第53話 剣聖視点
革袋が机の真ん中に置かれ、重い金属音を奏でる。
音だけ聞いても、中には少なくない量の貨幣が入っていることを窺わせた。
しかしその持ち主であるナイトハルトは、不服そうに眉をひそめたまま私達を見回した。
「どういうことだ? これは」
夕暮れ。連敗が続き路銀が心もとなくなった私達は、有名な観光地にほど近いカセンの街で依頼を受けていた。
そして数日を跨いで依頼を完遂したため、ささやかながら三人で食事を囲んでいたのだ。
ところが、私達の誘いを鼻で笑って断ったナイトハルトが顔を見せたこと。そして渡した分け前の全額を持って現れたことに、困惑を隠しきれない。そもそもナイトハルトが何に腹を立てているのかわからないのだ。
顔を見合わせた私達の中で、エレノスがおもむろに問いかけた。
「ナイトハルト。 いくら賢者の僕でも、なにに不満を抱いているのか言ってくれないと、理解してあげることはできないんだ」
「なんで俺の報酬がこんなに少ないんだって言ってんだよ!」
ナイトハルトが指さした先には、先ほどの革袋。
なるほど。すぐに彼の言いたいことは理解できた。
「エレノス、今回の依頼の内容は?」
「病気に掛かった人々の治療。 それに大橋の補強に使う素材の運搬、その護衛だったね」
エレノスは考える素振りさえ見せず、淀みなく答える。
今回の依頼を選んだのは彼なのだから当然と言えば当然か。
病気の治療が得意なティエレ。そして広い知識を有するエレノス、そして護衛に適した私。
それぞれが適した危険度の低い依頼を受けて、手堅く終わらせたのだ。
もちろん理由は、これ以上の失敗を重ねないため。ギルドと国からの評価を落とさないため。
だが特段に報酬が少ないということはない。
これがまた、危険な魔物の討伐などになれば話は別だが、今回の依頼は雑用の延長のようなものだ。
パーティとしての活動費用を差し引き、残った報酬を四人で割ればこの程度の額に収まる。
私達が請け負った依頼の難易度と重要性を考えれば、適当な報酬額だった。
「聞いてたかしら、ナイトハルト。 実入りの大きい依頼ではないし、四人で分ければその金額になるのよ」
「四人で分ければ? なにふざけたこと言ってんだ? 勇者の俺が一番多く貰うに決まってんだろ」
当然のように言い放つナイトハルト。
それを聞いて、小さな笑い声が上がる。
見ればエレノスが笑いを堪えるため、口元を抑えていた。
「なにがおかしい、エレノス」
「いいや、なに。 プライドの高さだけが君の取り柄だと思っていたんだけれどね、まさか恥を知らない守銭奴だったなんて。 これが笑わずにいられるかい?」
「エレノス様。 それは……。」
「いいや、言っておくべきだ。 ナイトハルト、君は今回の依頼で役に立たなかった。 疫病を治したのはティエレだし、補強に使う石材の判別と魔法での強化は僕、その護衛はアーシェが率先した。 それで君は? 君はなにをしたんだい?」
見れば、ナイトハルトは言い返せずにいた。
実際、ナイトハルトはロック・エレメンタルの一件以降、大人しくなっていた。というのも怪我の影響が残っているようで、思うように暴れまわれなくなっているからだ。
その為、大事を取ってナイトハルトは今回も荷馬車で周囲を警戒していた。
最前線で戦うことが最大の功績だと考えているナイトハルトにとっては、最大の屈辱だったに違いない。そのままエレノスに詰め寄って、胸倉をつかみ上げる。
「あの男が抜けてから、ずいぶん生意気な口を聞くようになったじゃねえか。 自分だけはこのパーティから追放されないとでも、思ってんのか?」
「ナイトハルト、少し黙って。 エレノスも少し言い過ぎよ」
個室とはいえ、壁一枚向こうには人の目もある。
しかしナイトハルトは唸るような声音で言った。
