半時ほどだっただろうか。


「……殿下、ですか。迎えがきていると聞いたもので、てっきりだんな様が待っているのかと」


 こじれる前に仲直りをしておきたいと思って応接室に入ってきたエーレンの決意は、出鼻をくじかれた。


「がっかりさせて済まないね。だけど安心してくれ、ギデオンは今頃大慌てでこちらに向かっているよ。それまで君と昔話でもしながら待っていようと思ったんだ」


「はぁ」

「まあともかく掛けてくれ」


 エーレンは言われるままにソファーに腰を降ろす。


「へぇ、さすがに坐り心地いいですね。これウチにも欲しいな」


 でも高そう。

 これだと、メイド三人分くらいの一月のお給金が飛ぶかな。


 そんなことを思うエーレンを見て、リオンは愉快そうに笑って言った。


「すっかり奥様らしいことを言うようになったじゃないか」

「どうして隣に座るんですか。あっちに座ってください」


 その図々しい振る舞いを、エーレンは見咎める。

 対するリオンは涼しい顔だ。


「ええ? 別にいいじゃないか」


 そう言いながらもしつこくにじりよったりしないのが、イケメン王子のリオンだ。彼の美学はそれを許さない。ひとまず素直に対面のソファーへと移動した。


 一方、隣室から黙って覗いているギデオンは思う。

 『秒で飛び出せるようにしておかないとな』

 飛び出して何をするかといえば、もちりんリオンをボコすのだ。


「殿下、先にお伝えしておきますが、立場を利用してどうこうなさろうとするのはおやめくださいね。ウチの伯爵様はそういうのぜんぜん効果ありませんから。バッサリやられますよ」


 さすがは我が妻。我が意を得たりと、ギデオンはエーレンに満足する。

 と同時に、そんな彼女を騙している格好の自分に、若干の後ろめたさを覚えた。


「は……ははは。まあ、そうだろうな。あいつならな」


 友人であるリオンもギデオンの気質はよく理解している。

 空気に少し不穏なものを感じたリオンは、慌てて話題を変えた。


「あ、そういえば、国王オヤジと何を話してたんだ?」

「え。なに、って言われても……」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「どうしても聞いておかなければならないことが、もう一つある」

「なんなりと」


 もうなんでも聞いて。


「なぜ魔王スタニスラスが、勇者ギデオンに後れを取ったのだ?」


 あー。そこですか。それ聞きますか。どうしよう。

 ……いや、これは、うん。話しておこう。

 

「そうですね、どこからお話ししたものやら」


 人差し指をあごに当てて、ちょっとだけ考える。


「あなたに改めて言う必要もないとは思いますが、わたくしのこの姿は本来のスタニスラスとは違います」

「魔王となるものは例外なく立派な角に恵まれているはずだな」

「その通りです」


 ボクは頷いて答える。

 うん、国王が知らないはずがないもんね。


最後の勇者ギデオンがわたくしの居た砦に入ってきたのを知ったときに思ったんです。彼を殺すのは得策じゃない、って」

「どういう意味だ」

「単なる打算です。勇者を一人残らず、文字通り全滅させたらどうなるだろうって」

「ふむ」

「あなた方は、さらなる禁呪に手を掛けるだろうと想像しました」

「充分にありえた話だな」


 『勇者システム』は千年の昔に生きた人間の大魔術師たちが、とても人間自分たちの手には負えないと、長きに渡り封印していた魔術だ。

 それを、このブレンドン三世はいとも簡単に ―― 彼なりの葛藤はあったのかもしれないが ―― 解いて戦線に投入したのだ。


「もう厭いていたんです。殺すのにも殺されるのにも」

「それは、民の命を預かる者の立場として問題があるな」

「わたくしはいろんな方に『魔王失格』の烙印を押されていますね」


 ボクは苦笑いを一つ。そして続けた。


「すでに砦は人間連合軍に囲まれていましたから、幻惑をかけてこっそりと飛び出して逃げるのがいいと思ったんです。その折にはいざという時を考えて人間の姿の方がいいと思って、前もって変化しておきました」

