第100話

「動けるものは撤退の準備を。今は魔族への追撃よりも、エルグランドの奪還を優先します。けが人は治療を受けたのち、合流するように」


 ミリクシリアの檄が飛び、騎士達が慌ただしく整列を始める。

 エルグランドの軍勢がこの魔族の前線基地についたのはつい先ほど。

 戦闘時間を考えても電光石火の襲撃作戦だった。


 ただこの前線基地は隠れ里からは直線距離で近くとも、エルグランドからは相当に距離が離れている。

 ミリクシリアのいない数日の空白に、魔族側からの奇襲を受けてエルグランドは陥落してしまったのだ。

 せわしなく行き来する騎士達を眺めて、怪訝な表情を浮かべていたベルセリオがつぶやく。

 

「これも貴方の言う、首謀者の仕業ですか?」


「断言はできないが、今はそう考えるべきだろうな」


「にしては納得のいかないことが多いように思いますが」

 

 その咎めるような視線から逃げるように、押収した魔結晶へと目を向ける。

 ベルセリオは、当初予定していた作戦通りに事が進まなかったことに、不信感を抱いているのだろう。

 俺達がエルグランドの作戦を知っていて、無理やり引き込んだとでも思われているかもしれない。

 少なくとも、それを弁解できる立場ではないし、その証拠もない。


「まぁ、そうだな。一筋縄ではいかない相手らしい。だが、やられっぱなしって訳でもない」


 ただ、今回の作戦で得られた物は、非常に大きな意味を持っていた。

 まず魔族の筆頭戦士であるガルドニクスは魔素の入った魔結晶を守っていた。

 それはつまり、魔族側の使徒はガルドニクスに命令できるほど軍部に食い込んでいること。

 そして軍をある程度は自由に動かせる程度の権力者であると推測できる。

 

 問題はその使徒が何を狙っているのかが、まったく読めないということだ。

 この前線基地に魔素を保管していたのであれば、少なくとも後の作戦で使用する予定だったのだろう。

 ご丁寧にも魔族最強の戦士を護衛として置いておいたのだから、ブラフということは考えにくい。


 だが、魔素をばら撒くという使徒の目的を考えるなら、エルグランドを最初に落とす意味は薄い。

 戦場で魔素を広め、その後に無防備になったエルグランドを落とせばいい。

 傀儡と化したエルグランドの騎士を使って魔素を広めればなんの障害もなくエルグランドを落とすことも可能だ。


 それをしない理由としては、自軍の被害を抑えるために魔素を使う事を嫌ったのか。

 それともエルグランドを魔素によって落とすことを嫌ったのか。

 どちらにせよ、俺達が後手に回ったのは確実だった。

 

「ファルクス!」


 その時、聞きなれた声が耳を打った。

 顔を上げれば、ビャクヤが人混みの中から駆け寄ってきていた。

 しかし後ろに続くアリアは、おびえた様子で周囲を窺っている。


「ちょ、ちょっとビャクヤ! あんまり堂々と出てくのは……。」


 その理由は、考えるまでもない。


「異種族だ!」


 まさに悲鳴の様な声が、戦場に響き渡った。

 ビャクヤはすでに、例の魔道具を使っていない。

 先ほどまで戦闘を行っていたのだから、当然と言えば当然だ。

 その姿は見る者を引き付ける純白の髪に、一対の武骨な角。

 人間から外れた、美しき異形の姿。

 一目見れば異種族だと分かる風貌だった。


 魔族との戦いが終わり、まだ地面に流れる血も乾ききってもいない。

 そんな最中に武装したビャクヤが飛び出してくればどうなるかは、想像するまでもなかった。

 純白の鬼の登場と共に混乱が広がりかけた、その時。


「黙りなさい!」


 空気を切り裂くような、硬質な声が静寂をもたらした。

 見ればミリクシリアが声を上げた騎士の鎧を掴んでいた。


「守るべき場所を奪われようというこの瞬間に、憎しみを優先すると? いつから、エルグランドの民はそこまで醜くなってしまったのですか」


 まっすぐと見つめられて、鎧を掴まれた騎士は視線を彷徨わせる。

 怒りを露わにしたミリクシリアを前に、混乱は徐々に収まっていった。

 そしてそのままミリクシリアは俺達の前へと歩み出て、頭を下げた。


「身勝手なのは十分に承知です。ですがどうか、力を貸してください。私達の故郷を、取り戻すために」


 聖地の守護者が、異種族へと頭を下げる。

 そこには、見た目以上に大きな意味が伴っていた。

 混乱が収まりつつある騎士達の間に困惑と不安が伝播していく。

 だがしかし、そんな空気の中でも黒い衣の聖女は、ためらいなく背を向けた。


「当初の目的は果たしました。私はこれで、失礼します」


「ベルセリオ、貴方は私をまだ……。」


「許すわけがないでしょう。最も信頼していた相手に、背中から切り付けられる絶望を貴女は想像できますか?」


「それは……。」


「出来るわけがない。できるのであれば、あんな外道な行為をしておきながら聖女などという称号を名乗れるはずがないのですから」


 静かな、しかし明確な怒りが滲んでいた。

 なにも言い返せずに、ミリクシリアはベルセリオの背中を見送った。

 そして契約上、今回の作戦だけの協力関係である俺達にも彼女は止められない。


 ふたりの間に確執があるのは、なんとなくだが理解できていた。

 殺されかけてベルセリオが里へ逃げたというのも、本当の話なのだろう。

 だがふたりの間には、気兼ねない友人のような絆を感じていた。

  

