第91話

 水滴が滴る音が響く古い監視塔の中。

 石畳の上に直接座り、堅く冷たい感覚を味わいながら、ゆっくりと顔を上げる。

 視線の先では、階段に腰かけた黒い衣装の女性が紫色の瞳で俺達を見下ろしていた。


 見た通り、俺達の立場は対等ではない。


 監視塔の劣化が激しいのか風も容赦なく吹き込み、寒さで震えるような気温になっている。

 だというのに女性は気にした様子もなく、俺達を見下ろす態勢のままだった。

 そこにある感情は明確だ。俺達への怒りと不信感。


「本当に、申し訳なかった」


 それらを打ち消すために謝罪の言葉を投げかけるが、女性は小さく鼻で笑った。


「申し訳ない? その言葉を発した以上、自分の行いを理解しているのですね?」


「なんの許可もなく里に立ち入った挙句、武器を使おうとした」


「それも、この場所が隠れ里だと知っていながらの行動です。 到底、許せることではありません」


 怒りによって振り下ろされた槍が地面を叩く。

 その瞬間、甲高い金属音と共に眩い雷光が迸り、周囲の雑草が弾け飛んだ。

 少しでも判断を間違えば、あれが自分たちに向けられる。

 そう考えるだけで、背筋を冷たい物がなでる。


 逃げ延びた者達が身を寄せ合う隠れ里。そこへ武装した集団が入ってきて、武器を抜く。

 それがどういった意味を持つか、最初に考え付かなかった俺達に非があるのは間違いない。


 それに敵味方が入り乱れる中で、魔族の特徴や里の住人との明確な判断もできていなかった。

 本格的に武器を使うことがあったら、間違えて里の住人を攻撃してしまったかもしれない。

 

 安易に戦いへ身を投じる事への危機感が薄れていたのかもしれない。

 もはや返す言葉もなくうなだれるしかない。

 だが、思わぬところから援護が行われた。


「ベルセリオ様、彼らも悪意があった訳ではないのですから、その辺で……。 私もこうして、無事だったわけですし」


「黙っていなさい、イグナス。 私も悪意で彼らを責めている訳ではありません」


 黒い女性――ベルセリオの隣に立つ、男性が俺達へと助け船を出してくれていた。

 ただ目を引くのは、その男性の頭で動く獣の耳と、見え隠れする尻尾である。

 大陸の中央では余り見ない獣人である。それも彼は狼に近い種族らしい。

 

 聞く話によれば獣人の彼、イグナスは戦いを得意とする獣人の一族であり、ベルセリオと共に里を守っているのだという。思い出してみれば魔族との戦いでも、彼が先陣を切っていた覚えがある。

 

 ただ当事者のイグナスを持ってしても、ベルセリオの説得は難しそうだ。

 イグナスは申し訳なさそうに、俺達へ半笑いを浮かべた。


「里の住人を助けようとしたことには、素直に感謝します。 しかし後先を考えずに行動した愚行を許すことはできません。 即刻、この里から出ていってもらいます」


「はぁ!? ちょっと待ちなさいよ! 謝罪はしたし、当人が許してくれてるんだから、追い出すことはないでしょ!?」


 唐突な宣告にとっさに食い下がるアリア。

 だがベルセリオは冷たい微笑を浮かべて、アリアを見返した。


「あら、可愛らしいお猿さんがなにか吼えてますね。 ですが私は生憎と動物とは話せないのです。 残念ですが」


「……あの女、殴りたい」


「止めておけ。 お主では逆に殴られるのが落ちであろうからな」


「ベルセリオ。 俺達は訳あってこの里に来たんだ。 話だけでも聞いてはくれないか?」


「聞かなくとも結構。 貴方達はあのクソ忌々しい鋼の聖女ミリクシリアの助言でこの場所を訪れた。 その程度は知っています」


 反射的にベルセリオの顔を見返す。

 ミリクシリアが俺達にこの里へ向かうよう指示したのは、エルグランドを立つ直前の事だ。

 そしてその話は俺とミリクシリアの間で交わされただけで、第三者がその内容を知るすべはなかった。

 なのに、どうしてベルセリオがその内容を知っているのか。

 

 だがベルセリオは微笑を浮かべたまま、詳しく話そうとはしなかった。


「なぜ。 そう言いたげな顔ですね。 ですがこのような里にもそれなりの情報網がある、とだけ話しておきましょう」


「いいや、なら話が早い。 エルグランドの世論は今、異種族や魔族を排斥する声が高まってる。 このままでは遠からず、エルグランドと魔族の全面戦争へ突入することになる」


「知っています。 奇妙な病気を持ち込んだ異種族への反感が高まり、その煽りを受けた民衆が排斥主義者へ変異したと。 笑い話ではないですか。 数年前までは私達が、そして今では異種族が。 あの街の人々はなにかを憎まなければ生きていけない愉快な病気にかかっているようですね」


 ベルセリオはこちらの神経を逆なでするような、クスクスと嫌に上品な笑いをこぼした。


「笑い事じゃないだろ」


「いいえ、これほど愉快なことがありますか? 私達を追い出した者達が、その排斥主義によって悲劇を迎える。 我々からしてみれば、これほど愉快な見世物はありません」


「その被害がこの里や大陸中に広まったとしても、笑ってられるのか」


「私の見解ではエルグランドと魔族の力は拮抗しています。 総力戦となれば双方が疲弊し、争い硬直状態に陥る。 残念ですが貴方の見解は――」


「戦場で病を広げることを目論む者達がいると言ったら?」


 そこで初めて、ベルセリオの微笑が崩れる。


「病の本質は破壊の限りを尽くす生きる屍を作る事だ。 先ほど里を襲った魔族のように。 それが両陣営の全戦力に広まれば、どうなると思う?」


「破壊の限りを尽くす二つの軍勢が生まれ、大陸へ散らばる。 それが病を流行らせた者達の狙いだと?」


「確証はない。 だが危惧すべき事態ではある。 違うか?」


 ミリクシリアが俺達をこの里へ向かわせた理由。

 そして戦争を止めるうえで助けになる人物とは、まさしくこのベルセリオだと確証していた。

 その片鱗を垣間見ただけだが、広範囲を薙ぎ払う雷を操る魔法に加えて、彼女自身の戦闘能力を加味すれば、相当な実力を持っていることは間違いない。

 下手をすればあの鋼の聖女に匹敵するかもしれない。


 そして広範囲への攻撃手段を持っているという、意味では俺達よりも殲滅戦向きの能力だと言えた。

 ミリクシリアがここまで読んでいたかはわからないが、魔族の前線基地を攻める上で、ベルセリオの能力は必要不可欠だ。

 だからこそここが正念場だと言えた。


 ベルセリオを、仲間に引き入れることができるかどうか。

 ただ俺の推測を聞いたベルセリオは、少なくない時間を思案に費やした。

 そして長い沈黙の末に、決断を下す。


「その話をすぐに信じることはできません。 貴方の妄想である可能性もある」


「それは……否定できないが」


「ですが見逃すこともできなのは事実。 であれば誠意を見せなさい。 その話が出まかせではないという、手伝うに値する作戦だという誠意を見せれば、力を貸すこともやぶさかではありません」


 立ち上がったベルセリオは槍を片手に、宣言した。


「その身をもって証明なさい。 そうすれば、このベルセリオが力を貸しましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る