「一人で逃げようとしていたと?」

「……実は、そうだったんですよ。一人ならば確実に逃げられましたし」


 ね。魔王失格。それを一番よくわかっているのはボク自身なんだ。


「そこは気に病む部分ではなかろう。王が囚われればそれで終わりだ。不利を悟れば逃げるのは当然であろうよ。ワシだって逃げるぞ」


「お心遣い恐縮です。ですが、わたくしが逃げたのはわたくしのためだけだったんですよ。決してその場だけ逃げて魔族軍を立て直そう、のようなことは考えていませんでした」


「ふぅむ」


 嫌そうな顔も見せずに誰かの命を奪う自分が嫌だった。

 悲しい知らせを聞いても怯むこともない自分が悲しかった。


 それらを言い訳にして、全てを投げ出し無責任に逃げ出そうとする王がそこにいた。


「続けますね。ところが、予想外に早かったんです。ギデオンの到着がね。本当は、彼は誰もいない空っぽの玉座を見て呆然としている筈だったんです」


 この後のやりとりはまあ、省いてもいいね。手っ取り早く国王の質問に答えてしまおう。


「ギデオンは言ったんです。『お前に一目惚れした』って」

「なに?」


 さすがにこれには国王もビックリしてる。

 ボクが魔王とわかった上で、愛の告白だもんね。


「もちろんウソだってすぐわかりました。を利用しようとしているんだって。でもね、でもですよ、ブレンドン・エングルフィールド三世殿」


 そこで、当時の気持ちを反芻してみる。

 そうだ、ボクはそれでいいと思ったんだっけ。


「彼に、戦争は終わるかもしれない。終わっても、ボクの民は殺されないかもしれない。魔王のくせに、みんなを見捨てて一人で逃げようとしていたくせに、今さらと思われるかもしれないけど、それでも助けられる命なら助けたかった。」


「そんな夢を見せてくれて、しかもそれを現実にしてくれた。それこそが、ボクがいま、エーレントラウト・カッシングである理由です」


 言っててやっと気付いたんだ。

 やっぱり思考を言葉にすると新しい発見があるものだよね。


 うん、いろいろあるけど、ギデオンは最初の約束そこに関しては全くボクを裏切っていないんだよ。ああ、そうだよ、そうなんだ。なぁんだ。



 ―― なら、信じられるし、信じたいし、信じる。


 ぜんぶじゃないけどね。ボクはそこまでウブじゃない。

 いずれ、はっきりさせなければならないこともたくさんあるってわかった。

 それこそ、彼と袂を分かつことになったとしても。



「国王陛下」

「ん」

「わたくしは、夫とこの国に忠誠を誓います。なにとぞ、わたくしをいままで通りカッシング領に封印し続けてください」

「……お主はそれでいいのか? お主自身に爵位を与えて、好きなところで隠遁生活でも送ってもらうことも考えておったのだが」



 この方は、またそんな心にもないことを。

 それは、ボクを通じて魔族を意のままに操る算段でしょう?

 だって、魔族は何があっても絶対に譲位を行わないから。


 ボクが生きている限りは、魔王はずっとスタニスラスなんだから。



「爵位なんていりません。考えるところはありますけど……いまのところはまだ、わたくしはカッシング伯爵夫人でいたいと思います」


「ワシもこの戦争では息子を含めて近しい者も大勢亡くしておる。だが、お主の言った「厭いている」と言うやつ。それだな。ワシも、これ以上の憎しみの連鎖は望まん」


「信じます。陛下、なにとぞ魔族との友好関係を。もちろんわたくしも、が、ご協力致します」


「ありがとう。いいだったと思うよ。魔王スタニ――」


「エーレントラウト・カッシングです。陛下」


 そうであったな。と、陛下は豪快に笑われた。

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