第88話

 いつの間にか、広場には沈黙が訪れていた。

 その中心にいるのは、この街の中枢とでもいうべき存在。

 教皇ベセウス、その人だ。

 街の守護者である鋼の聖女に、ベセウスは先ほどと同じように、命令を下す。


「聞こえなかったのか、鋼の聖女よ。 私は殺せと命令したのだ」


「しかし、ベセウス様。 この者達は――」


「しかし? しかし、なんだ。 その異種族は変装を施し、この聖なるエルグランドへ立ち入っただけでなく、敬虔な信者達を殺したのだぞ。 それを許すというのか?」


「そういう訳では。 私は、ただ……。」


 押し黙る聖女を前に、心の中で舌を鳴らす。

 俺達は一手遅かったのだと、理解したがためだ。

 

 状況が状況だとは言え、街の長である教皇ベセウスが異種族の排斥を助長する発言をしてしまった。

 いや、それを俺達は許してしまったのだ。

 ベセウスの発言により信者達は自分たちが正義だと信じ、排斥の意思は確固たるものになる。

 ここまで狙ったのかは不明だが、クラウレスの目的は果たされたと言っても、過言ではなかった。

  

 まだ迷いの見せるミリクシリアの判断によっては状況の打開も可能だ。

 しかしその迷いを断ち切るように、ベセウスが語りかける。


「ミリクシリア。 神の代理人たる私の言葉では、貴様を動かすには不十分だとでもいうのか?」


「……いえ、お言葉のままに」


 たとえ聖女といえども教皇を前にしては、逆らえないのか。

 ミリクシリアは地面から巨剣を引き抜くと、その切っ先を俺達へと向けた。

 少なくとも、ここで話し合いをして解決できる状況ではなさそうだ。

 ドーラを背負ったビャクヤの前に立ち、小声で告げる。


「ふたりは逃げろ。 俺は後から、転移魔法で合流する」


「お主を置いては行けぬ!」


「大丈夫だ、ビャクヤ。 もう左目の異常は収まった。 ミリクシリアを足止めしたら、すぐに追いつく」


「ならば、約束してくれ」


「あぁ、約束だ。 すぐに追いかける。 だから今は、先に行け」


 納得できる言葉を聞けたからか。

 即座にビャクヤは踵を返し、走り出す。

 ただ目の前の聖女は、それをみすみす見逃す程甘くはない。


「逃しはしません!」


 聖女の気勢と破砕音が重なり合う。

 凄まじい踏込によって石畳が砕け散る。

 その速度はもはや目で追うことすら難しい。


 これほどの剣士にもなると、この程度の距離は無いにも等しいということか。

 まさしく飛ぶという表現がふさわしい勢いで、聖女は背中を向けたビャクヤへ肉薄する。

 だが、その剣が彼女たちの背中をとらえることは、絶対にない。


「なっ!?」


 困惑か、驚愕か。

 聖女は自分の立ち位置を確認する。

 まぁ当然と言えば当然か。


 彼女は最初に立っていた位置に戻っているのだから。

 周囲の信者達の間にも小さなざわめきが伝播していく。

 少なくとも俺が残った意味はありそうだ。


「そう急ぐなよ。 まずは俺の相手をしていってくれ、鋼の聖女様」


 ◆


 俺の能力を思い出したのか、聖女は自分の位置を確認すると、再び剣を構えなおした。

 今度は逃げていくビャクヤ達ではなく、俺に狙いを定めている様子だ。

 ただその視線が、一瞬だけ俺ではなく近くの建物の方角へと向けられる。


「なるほど、転移魔導士だからといって侮れる相手ではないようですね」


「ようやく気付いたか。 あんまり油断してると、ひどい目を見るぞ?」


「それは恐ろしい。 では、これではどうでしょうか」


 軽口を叩いた、次の瞬間。

 目の前から、聖女が消えた。

 思考よりも先に、本能が警鐘を鳴らす。


「空間――」


 魔法が起動する、遥か手前。

 凄まじい衝撃が体を貫き、視界が霞んだ。

 遅れてやってくる激痛が体内で暴れまわり、悲鳴を上げそうになる。


 ただ気付けば俺は、室内に倒れていた。

 どうやら目にも止まらぬ一撃で、どこかの家屋の中に飛ばされたらしい。

 目を向ければ、壁には俺が突き破ってきたらしい巨大な穴が。

 そして一瞬遅れて、涼しい顔をした聖女が壁をぶち抜いて現れる。


「いってぇ……。 もう少し手心を加えてくれても、良かったんじゃないのか」


 ただあの視線の意味は理解できた。

 聖女の行動とは思えないほど、粗暴なやり方だが。


「こうでもしなければ怪しまれるでしょう。 それよりも、状況の報告を。 残された時間は多くありません」


「それが、どこまで話すべきなのか」


「迷っている暇はありません。 時間をかけていては騎士達が様子を見に来ます」


 急かすミリクシリアだが、今は彼女の事を信頼できなかった。

 クラウレスは俺達と聖女が繋がっていることを知っていた。

 そしてその情報はごく限られた者達しか知りえない。 

 状況証拠を合わせれば、ミリクシリアかその周囲がクラウレスと繋がっていることは明らかだ。

 

 ただ、疑問も残る。ミリクシリアが使徒ならば、こうして対面することなく俺を殺せたはずだ。

 先ほども手加減をした一撃であり、剣の腹で殴られたからこうして俺は生きているのだ。

 刃部分で切り付けられても、俺に防ぐ手段はなかった。

  

 断定はできない。

 しかし信用するには危険すぎる。

 そこで俺は、ある賭けに出る。

  

