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「いや――」


 気にしてないと言おうとした矢先、ノワールよりも先に反応したのはなぜかこの男。


「ソアラさんは全っ然、悪くないですから! この人が店の前でぼけーっと立ってたのがいけなかったんです!」


「おい」


 元、とはいえ上官に対する態度が些か過ぎてはいないか。それにどちらかと言えばおまえも俺に謝罪する側だろうと青筋を浮き上がらせながらフォルテに恨めしげな視線を向けたところで、身を乗り上げるみたく近づいてきたレキがノワールにそっと耳打ちする。


「あいつあの子に入れ込んでて」


「ああ、なるほど」


 あの態度はそういうことか。

 惚れた女の前で見栄を張りたくなる気持ちはノワールにも覚えがある。ここは可愛い元部下のためだと寛大な心を持ってやることにした。


「まあそいつの言うことも一理あるか。つうかこっちはこうして豪華な飯をご馳走してもらって逆に礼を言いたいくらいだ」


「そんな……ではせめてお酌をさせて頂けないでしょうか」


 そう言ってノワールの隣についたソアラはグラスに向けて酒瓶を傾ける。形式的な行為に過ぎないにもかかわらず狼狽するフォルテをレキが窘めるなか、酌を受けるノワールはソアラの手が微かに震えていることに気がつく。


「新入りか?」


「えっ?」


 きょとんとする顔を見て、何かおかしなことでも言ったかと思えばフォルテが食いぎみに声を張る。


「バカ言わないでくださいよ! ソアラさんはこのローレライの看板なんスから!」


「あ、そうなの?」


 尋ねるように見ればソアラは恥ずかしそうに苦笑していた。


「あの、お名前をお伺いしても?」


「ん? ああ、ノワールだ」


「ノワール……」


 ポツリ、と呟いたソアラはそっと顔を上げると――


「ノワール様の寛大なお心に感謝致します」


 目を細め、淑やかに笑んだ。



 それから少し経つと新たに暇を持て余していた数人の女が加わり、食事の席はすっかり華やかになっていた。


「あ、そうだアニキ! 今日はここに泊まってってくださいよ、オーナーには俺から頼みますから!」


「あ? あー」


 上機嫌に提案された声に即座に頷くことができなかったのは、横から視線を送ってくる少女のせい。威圧的な表情が訴えるのは“断れ”という二文字。

 リアの気持ちはわからなくもない。だがせっかく会えた昔の仲間にたったこれだけで別れを告げるというのはノワールとしても少々物足りなかった。


「――そうだな、そうするか」


「うおっしゃあああ!」


 フォルテは歓喜の声を上げると早速オーナーに話をつけてくると言って元気に部屋を飛び出していった。


「あいつ面倒だろ」


「とても明るくて頼りになる方ですわ」


 控えめに微笑みながらノワールのグラスに酒を注ぐソアラの反応を見て、案外フォルテにも脈があるのではないかと考えていると、ふと誰かに肩を叩かれる。


「ん?」


 振り向くとそこには怖い顔をしたリアがいて。


「少しよろしいですか」


「なんだ?」


 外に連れ出そうと腕を引かれ、ここでは言えない話なのかと聞き返せばリアは眉間に皺を寄せて今度は強い口調で言った。


「いいから来てください」


「っ、おい」


 リアはノワールをソアラから引き剥がすように立たせると、半ばむりやり部屋から連れ出す。背後からの呼びかけなど一切無視だ。


「おい。――なあ、おいって」


「…………」


 何度呼びかけても応じることなく歩き続けて、やっと立ち止まる。振り返ったリアはいつかのような憤怒の形相でノワールを威圧し、


「どういうつもりですか」


 と声を震わせた。


「私たちは決して優雅に旅を楽しんでるわけではないんですよ」


「たった一日ゆっくりしてったくらいでどうこうなる問題でもねぇだろ。自分が抜けた穴がどうなってんのか気になるのか? だったら出てこなきゃよかっただろ」


 身代わりを残して城を出てきたのなら、誰かに気付かれて騒ぎになる前に一刻も早く国に戻りたいだろう。静養してることになっているとはいえ、そこにいるのはリンシア王妃ではないのだから面会させるわけにもいかない。だが、誰も見舞えないとなれば王妃への心配はやがて不審に変わる。疑惑の声が高まれば隠しきるのは困難。そうなれば全てを明かすしかなくなる。

 しかし、リアはノワールの言葉を真っ向否定した。


「私のことはどうでもいいんです。彼らと再会できて嬉しい気持ちは汲みますが優先順位を考えてください。あなたはなんのためにバレッティアを離れたんですか」


 海色の瞳の奥に込められた激情を静かに見据える。リアは冷静に、だが確実に怒りを募らせていた。


「……生きているのが奇跡なんです。フォルテ・リゼやレキ・サーチェスとはまたいつでも会えます。ですがあの方は、この期を逃せば……もしも間に合わなかったら、もう……」


 一生――。目を伏せた顔が悲痛に歪む。

 以前も一度聞いたことだがシルフィードの病状は相当危機的状態にあるらしい。

 一刻を争う事態。それはわかっている。

 だが、心が決まらない。


「そんときはそんときだろ」


 突き放したような一言にリアの顔がひきつった。

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