42

「何ちんたらしてるのさ。高い金払って雇ってやってんだからさっさとそこの食い逃げ縛り上げな」


 レキの言葉を遮り出てきたのは金の煙管を片手に、首元に黒の毛皮を巻きつけ、金粉が散りばめられた薄紅色の締まりのないドレスを着た貫禄ある女。


「オーナー! そのー、ちょおっと待ってもらえませんか? 実はこの人オレらの元上官で、本当はこんなことする人じゃないんスよ。きっと話せばわかるんで!」


「だから何犯人扱いしてんだよ。俺じゃねっつってんだろ」


 ちっとも話が噛み合わない歯痒さに盛大な溜息を吐く。これは自分が直接オーナーと呼ばれた女と話して誤解を解くしかない。

 どう切り出そうかと考えていた矢先、まるで自分を庇うように現れた一つの影にノワールの視界は埋め尽くされた。


「待ってください」


 視界を覆った影の正体はリアだった。

 そのすぐ隣にはエルも立っていて、事を窺うように派手な女を見ている。


「一体なんの騒ぎですか」


 リアは状況を確認するようにそう問いかける。

 随分と先を歩いていたがいつの間にここまで戻ってきたのだろうなどと場違いなことを思っていると、女は怒りを抑えるような声で言い放った。


「邪魔よお嬢ちゃん。その男は恐れ多くもこのローレライで食い逃げを働いたの。罪人庇うってんなら容赦しないわよ」


「それはありえません。彼は私の旅の同行者で、我々はたった今ミレドリッチに着いたばかりです。このようなところに足を踏み入れた覚えはありません」


「“このようなところ”ねえ? 言ってくれるじゃない」


「それはお互い様かと思いますが」


 牽制するみたく二つの視線が絡み合う。リアの言葉の選択に気分を害したらしい女の顔が訝しげに歪んでいると、


「違うその人じゃないのっ!」


 娼館の戸前から透き通った声が響く。出てきたのはノワールを食い逃げ犯扱いした張本人。


「ソアラさん?」


 フォルテはきょとんとした様子で女を見つめる。するとソアラと呼ばれた女の顔は焦りと動揺を含んだ声で告げる。


「逃げたのはその人じゃなくて、その人とぶつかった人なの!」


 向こうに逃げたとソアラが指差すのはまさに今しがた一人の男がノワールに衝突してきた挙げ句謝罪もなく走り去っていった方向。


「チッ」


 ソアラの証言にいち早く反応した目の前の派手な女は歯痒そうに舌打ちすると鬼のような形相でフォルテとレキを睨み上げる。


「アンタたち、早く追っかけな! 捕まえられなかったら減給だからね!?」


「「は、はい!!」」


 ――まるで犬だ。

 よく躾られた忠犬のような返事とともに消えていく昔の仲間の姿をノワールはなんとも言えない眼差しで見送る。

 部隊で最年少だった彼らはノワールも含めた他の隊員から舎弟のように可愛がられていたが、何年経っても変わらない様子は懐かしい反面嘆かわしくもあり。

 と、不意に正面から感じる張り詰めた空気を思い出したように振り向けば、リアと派手な女がなおも互いに鋭く尖った視線を向けて牽制し合っている。それにしても――食い逃げ犯にさせられそうになった当人よりも激情しているのはいかがなものだろうか。


「あーえっとー、おい?」


 すっかり気が冷めたノワールがリアを宥める方法を考えていると派手な女がふう、と吐いた吐息が場の空気を一新した。


「さて、と」


 それはさっきとは打って変わり落ち着いた声。女は眉を下げる代わりに口角を上げて申し訳なそうに笑みをこぼす。


「悪いことしたわね。何かお詫びをしないと」


「いえ、わかってもらえたのでしたら結構です。我々はこれで」


 謝罪を聞いたリアはあっさりと引いた。

 ――しかし。


「そういうわけにはいかないわ」


 立ち去ろうとしたリアの前に立ちはだかり進路を塞いだ女。金の煙管で娼館を差すと化粧濃い目で威圧してきた。


「私はランシェ。ここローレライのオーナーよ。食事でもどう? お詫びにご馳走するわ」


 颯爽と身を翻したランシェは「さ、入りなさい」と誘導する。

 食事をご馳走してもらえるのは非常に助かるが場所が娼館というところにリアは抵抗を覚える。なんと言って断ったらいいだろうかと困っていると、そんなリアの背後から出てきた男は悠々と自分を追い越していき、なんと娼館の門を潜った。


「そりゃありがてえ。エル、タダ飯だぞ」


「わーい! ごはん!」


「ノワールさん!? エルくん!?」


 躊躇なく歩いていくノワールの姿にリアは仰天する。まさか娼館がどういうところか知らないはずがない。そんなところにたとえ食事をご馳走してもらえるからと、堂々と子供を連れて門を潜るノワールの神経を疑った。

 待てと呼び止めるのも気にもせず、二人の姿はあっという間に娼館の中へ消えていってしまう。


「っ~~!」


 詫びのつもりとはいえさっきまで自分を犯人扱いしていた人間の誘いによく乗れたものだ。

 残されたリアは言い様のない怒りに肩を震わせる。すると、


「アンタも早く入んなさい」


 戸前から再度ランシェがリアに呼びかけた。



 艶々の白米、ミディアムレアに焼かれたステーキ、コンソメスープ、サラダ、フルーツ盛り合わせ――。所狭しに並んだ豪勢な料理は全て女主人ランシェによる堂々たるもてなし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます