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「たすけてぇえええ!」


「ぅおっ!?」


 抱擁から逃れたエルは咄嗟に目に飛び込んできた図体のでかい物体の背後に潜り込んだ。すると女はその物体――レキが邪魔でエルに近づけなくなる。


「エルちゃん~!」


 状況についていけず困惑するレキを盾にして、エルは自分を玩具にする女と睨み合う。


「えっと……」


「動かないでください!」


 エルの切羽詰まった訴えにレキの足は浮きかけて留まる。すると今度は女の方がレキに邪魔だと告げる。

 どうしたものかと助けを求めるが、ノワールは既にこの場を去り女たちの酌を受けていて自分を挟んで繰り広げられている攻防に興味を持っていない。


「いいじゃんおチビ。おまえ結構似合ってるって」


 ふと放たれたフォルテの一言にエルの表情が強張る。

 ――いま、この黄色頭はなんと言った? エルが密かに気にしている低身長と女顔。その二つを軽々と言い放った無神経さに怒りを覚える。しかも、さっきはリアの衝撃的すぎる正体に落胆していたあまりさらっと流したが、彼が口に出したそれは二回目の“チビ”呼びである。

 だいたい、この男はなんなのだ――。

 自分と彼はついさっき初めて会ったばかりで会話をした記憶がなければきちんと挨拶を交わした覚えすらない。それなのに初対面の相手にこんな失礼なことを言うなんて一体どういう神経しているのだ。全くもって信じられない。

 それに、昔ノワールと親しい間柄にあったとはいえ少々馴れ馴れしくはないか。


(ノアさんは僕のなのに……)


 エルは憤慨する。初めて芽生えた感情が嫉妬なのだということを少年はまだ知らない。だがこのとき、エルは心に決めた。


「僕、あなたキライ」


「えーなんでだよー。仲良くしようぜー、おチビ」


「いやです」


 拗ねてしまったように顔を背ける様子はとても愛らしかったが、そうするとますます少女が拗ねているようにしか見えないということに本人はまだ気付いていない。

 と、その瞬間。別方向から現れた女がひょいとエルを確保した。


「はーいエルちゃん捕まえた!」


「ひぃっ!?」


「お姉さんがもっとかわいくしてあげるからね~」


「やっ、やだ~! はなしてください~!」


 暴れるエルを数人の女たちが囲む。こうなってしまってはエルに逃げ場はない。

 本格的に泣き出す前に回収するか、と連れ去られる少年を見送ったノワールは酒を喉に流し込んでいると、不意に視線がソアラを捉える。

 他の女たちと仲睦まじく微笑み合う姿は、娼婦特有の甘ったるい色香を放ちながらも同時に夜の蝶にはない純な雰囲気を感じさせる。


「ん? アニキ、なに見てんスか?」


「……いや。好みだなー、と」


「へ?」


 ポロリと吐いた言葉にノワールの視線の先を追ったフォルテは、驚愕。


「だ、だめだめだめだめ! ダメっスよアニキ! ソアラさんだけはだめ!」


「あーうっせえ」


「確かにソアラさんは綺麗で美人で妹思いで純粋で可憐で淑やかで儚くて――」


「おまえ頭沸いてんのか」


「あにきぃぃぃぃっ!!」


「ああもう、わぁーった。わぁーったから黙れ」


 半分はからかうつもりで言ったのだ。心配せずとも狙うつもりは毛頭ない。

 鬱陶しく引っついてくるフォルテを突き放すようにそう言えば彼はあからさまに安堵の息を洩らした。するとこちらの視線に気付いたのだろう。ソアラがふとノワールを見る。一瞬驚いたような顔をするソアラにノワールもつられて間の抜けた顔になる。

 目が合ったくらいでそこまで驚かれるものだろうか。

 ソアラは上品に会釈するとそのまま部屋を出ていく。さっきの妙な反応に対しては一切触れることなく、何事もなかったかのように去る姿を見て、ノワールの胸には妙な違和感だけがくすぶった。



  ***



 日が落ちると街は一気に景色を変えた。高級娼館・ローレライも瞬く間に増える客の対応に追われる。

 のんびりと時が流れていく昼の感覚とはまた異なる盛り上がりをみせる店内で誰もが一分一秒を惜しむように動くなか、店の門前でどっしりと構えるノワールは感情を抑えきれずに舌打ちした。


「あいつどこに消えやがった」


 リアが姿を消した。最後に彼女を見たのは女主人のランシェ。少し出てくると言って娼館を出たというが、暗くなっても一向に戻ってこない。

 店を出るときに変わった様子はなく普通だったとランシェは言うが、姿を消したのがあの話の直後というのが引っかかる。

 まさか一人で国に戻るはずもないためどこかを彷徨うろついているに違いないのだが、相手が相手なだけに不安が拭えない。


「なぁ、これってやっぱやべーよな」


「当たり前だ。相手は王妃だぞ」


「だよな!?」


 迷子といえば聞こえは可愛いが大国の王妃が行方不明なのだ。呑気に用心棒などやっている場合ではない。

 フォルテは薄々勘づいていたのだろうがレキの言葉で一気に状況を判断すると途端に焦りを見せる。だがふと動きを止めると何かを思い出したのか途端に真顔になってレキを見る。


「あのさ……無事、だよな?」


「おい」


 縁起でもないことを言うなとレキが眼差しを鋭くするが、かえってそれがフォルテの不安を倍増させる。

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