 魔素や使徒の話は伏せて、依頼に関係する部分だけの話をミリクシリアへと手短に聞かせる。


「そのクラウレスと呼ばれる組織は全ての元凶だと?」


「懸念していた病に関していえば、そうだ。 クラウレスと呼ばれる組織が病を持ち込んでいた可能性が高い」


「その出所は?」


「特定する前に先手を打たれた。 だが重要な情報を手に入れた。 今は話せないが、俺達の依頼を一気に解決するほどの情報だ。 いや、人物名と言った方がいいかもしれないな」


 話しながら平然を装い、ミリクシリアの反応を窺う。

 密かに転移魔法を起動させて、いつでも転移できるよう準備も進めておく。

 だが彼女はさほど大きな反応を示さず、話を続けた。


「つまり、クラウレスの事件には貴方方の目的にも関係があると?」


「そうなる。 俺達の目的とはある人物の特定だったんだが、今回の情報でそれがはっきりした」

 

「ある人物とは……。」


「悪いが、それは言えない。 言ってしまうと、色々とまずいんでな」 

 

 ミリクシリアは怪訝な表情を浮かべ、俺を見つめていた。 

 困惑しているのか、それとも俺の唐突な話に疑念を抱いているのか。

 この瞬間にも、ミリクシリアの反応を見定めるために、俺も見つめ返す。


 これは、一種の撒き餌だ。

 クラウレスのメンバーは俺達を有明の使徒と呼んだ。

 つまりクラウレスに命令しているのは確実に黄昏の使徒だろう。

 そして聖女がクラウレスに命令を下していたとすれば、俺の話に食いつくほかない。


 なぜなら、俺達が有明の使徒であり、その目的が黄昏の使徒を殺すことだと、彼女は十分に理解しているからだ。

 ここで俺が探していた目的の人物が判別したと告げれば、確実に黄昏の使徒を特定したと捉えるだろう。

 となれば俺から詳しい話を聞こうとする、もしくは黄昏の使徒らしく俺を殺そうとするはずだ。

 

 ただ彼女があえて俺達に直接接触してきた意味は分からない。

 しかしここで彼女を使徒だと断定できれば、反撃の糸口をつかむことができる。

 そのためにも目の前の、鋼の聖女が使徒かどうかを、見抜く必要がある。

 

 見つめ返していたミリクシリアはしかし、小さく肩をすくめて首を振った。


「ならば深くは聞きません。 ですが私が力になれるようなら、また連絡をください。 次は私が依頼を遂行する番ですから」


 どちらともとれる反応で、引き下がったのだった。


 ◆


 結局、ミリクシリアが使徒か見極めることができず依頼で頼まれていた部分の話を進める。


「恐らくだが、クラウレスは病を利用して市民の意識を先導している可能性がある。 異種族を纏めて殺せってな。 この状況を見る限り、連中の本命はそっちだろうが」


 彼女が使徒でなかった場合、街を救う為に奔走するはずだ。

 人助けの手助けになるのであれば、この程度の話はするべきだと判断したのだ。

 しかし話を聞いたミリクシリアは形のいい眉をひそめた。


「まずいですね。 数日後、我々は魔族の前線基地へ大規模な攻撃を仕掛けます。 事と次第ではそのまま全面戦争ということも十分にあり得ます。 いえ、今の世論ではそうなる公算が高い。 となれば街中にいる異種族の人々も無事ではすみません」


「ならその前に市民を先導している連中を探し出すほかない。 それができなければ――」


 出来なければ、どうするのか。

 逡巡の末に、言い放つ。


「俺達で直接、戦争を止める。それしかない」


 鋼の聖女は、その蒼穹の様な瞳を小さく見開いた。


「容易ではありません。それどころか、この戦争がエルグランドの総意である以上、もはや止めることができるかどうか」


「だが見過ごすことはできない。戦争を止めるために、俺はあらゆる手を打つつもりだ」


 言っている俺自身もそれが簡単ではない事は十分に承知している。

 だが使徒の狙いが戦争を引き起こすことだというのであれば、止めるほかない。

 そして、戦争が勃発すれば少なくない被害が出る。


 いや、エルグランド側が敗北すれば魔族は大陸になだれ込んで来る。 

 そうなれば大勢の人々の命が奪われることになるだろう。

 クラウレスが戦争を画策する明確な理由は不明だ。

 しかしその結果、生まれる犠牲に関して言えば容易に想像できた。


 ならば、目を背けることなどできなかった。


 ミリクシリアは短い間、沈黙を守っていた。

 そして意を決したように、口を開く。


「東の山脈の間に、里があります。 私達の戒律を破った者や、逃げ延びた異種族の人々が住んでいる隠れ里です。 そこに向かってください。 きっと貴方達の助けになるはずです」 


「いいのか? あのベセウスの言葉に背いて」


 聖女ミリクシリアは教皇ベセウスが見出したと聞いている。

 そして教皇ベセウスは神の代弁者と名乗る以上、この街の信徒であるミリクシリアも彼に逆らう事は許されないはずだ。

 だが彼女は鋼という名に相応しい、戦士としての表情で俺を見つめ返した。


「聖女とはエルグランドを、そこに生きる人々を守護する者。 ベセウス様の操り人形ではありません」

 

 抜き身だった剣を背中に背負い直し、ミリクシリアは俺に背を向ける。

 そして去り際に、言い残す。


「どうか、この争いを止めてください。 私も、全力を尽くしますから」


 それは鋼の聖女が見せた願い。

 戦意渦巻くこの街で、鋼と呼ばれた彼女が捧げた祈りだった。

 

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