第2話

39

 オルタナ最南端、ミレドリッチ。

 ジフォース西部を占めるリルファールとの国境付近に位置するこの地は麗しの美男美女が客をもてなす歓楽街として栄えていた。

 街には昼も夜もない。客が存在する限り住民はそれを受け入れる。

 活気に溢れ、時には荒々しい怒号が飛び交いながら人々を虜にする浮き世離れした夢の世界の別名は眠らない街。

 ミレドリッチが最も賑わうのは日が落ち、月と闇が世界を覆い尽くしてから。人々を眠りにいざなう暗闇を追い払う勢いで幾つもの眩い光が灯されたとき、この街は真の輝きを放つ。

 そのため日中は比較的穏やかな空気に包まれていた。――とはいえ、だ。


「お嬢さん綺麗な顔してるわね! うちの店で働かないかい?」


「小さい僕も大歓迎よ~」


 “客”じゃないとわかると次は勧誘。街を少し歩いただけでこのパターンの声かけを既に両手ほど受けていたリアは困ったように溜息を吐く。

 休息のために立ち寄ったとはいえミレドリここッチを選んだのは失敗だったと後悔するが着いてしまってはもう遅い。


「この街の人たちはみんなニコニコですね」


「だからといって簡単についていってはいけませんよ」


 帰ってこれなくなりますから、と告げるとエルは言葉の真意も知らずに元気に返事をする。

 この手の商売に愛嬌は欠かせない。人はその笑顔に騙されて極楽とは名ばかりの破滅への門を潜るのだから。――と、宮仕えの女たちが話していたのをリアは思い出していた。


「あれ? ノアさんまたいない」


 振り返ったエルは自分たちの遥か後方をついてくる男を見る。結構開いた距離が縮まる様子もなく、とぼとぼ歩く男の纏う雰囲気にエルは首を傾げ、リアは困惑していた。

 ミレドリッチに足を踏み入れてからというもの、ノワール・ハルヴィンは何やら神妙な面持ちでいた。

 易々と話しかけることのできない空気に気を遣い、敢えて言葉をかけることなく歩いていたが、その淀んだ空気は更に悪化しているようにも思える。

 純真無垢な少年の呟きに、リアは微笑を浮かべた。


「きっとお腹がすいているのではないでしょうか」


「あ、そっか。僕もお腹ぺこぺこですっ」


 そう言えば今日はまだ何も食べていなかったと納得したところにそれを思い出させるかのように鳴った腹の虫がエルに空腹を知らせる。


「では早く食事が頂けるお店に入りましょう」


「はい!」


 エルは完全にリアの言葉を信じきった顔で頷くとご機嫌で食事処を探し始めた。

 そして上手くごまかすことに成功したリアはというと、再び後方に視線をやり、そっと溜息。


 数週間前。バレッティアを立ってからの旅路は思いのほか良好で、そのときはノワールにもこれといった変化は見受けられることもなく実に良い旅となっていた。

 しかし、ここにきて明らかに彼の様子がおかしい。

 途中、運良く遭遇した行商人の荷馬車に乗せてもらってここまで来たため疲労はそんなにないはず。休息は充分に取っていたつもりだったが今になって蓄積されたものが押し寄せてきたのかもしれない。

 とはいえ最初に音を上げるのがノワールとは思わなかった。

 ミュータント討伐の他にも随分物騒な仕事をしていたと聞いたため体力は衰えてないと思っていたが……。

 やはり馬車で移動すべきだったか。

 大きな出費になるが馬車を使えば移動時間は格段に短くなるし体力も温存できる。

 だが馬車だと経路が制限されてしまうのが難点。大きな道を使えばそれだけ人目につく。それはできれば避けたいところなのだ。

 本来なら馬を使うのが一番効率がいいのだが、乗馬経験のないエルには馬の背に跨がって長距離を移動するというのは困難だろう。

 この三人で移動することを考えれば、やはり多少のリスクを犯してでも馬車を使うのが得策だったのかもしれない。

 それに――口ではああ言っていたが彼のことも気になっているのだろう。

 シルフィード・エルサン・ディ・ロディオス。ロディオス国第六七代王として名を馳せたロディオス国の先王だ。

 当時、ロディオス最強の騎士と称されたジョーカーの異名を持つノワールと共に見事な手腕で国を統治していた秀麗の王の名はジフォース全土に戦慄を轟かせた。

 シルフィード、そしてノワール。二人は主従の関係を超えた絆で結ばれていた。

 しかし、七年前の一件で二人の間には深い溝が生じることになる。

 ノワールはシルフィードを憎んでいる。その憎しみがどれほどのものか第三者には計り知れない。だがたとえ関係が切れたとしても過去の思い出が無くなるわけではない。死んだと思っていたシルフィードが生きているとわかった今、心のどこかではまだ彼を思う気持ちが残っているのだろう。


(やっぱり今からでも馬を用意した方がいいのかもしれない)


 そう思い直していると、ノワールはとうとう道の真ん中で顔を伏して立ち止まってしまった。その姿を目にして堪らず駆け寄ったリアは彼の顔を覗き込む。


「ノワールさん、大丈夫ですか。体調が優れないのでしたら少し休みましょう」


 深刻そうな面持ちのノワールに、流石のリアもまさかこのまま倒れてしまわないかと不安を覚える。

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