「黙れ? 黙るのはお前らだろうが。 勇者の付属品のくせに、俺に指図するってのか」
「勇者の付属品? おかしいね、勇者なんてどこにいるんだい?」
「あぁ?」
「魔王を滅ぼし邪を払う。 それが勇者だ。 君は今まで、勇者らしいことをしてきたのかい? ロック・エレメンタルに惨敗したあげく、その尻拭いをパーティメンバーに押し付ける。 それが勇者ナイトハルトの輝かしい功績かい?」
「てめぇ――」
小さな金属音が耳を打った瞬間。
体が自然と動いていた。
椅子をなぎ倒し、ナイトハルトに肉薄。
利き腕を掴み上げて、剣の柄を押さえつける。
勇者と剣聖。総合的な優劣をつけることはできないが、接近戦でいえば剣聖に軍配が上がる。
ナイトハルトは腕を振り払おうとするが、私の力には及ばない。
結果、彼の獰猛な瞳と視線が交錯する。
「やる気かよ、アーシェ」
「違うわ、ナイトハルト。 剣を抜く前に、よく考えてほしいの。 貴方が勇者を授かった意味を」
剣呑な眼差しのナイトハルトは、じっと私を見つめていた。
目の前にいるのは、紛れもない勇者だ。選定の儀によって選ばれた英雄。
いや、神が選んだ救世主だと言ってもいい。
ジョブとは、その人間に最も適性のある物が選ばれる。どう抗おうともそれを変える事はできない。そして同時に、どれほど望むまいとも、適性があれば与えられてしまう。
もしも、ジョブを授かったことで、その人の人格が歪んでしまったとしたら。
なんの変哲もない少年に、突如として一つの大陸の命運がのしかかったとしたら。
その時の絶望と重圧を、誰が考えられるだろうか。
「慈愛の心という意味ではティエレが。 広く深い知識であればエレノスが。 そして剣術であれば私が。 それぞれに見合ったジョブを授かった。 なら勇者として選ばれた理由が貴方にもあったはずよ、ナイトハルト」
私の考えすぎかもしれない。都合のいい解釈だと笑われるだろう。
でも、それでも、彼にも勇者として選ばれるだけの理由があったのだと思いたい。
迷いなく見つめ返していたナイトハルトの瞳が、ゆっくりと伏せられる。
そして力なく私の腕を振り払うと、無言のまま机の上の革袋を持って立ち去った。
この場所が個室で良かったと、心の底から偶然に感謝した。
こんな姿を一般人の前で見せれば、それこそ私達の旅は終わっていただろう。
「お見事。 名演説だった」
「エレノス。 なぜあんな言い方しかできないの?」
「わたくしも、エレノス様の言い方には悪意を感じました。 なぜ、ナイトハルト様を必要以上に挑発するのですか?」
エレノスは明らかに変わった。
私がひとりでロック・エレメンタルを倒してから、露骨にナイトハルトと衝突を繰り返すようになったのだ。
賢者と呼ばれる彼が、それを意味なく繰り返すとは到底思えない。同じことを考えていたのか、平和主義者のティエレも、苦言を呈する。
しかし問い詰めても、帰ってくるのは微笑みだけだ。
「それはまた詳しく話すよ。 それより、料理が冷めないうちに食べよう」
賢者エレノス。その知恵に助けられたことは多く、上げてみてもきりはない。
しかしそれが今やパーティの内部に張り巡らされている。
仲間にいれば心強い。しかし相手にするとここまで恐ろしい相手だったとは、思いもよらなかった。
パーティの瓦解。それが足音をたてて近づいている。
魔王を倒すのが先か。私達が自滅するのが先か。
考えてみればファルクスが抜けてから、パーティがおかしくなったように思う。
ナイトハルトに続いて、もっとも頼りになるエレノスまでもが。
もはや私の力ではどうしようもない程に、パーティに亀裂が入ってしまった。
彼の声が恋しい。
彼の顔を見たい。
そして言って欲しい。
私ならば大丈夫だと。
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