第86話
複数体の人形に床へ組み伏せられた男は、神官とは思えない剣呑な眼差しで俺達を睨みつけていた。
どちらかと言えば冒険者や流れの傭兵などに近い雰囲気だ。隙があれば反撃に移ろうとしているのが、透けて見える。
しかし俺達が三人とも無傷で揃っているため、仲間が全滅したと察したのか、小さく鼻を鳴らして口元に小さな笑みを浮かべた。
「使えない連中だ。 俺が殺せと命じたのに、そんな簡単な命令を遂行できないとは」
「その通り、お前の仲間はもういない。 自分の置かれてる状況は理解してるようだな」
「お前達こそ理解していないようだな。 俺はこの教会の神官だ。 不当な暴力を振った場合どうなるか、わかってるのか?」
確かに信仰の厚い街で神職者を襲うことの意味は重い。
ただ相手の本性を知っているのであれば、ためらう理由はなかった。
「無駄だ。 お前が何者で魔素を使って何をしようとしてたかなんて、とっくに割れてる」
「それに貴方が言ったことも覚えてるわ。 私達を見て、嗅ぎまわってる冒険者と言ったわよね」
「つまり俺達が何者か知っていて、そして乗り込んでくることも知っていて待ち伏せていた」
「なるほど、武力だけの無能ではないようだな」
「抵抗はやめておけ。 ここで俺達の質問に正直に話せば憲兵団にそのままの状態で引き渡すことも保証しよう」
強がりか、それとも秘策があるのか。
男は余裕とも取れる態度で俺達の話を聞いていた。
ただ周囲にはアリアの人形達が控えており、教会の外まで見張っている。
ビャクヤも地下室の入り口に立ち、内外を警戒している。
もはや男がどんな手を打とうともこの状況が覆る事はない。
そう確信していた。
しかし。
「ぬる過ぎるぞ? その程度でこの戦争を止めようなどと」
「なに?」
「もはや手遅れだ。 お前達が聖女から依頼を受けた時点で、全ては我々の目的は完遂されたのだからな!」
なぜ、それを。
そう問いかける前に、凄まじい衝撃が周囲を貫いた。
地下室ですら大きく軋み、教会が悲鳴を上げる。
ガラスが砕け散る音、そして怒号と悲鳴が反響する。
外部で混乱が渦巻いていることは、容易に想像できた。
「なんだ!? アリア、外はどうなっている!」
「信者達が暴動を始めてるわ! それも街の至る所で!」
「ふたりとも! 外で火の手が上がっているぞ! 早くここを離れるべきだ!」
それが、意図的に巻き起こされた暴動だという事は即座に理解できた。
そして男が何らかの方法で、そのタイミングを操っているということも。
ふと見れば、男がうっすらと笑いを浮かべていた。
それは俺達に対しての笑い。勝利の笑いだ。
「なにをした! 答えろ!」
「我々の使命は達せられた。 せいぜい、苦しめよ。 有明の使徒」
瞬間、男は青い泡を吹いて、絶命した。
魔物の毒を口の中に仕込んでいたのか。
死んでもなお男は壮絶な笑みを浮かべたままだった。
聞くべきことは多くあった。
俺達と聖女のつながりをどこから手に入れたのか。
そして俺達が有明の使徒であるという情報。
しかし、男は物言わぬ躯と化していた。
小さく舌を鳴らし、教会の出口へと向かう。
しかしそれを止めたものがいた。
「まずいことになったわ、ファルクス。 急いで大広場へ戻ったほうがよさそうよ」
「どういうことだ?」
「広場で異種族の私刑……公開処刑がおこなわれるわ。 それも、あのベセウスの集会に合わせて」
躯となった男を眺め、そして理解する。
恐らくこれがクラウレスの本当の目的。
何らかの方法で住人を先導し異種族への憎悪を最大限まで高め、そして戦争へと導く。
その最後の一手が、公衆の面前での公開処刑ということだろう。
「このままじゃ魔族とエルグランドの全面戦争へ一直線だ。 広場へ向かうぞ」
◆
教会を飛び出すと、広がっている光景に一瞬だけ目を疑った。
今朝の静けさや信者達の表情からは想像もできないほど、激しい暴動が繰り広げられていた。
道端には何人もの住人が倒れており、恐らくは異種族の排斥に賛同しない者達なのだろう。
その真っ白だったはずの衣服には黒い塗料で裏切者と書かれている。
もはや倒れて動かなくなった人々に対しても、過剰な暴力をふるう集団。
全くの無表情でありながら、暴力を振るい続けるその姿を見て確信する。
この街には少なからず魔素が回っている。
そしてその魔素の影響を受けた人々を操り異種族だけではなく、違う思想の者達まで排斥しようとしているのだ。
「ふざけた空気ね。 大多数が少数を暴力と恐怖で圧し潰すなんて」
遺体を見てアリアが小さく唸る。
「街全体がそれを肯定してる。 この街に来た時は、まだ意見が割れていたはずだ。 それがなぜ、こんな短時間で……。」
異種族への対応はこの街を二分する問題だと聖女は言っていた。
しかし今やその主張は、排斥派が圧倒的に多くなっている印象だ。
いや、印象だけではないのだろう。この街全体が、異種族を許すなという空気に包まれているのだ。
そして問題としては、それだけではない。
「それにこの魔素の影響はどうなってるの! あの教会だけじゃなかったってこと!?」
道の至る所に魔素に侵された人々がおり、俺達を見つけては襲い掛かってくる。
元々はただの住人ということで、脅威はさほどでもない。
だがいかんせん、その数が多すぎる。
数の暴力によって遅々として広場へは向かえそうになかった。
「これでは間に合わぬやもしれん! ファルクス、先に行け!」
「私の人形も、いまから向かわせには時間がかかるわ! 偵察のひとりだけじゃ、状況を止められない!」
「だが……。」
処刑を止めるのであれば、三人で向かうのが最も確実な方法だろう。
俺の転移魔法を使えば多少の無理をすれば、この場所から広場まで向かうこともできる。
しかしビャクヤは俺の考えを先読みしたのか、小さく首を横に振った。
「この者達はもう、助からぬ。 であれば、これ以上の被害を生み出さぬよう、ここで始末するのがせめてもの情けだ」
そしてビャクヤは薙刀を構える。
それは慈悲にあふれる理由だった。
「だが戦が巻き起これば、使徒の思う壺だ! 我輩達ならばすぐに追いつく! 信じろ!」
「私もここに残るわ。 これだけの数をビャクヤに任せるのは酷だろうから」
確かに大多数を相手にするとなれば、アリアの力も必要になるんだろう。
そして俺一人なら転移を繰り返して即座に広場へ向かえる。
その迷っている時間でさえ、今の俺には惜しかった。
「すまない! 先へ向かう!」
「絶対に止めなさいよ!」
ふたりの姿を視界に収めて、そして転移する。
刹那の暗転。そして視界が開けた瞬間、眼下にエルグランが広がっていた。
白亜の美しい町並みは今や、炎と戦意が渦巻く、暴徒の都と化していた。
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