第15話 過去と現在

 国王に呼ばれたエーレンが馬車に揺られている丁度その頃。


「おかえりなさいませ、だんな様」

「ああ」


 ギデオンは宿舎としてあてがわれた屋敷に、一人で戻っていた。


「奥様はいかがなされましたか」

「新しい……いや、昔の男とよろしくやってんじゃないのか」 


 メイドヘンリの問いかけにギデオンは吐き捨てるように言う。


「まさかとは思いますが、本気でおっしゃっていますか」

「本気だったらどうだというんだ」


 奥の部屋に向かおうとするギデオンを、ヘンリ遮る。


「どけよ」

「どきません」

「殺すぞ」

「素手で、しかもこの至近距離で、ダークエルフこの私に勝てるとお思いですか。あなたが?」


 しばしにらみ合うメイドと主人。


「……そうだな、勝ち目は無い」


 ギデオンは奥へ向かうのを諦めて、そこにあったソファに腰を落とす。


「何があったのかはわかりませんが」


 ヘンリは、強い殺意を込めた視線でギデオンをにらみつけつつ、言葉を続ける。


「奥様を傷つけることがあったらあなたを殺すと、私は言いました」

「覚えている」

「そうですか。奥様を傷つけたことは認めるのですね」

「ああ」

「そうですか。では殺すかどうか判断するために、何があったのかをお話しください」


 ・

 ・

 ・

 ・


「バカですか」

「直球だな」

「そんな子供じみた嫉妬で奥様を置き去りですか」

「そこは、俺も……思ってるよ」

「だいたいが、女の過去の話でぐだぐだ言うなんて、男らしくない」

「いまだってすげー仲良かったぞ」 

「友人間の仲がいいのは当たり前です」


 ヘンリからの叱責を右から左へと聞き流しながら、ギデオンはエーレンと始めてあった日のことを思い出していた。



 ――「じゃあ、エーレンでいいよ、そう呼んで」

 ――「友人たちはそう呼ぶのか?」

 ――「……んー、



 王都に出発する前に、ヘンリと話したことを思い出していた。



 ――「奥様がだんな様以外の男性に興味を示したことは一度も……あ……いえ、なんでもないです」



「なあ、ヘンリ」

「なんでしょう」


 心ここにあらずのギデオンに対する不快感を隠そうともしないヘンリ。


「前に言っていた話。レオンって男か」

「レオン? 彼が会場にいたのですか?」


 これだけで話が通じるのは、さすがだ。


「いたもなにも、リオン王子がそのレオンだ」

「……これは迂闊でした。あの時それがわかっていたら、今頃彼の首は胴についてません」


 そうだったなら、はそれこそすっかり骨になってるだろうけどな。

 ギデオンは思っただけで言わないことにする。


「なるほど、奥様の昔の友人の男とは彼のことでしたか。それなら気の置けない関係に見えたのも当然でしょう」


「エーレンが人間の姿になったのは、俺と初めて会ったが初めてじゃなかったんだな」

「そうですね。即位する前には、何度かこの国にあの姿で忍び込んでいます」


 道理で、初対面のときから違和感がなかったはずだ。

 女として動くことに慣れていたのだろう。


「忍び込むのに女の姿を用いたことに理由はあるのか? それとも、昔から女装趣味……いや、女性化願望があったということなのか」

「以前にお話ししたように、魔族はそのあたりがボーダーレスな人が多いのは確かです。ですが、そうじゃないんですよ」


 ヘンリの説明を要約すると、こうだ。


 短時間ならともかく、恒久的に姿を変えるのは通常の魔術では難しい。いや、本当の意味で恒久的、つまり不可逆的な変身ならばむしろ簡単なのだが、時間制限が無く、かつ任意に元に戻れるような変化を実現するのは相当に難儀らしい。


「それを可能としていたのが、だんな様がたたき割った魔石です」

「あ~、あれな」


 たたき割ったわけではなく触れたらひとりでに割れてしまったのだが、そのときにエーレンが激怒していたのをギデオンは思い出した。母の形見だと言っていたからそのせいだろうと思っていたが、そのせいだけではなかったということか。


「あのペンダントは先代王妃殿下の魔術、魔石には先代魔王陛下の魔力が込められておりました。もともとあのペンダントは、先代王妃殿下が緊急時に影武者を作るためのものです」


「影武者? ということは、あれで変化しているエーレンの姿は」

「はい。お若いときの先代王妃殿下のお姿そのままです」


 結局『いま現在』の王妃の姿を即席にコピーする術は確立できなかったらしく、変化する者の実年齢に沿った姿にすることが精一杯だったそうだ。そのためにやむなく、王妃は常に自分と近い年齢の側近を侍らせていたと言う。


「その、本来は影武者作成用アイテムだったものを、この国に潜り込むために流用していたわけだったんだな。なるほど、先代の王妃の顔なんざ人間は誰も知らないからな。だいたいわかったが、つまり、魔石が無くなったいま、エーレンはもう ――」


