第56話

  

 地平線から太陽が昇り始めた頃。

 ようやく離れたアリアは、少しだけ距離を置いて大きな岩の陰に腰を下ろしていた。

 まるで俺から姿を隠すような位置取りに、少しだけ傷付いたがそれは隠しておく。

 野生動物、それも猫のような性格だ。気を許したかと思えば手の中をすり抜けていく。

 今の俺に出来ることは、彼女の話を静かに聞く事だけだった。

 

「私は、生まれてすぐに孤児院の前に捨てられたの。 人形のメリアと一緒にね」


 それを、なんでもないように、アリアは語る。


「私とメリアを入れた籠には名前が書いてあって……でも、その名前を好きになれなかった。 だって、私を捨てた人が付けた名前なんだもの。 義母さん達は、最後の贈り物だからと言ったけれど、それは嘘よ。 わたしにとっては、呪いの様なものだったわ」 


 だからその名前を人形の物にして、私は別人になったのだと、笑いながらアリアはそう言った。


「でも孤児院の生活は楽しかったわ。 周りには友達が溢れて、それに私には魔法の素質だってあった。 人気者だったのよ、これでも」


 ふと見れば、アリアは岩の陰から飛び出て、金髪の姿に戻っていた。

 豪奢なゴシック調のドレスに身を包み、朝日を浴びて美しく輝く金の髪を揺らす。

 見る者を引き付ける人形の様に整った顔立ちと、宝石の様に澄んだ蒼い瞳。

 なるほど。その容姿が周囲の子供達を魅了するのに時間は要らなかったことだろう。

 しかし、アリアは話しながら悲し気な笑みを浮かべた。


「そんな時に、裕福そうな女の人が私を訪ねてきたわ。 そのひとは義母さん達が呼ぶより先に、私の名前を呼んだの。 でも私はその名前を否定した。 女の人がすごく驚いたのを、今でもはっきりと覚えてる。 それから一緒に暮らそうって、言ってくれたの」


 アリアの本当の名前を知る人物。

 それが誰かなんて、想像するまでもない。

 

「でも断ったわ。 それからだった。 孤児院の仲間達が、私を虐めるようになったのは。 私は、自分の引き取り手を選り好みする嫌な子供に見えたんでしょうね。 私の事情も知らないで」


 孤児院という環境ではきっと、裕福な家庭に引き取られることは幸福な事だと思われているに違いない。

 孤児に限らずとも、金銭に困ることが無い方が幸福だと考えるのはごく当たり前のことだ。

 経営破綻をしたことを考えると、孤児院にそこまで余裕があったとは思えない。貧しい生活を強いられていたのであれば、その思想が強まってもおかしくはない。

 そんな環境で育った子供達がアリアに向けた感情も理解はできる。

 美しい容姿を持ちながら、裕福な人間に選ばれるアリアは、さぞ羨望と嫉妬の対象だったのだろう。

 そこにある理由を知らなければ。


「耐え難い虐めを受けて、暴力を受けて、耐えて耐えて耐え抜いて、そして私は逃げ出したの。 孤児院が潰れるどさくさに紛れてね」


「そして復讐に走ったわけか」


「真実を知らない赤の他人が、理不尽な理由で私を追い詰めたのだから、当然よ。 理不尽な暴力には、同じ暴力で対抗するしかない。 ならなに? 暴力には口をつぐんで、必死に耐えろっていうの?」


 答えづらい所を突いてくる。

 確かに、殴られない為には、殴ればタダでは済まないぞという意思表示が必要だ。

 その力を手に入れるためにアリアは孤児院から逃げ出したのだろう。

 だがよりにもよって最悪といっていい相手を選んでしまった。


「そうじゃない。 だがもっとやり方があっただろ。 なぜ銀の翼なんて頼ったんだ」


「私の魔法の素質を知った構成員の一人に、声を掛けられたのよ。 銀の翼は君の能力を完全に目覚めさせることができる、ってね。 その言葉通り、ハイゼンノードは私の能力を最大限に引き出してくれた。 そこで思わず、しゃべってしまったのよ。 私が魔法を求める理由を」


 言って、アリアは苦虫を嚙み潰したような苦笑を浮かべる。

 

「その結果は、言わなくても知ってるでしょ。 今さら私に後悔なんてする資格はないのだけれど」


 それは、アリアが望んでいた結果ではない。

 もしもの話だが、アリアが自分で魔法を会得したのなら、ここまで悲惨な復讐劇には発展しなかったはずだ。

 夜になると恐ろしい人形が子供達を驚かせて回る。そんな子供騙しのような話が、ウィーヴィルで噂になるだけだったかもしれない。


 しかし、経営破綻に乗じて姿を消した子供が何人かいる。それはイリスンから受け取った書類にも書いてあった情報だ。

 つまり、その時に消されたのだ。ハイゼンノードや銀の翼によって、アリアを虐げていた子供達は。

 嗚咽を零す幼い少女の手足を切り落とすことに、なんの意見もない組織だ。

 その末路は悲惨な物だっただろう。


「望む望まないにかかわらず、お前の願いでハイゼンノードは子供達の命を奪った。 それに加えて、お前は自分の手まで汚したんだ。 相応の罰を受ける必要がある」


「そんな事、わかってるわ」


 拗ねた素振りをみせるも、素直にアリアはうなずいた。


「だが自分が救われたいと願うなら、残りの命を使って善行を行うべきだ。 どんな手段を使っても生き延びて、そしてお前と同じ境遇の子供達を助ける、とかな」


「誰も救ってくれなかったのに、私に救う立場へ回れと言うの?」


「そうだ。 自分が受けた苦痛を語って周れ。 理不尽な暴力がどれほど悪なのか。 それを耐える事がいかに苦しいことなのか。 お前にしか語れないことだ。 そうやって悲劇を減らすことが、お前の罪滅ぼしになる」


「そんなの、偽善よ。 結局は自分の為じゃない」


「聖人君子じゃないんだ、殆どの人間が自分の為に動いてるさ。 もちろん、俺もな。 憧れた冒険者の真似事をしているだけの、偽物だ。 だが俺はそれでいいと思う。 人々に与える希望は本物だからな」


 そう言って、笑う。

 以前に、ヨミから言われたことがあった。善意だけで人助けをして、命を賭けるなんて狂気の沙汰だと。

 その言葉は正しいのだろう。冒険者となった今なら、あの冒険者の行動がどれだけ異常な物だったかを実感できる。

 それ故に、あの冒険者の様な自己犠牲を伴う善意を、安易に勧めることはできない。

 

 しかし、冒険者という物は、魔物の脅威を取り除いて金銭を貰う、いわば人助けを生業とする職業だ。

 金銭のために、利己的な理由で人助けをする。そのことに忌避感はない。アリアの贖罪の為に人助けをするということと、何ら変わりはないのだから。

 だからこそ、自信をもって肯定する。

 

「だから胸を張れ。 自分の為に、人助けをしたって誰も責めやしないんだからな」

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