 それでも、ベルセリオは隠れ里を選んだ。

 懇願するミリクシリアに、なんのためらいもなく背を向けた。

 そこには確かにミリクシリアへの怒りや憎悪が見て取れる。

 しかしそれ以上に、今のベルセリオにとっては隠れ里が何よりも優先されるということだ。

 それはある種、エルグランドを守ろうとするミリクシリアの姿と重なっていた。

 ただ、後に残るのは俺とアリア、そしてビャクヤだけとなった。


「ファルクス。我輩達はどうする?」


「エルグランドへ戻ろう。このまま魔族を追撃しても、俺達三人で目的の相手を仕留められるとは思えない」


「だが……勇者達が魔都へ向かっているのであろう?」


 そんなビャクヤの言葉に、思わず視線を向ける。

 申し訳なさそうに顔をそむけるビャクヤを見て、疑念が氷解した。


 あの夜以降、ビャクヤが頻繁にアーシェの名前を口に出すと思ったら、それが原因だったのか。

 妙な違和感や距離感の原因がわかって安心すると同時に、小さな疑問も浮かんでくる。

 俺はすでに、勇者達よりもビャクヤと共に行動すると明言しているのだ。


 それなのにビャクヤはなぜそこまで俺と勇者達との関係にこだわり続けるのか。

 これではまるで、俺が我慢をしてビャクヤと組んでいると思われているようではないか。

 ビャクヤは、俺の様子を窺うように言った。


「エルグランドへ向かっても、この状況を打破することはできぬ。根本から解決するのであれば、お主は魔都へ向かい勇者達と合流すべきだ」


「それは、本気で言ってるのか、ビャクヤ」


 問い掛けは、自分でも驚くほど冷たい声で行われた。

 ビャクヤは初めて見るような、弱々しい表情で続ける。


「我輩とアリアでエルグランドの防衛に回る。お主は心置きなく、魔都へ行くがよい。そうすれば――」


「結果的に大勢を救える、か?」


 以前は荷物持ちとして所属していただけだが、あのパーティの実力はよく知っている。

 自分では到底たどり着けない高みで戦い続けていたあのメンバー達の実力は、嫌というほど知っている。

 勇者を軸に据えた構成に隙は無く、対応力という点で言えば完全無欠と言って差し支えなかった。

 そんな彼らと手を組めば、魔族の都市に潜んでいる使徒を打ち取る事も可能かもしれない。


 だがはっきり言って、困惑していた。

 確かに俺は、ビャクヤやアリアに自分の暗く醜い感情を打ち明けたことがある。

 勇者やその仲間達を見返すことを夢にまで見たことがあると、話したことがある。

 この瞬間にも勇者達の元へ行き、自分の実力を見せつければ、溜飲が下がるだろう。

 

 だが、それでも、これはないだろう。

 大勢の命がかかった戦いだ。街ひとつがかかった戦いだ。

 そんな状況で俺は、仲間を見返すことを優先するような人間だと思われていたのだ。


 身を乗り出した俺とビャクヤの間に、アリアがとっさに入り込んだ。

 周りを見ても緊張した面持ちのミリクシリアがことの顛末を見守っていた。

 想像以上に、俺は剣呑な空気を出していたらしい。


「落ち着きなさい、ファルクス。 ビャクヤは貴方のことを思っていってるのよ」


「俺の事を? つまり人々の命よりも私念を優先しろってことか」


「違うわ。過去と向き合う絶好の機会だということよ。魔都にいる勇者一行と協力して使徒を倒せば、多くの命を救うと同時にファルクスの評価も変わるわ」


 理路整然としたアリアの言は、普通なら納得するに足りるものだっただろう。

 しかし、なぜか素直にその意見に従うことはできなかった。

 理論的な思考を断ち切り、怒りに任せて言い捨てる。


「言ってあったはずだ。俺は人々を守るために冒険者を目指したんだ。救える命を見捨てる気はない」


 常に掲げていた理想であるそれは、今となっては自分への言い訳のように聞こえた。

 いざ勇者達との再会を前に抱いたこの感情は、なんなのか。

 怒りか、恐れか。それとも、不安か。

 自分でも理解できない感情を押し殺そうと努めながら、エルグランドへと向かう。


 だがエルグランドへ到着するまでの間、ビャクヤと言葉を交わすことは一度もなかった。

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