「はい。いまのところ、男性に戻る手段がありません」


 うんうん。ギデオンは深く何度も頷いている。


「いい話だな」

「ぶっ殺しますよ、だんな様」


 エーレンを魔王に戻したいヘンリからすると、これは腹立たしいことなのだろう。


「それにしても、よくここまで話してくれたな」


 ときどきこうやってなれ合っているように見えることもあるが、少なくともヘンリの側は、ギデオンを強く憎んでいることは確かなのだ。


「すべてが終わったことです。そうであれば、奥様の現状を理解していただくことの方が重要かと考えました」

「そうか」


「全ては奥様のためです。だんな様のためではありません」



 コンコン。

 話が一段落するのを待っていたかのように、ノックの音が響く。



 来客のようだ。ヘンリがドアに近づき誰何している。


「だんな様」

「ん」

「リオン殿下のお使いの方だそうです」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「なんだって陛下がエーレンを?」

「そんなことは俺だって知らないよ」


 リオンが乗ってきた馬車に便乗して、ギデオンは王城へと向かっていた。


「ギデオン、さっきも言ったが、君は城には招かれていないんだぞ」

「そこはなんとかしてくれ、俺のの髪に気安く触れた詫び代わりだ」

「……そう言われると弱いな」


 しばらく沈黙が二人きりの車内を支配する。

 ややあって。


「あいつは冒険者をやっていたのか」

「ああ、優秀な魔術師だったよ」

「魔術師か、なるほどな」


 まあそうだろう。なにせ彼女は魔族の王だ、どれだけ強大な魔力に恵まれていたのか。


「そうだな、こんなことがあった」


 リオンが当時を懐かしむように話を始める。


「俺がドラゴンスレイヤーの一人に数えられているのは、だいたい八割方エーレンのおかげだ」

「八割方とは?」


「あの時おれたちは、四人組のパーティでグリーンドラゴンに挑んだんだ。剣士の俺、槍使いのアマドル、魔獣使いテイマーのミント。そして、魔術師のエーレンだ」

「四人でドラゴンとは、ずいぶんと思い切ったもんだな」


 本来、ドラゴンなどは軍が三十人規模の部隊を編成して事に当たって、ようやく対処できる存在だ。


「若かったんだよ。古の英雄たちはみんなそのくらいの人数でドラゴンを倒していただろう?」


 軍の一員としてドラゴンを倒しても決して『ドラゴンスレイヤー』などと呼ばれることはない。リオンの言うとおり、少人数の冒険者たちで倒してこその称号なのだ。


「俺の剣もアマドルの槍も、近づけないことにはどうにもならない。ミントが操っていたユニコーンも早々に瀕死に追い込まれて、これはもう無理かなと一時は死を覚悟したよ」


エーレンあいつの出番はまだかよ」

「慌てるなよ、ここからだ」


 リオンが言うには、エーレンがパーティのメンバー三人を盾にしながら続けていた長い詠唱を終えた途端、ドラゴンの動きが止まった、という。


「止まった?」

「止まった。そして、空を飛んでいたやつはそのまま地面に叩きつけられる形で落ちてきた」


 麻痺パラライズの魔術だ。


グリーンドラゴン古代竜にパラライズだって?」

「そう、かけやがったんだよ、エーレンは」


 古代竜とは、レッサードラゴンやワイバーンのような亜竜とは一線を画す存在の、いわゆるのドラゴンだ。

 知能は高く、肉体は強靱。そして、性格は総じて残忍そのもの。


 魔法への耐性も高いことで知られる古代竜は、人間が放つレベルの精神操作系魔術や肉体束縛系魔術はほぼレジストす耐える。外部からの物理攻撃魔術はさすがに通るが、それは鎧にも等しい硬度を誇る体表のウロコが効果を半減させる。


「ミントの話に寄れば、古代竜にパラライズがかかる確率はGrand Masterレベルの魔術師でも一%前後だと言ってたよ」

「さすが俺の嫁」

「それで片付けるのかぁ?」


 『若奥様はドラゴンスレイヤー竜殺し』か。

 少年向け……いや、少女向けの活劇本として売れるかもしれないな。

 最近は女の子もそういった本を好むらしいから……。


 ギデオンは心の中で苦笑していた。


「そこからは早かった。麻痺が解けるまではたった三十秒だったけど、四人がかりでありったけの攻撃を叩き込んで、やつが動けるようになったときはもう瀕死だったからな」


 八割方どころか九割かもしれないな。少し悔しそうにレオンは続けた。


 それにしても、虫も殺さないようなカオしておいて、裏でとんでもないことをやってたわけか。王都へ来る途中の宿で出た油虫を見て悲鳴を上げていたようなあいつがねぇ。

 

 エーレンの過去を聞いたギデオンは、なぜか少しだけ楽しい気分になってきている自分に気がついた。


「ああ、そうそう。君たちが父上に婚約を許可してもらったときの話だけど」

「……やっぱり聞いているよな」

「そりゃね」


 箝口令が敷かれていても、王子の耳には入るだろう。


「あれ、うそだろ」

「……」


「エーレンのでっちあげだろう。納得だよ、君は女好きだが、嫌がる女性を無理やり手籠めにするようなやつじゃない」

「それはどうも。王子殿下の信頼が厚いのは栄誉だね」

「茶化すなよ。で、さ。そこで相手がエーレンってわかったら、瞬時に腑に落ちたよ」

「お前の知ってるエーレンと、俺の知るエーレンの間には、かなりの開きがあるようだな」


 そこのところだけは、どうにもおもしろくないギデオンだ。


「……お互い様だよ。俺もちょっと不機嫌なんだ」


 男たちを乗せた馬車は、王城の門をくぐろうとしていた。

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